目次
第一章 | 古代史の復元 | あらすじ | ||
第一節 | 国内資料 | 神社伝承の有効性について | ||
第二節 | 年代推定 | 栗原説と原田説をつなぐと考古学的事実と驚異的に一致。 日本書紀の年代は在位年ではなく誕生からの年数である |
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豪族系図との照合 | 神武朝と崇神朝は7世ほど離れている。 | |||
半年一年暦から中国暦へ | 日本、百済、新羅はAD345年一斉に中国暦を採用した。 | |||
半年一年暦の干支 | 日本書紀の年代解明 | |||
第三節 | 神社で祀られている神 | 神社で祭られている神の大半は、素盞嗚尊・饒速日尊関連 | ||
賀茂氏の正体 | さまざまな賀茂氏の系図の結合 | |||
物部氏の謎 | 物部氏の系図の復元 | |||
出雲国造家の謎 | 出雲国造家の代数欠落について | |||
饒速日尊の神名 | 謎の神名は饒速日尊の別名である可能性がある。 饒速日尊の神名は各地で変更させられている。 |
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第四節 | 神社伝承を基にした古代史の復元 | 原田説を160年さかのぼらせた場合のあらすじ | ||
朝鮮半島の情勢 | 朝鮮半島情勢のあらまし | |||
国の位置 | 朝鮮半島諸国の位置 | |||
メソポタミア文明の発祥 | メソポタミア文明の発祥過程の検討 | |||
第二章 | 国家統一方法 | |||
第一節 | 国家統一の方法 | 大和朝廷の国家統一が戦乱の末であるとすると矛盾が多い | ||
第二節 | 統一方法 | 大和朝廷は平和的に日本列島を統一した | ||
第三節 | 縄文王朝の存在について | 縄文時代に王朝が存在した | ||
第三章 | 各種資料との照合 | |||
旧石器時代 | 日本列島への人類の流入 | ハブログループによる日本列島への人類の流入過程 | ||
旧石器時代 | 日本列島の人々 | 日本列島での生活 | ||
縄文時代 | 縄文草創期 | 自然との共生・知識の共有体制構築 | ||
縄文時代 | 縄文早期 | 土偶の登場・集落の強大化・装飾の発達 | ||
BC5500年頃 | 縄文前期 | 鬼界カルデラ噴火・外洋航海技術の獲得 | ||
BC3500年頃 | 縄文中期 | ストーンサークルの始まり | ||
BC2500年頃 | 縄文後期 | 寒冷化による対応 | ||
BC2000年頃 | 飛騨王朝成立前夜 | シュメール人の到来 | ||
BC2000年頃 | 飛騨国の誕生 | 飛騨王朝の成立 | ||
BC2000年頃 | ウガヤ王朝の正体 | 古史古伝に伝えられるウガヤ王朝は飛騨王家である。 | ||
BC1500年頃 | 飛騨王朝の功績 | 飛騨王朝成立による縄文文化の変化・稲作の開始 | ||
BC600年頃 | 縄文人と渡来人との遭遇 | 渡来人の登場 | ||
BC500年頃 | 渡来人の急増 | 水田稲作の伝搬 | ||
呉太伯子孫到来 | BC473年呉滅亡により最後の王「夫差」の子「忌」列島上陸 狗奴国の誕生 | |||
飛騨王朝遷都 | 宮村への遷都・弥生時代前期の様相 | |||
BC200年頃 | 小国家乱立 | 弥生時代中期 | ||
BC200年頃 | 秦徐福到来 | BC220年秦徐福列島上陸 | ||
BC200年頃 | 丹波王国誕生 | 徐福の一族豊受大神によって丹波国が建国された | ||
太伯子孫高千穂へ移動 | 高千穂から南九州への移動 | |||
BC100年頃 | 出雲王朝誕生 | 出雲王朝の祖八島士奴美は衛氏朝鮮の末裔 | ||
BC40年頃 | 飛騨国と出雲国の接近 | 飛騨王が出雲王の娘を妻にし、天照大神の誕生 | ||
高皇産霊神の正体 | 高皇産霊神は高天原建彦と大山祇命を意味する。 | |||
神皇産霊神の正体 | 神皇産霊神はウガヤ朝の春建日姫である。 | |||
素盞嗚尊の父布都御魂渡来 | 朝鮮半島の戦乱からフツが日本列島に逃れてきた。 国引き神話の事情 |
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BC20年頃 | ヤマタノオロチ事件 | 土地の豪族ヤマタノオロチを退治する。 | ||
BC15年頃 | 出雲国建国 | ヤマタノオロチ事件で名声が上がり、出雲国王に推される。 | ||
BC14年頃 | 高皇産霊神降臨 | 高天原建彦九州高良山に降臨 | ||
素盞嗚尊、神大市姫との結婚 | 飛騨国とのつながり、大歳命の生誕 | |||
BC10年頃 | 対馬統一 | 素盞嗚尊は朝鮮半島からの技術導入を決意。対馬を統一 | ||
朝鮮半島統一 | 素盞嗚尊は朝鮮半島にわたり、半島南端部を統一 | |||
BC10年 | 朝鮮半島からの帰還 | 素盞嗚尊は朝鮮半島からの帰還。その技術を周辺にばらまいた | ||
紀元頃 | 山陽地方の統一 | 新技術を用いて瀬戸内海沿岸地方を統一。 この連合国を「倭国」と命名 |
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AD5年頃 | 北九州統一 | 素盞嗚尊は中広銅矛をシンボルとして周辺諸国から統一した(工事中) | ||
豊国統一 | 素盞嗚尊は宇佐に拠点を作る | |||
狗奴国との交渉 | 饒速日尊は狗奴国を倭国に加盟させるために努力 | |||
AD10年頃 | 南九州統一 | 素盞嗚尊は南九州を統一し伊弉諾尊の娘日向津姫と結婚 | ||
四国統一 | 饒速日尊は伊予・讃岐を、素盞嗚尊は南予・土佐をほぼ同時に統一 | |||
AD15年頃 | 紀伊半島統一 | 素盞嗚尊は伊弉諾尊・伊弉冉尊を伴い紀伊国を統一した。 | ||
製鉄の重要性 | 素盞嗚尊は製鉄の重要性を認識した | |||
饒速日尊飛騨国訪問 | 飛騨国天照大神と饒速日尊の出会い | |||
味鋤高彦根命誕生 | 饒速日尊は一時出雲に帰還し、味鋤高彦根命が誕生した | |||
AD20年頃 | 丹波国統一 | 饒速日尊によって丹波王国が倭国に加盟した | ||
饒速日尊の妻たち | 饒速日尊の5人の妻の出自 | |||
飛騨国との交渉 | 飛騨国とヒノモト建国の交渉 | |||
倭国の首都建設 | 素盞嗚尊は安心院を倭国の都とした | |||
大山祇命の正体 | 大山祇命は飛騨国皇太子 | |||
安芸国統一 | 大山祇命が安芸国を統一する。 | |||
大山祇命倭国降臨 | 大山祇命が高皇産霊神となる。 | |||
AD25年頃 | 伊邪那美命の死 | 出雲での伊弉冉尊の活躍と死 | ||
天孫降臨準備 | 饒速日尊はマレビトを集めて大和へ向けて出港した。 | |||
天孫降臨 | 天孫降臨コースと降臨後の赴任地 | |||
大和侵入 | 饒速日尊は大和に侵入し御炊屋姫と結婚 | |||
饒速日尊の子供たち | 事代主命・下照姫 | |||
賀茂建角身の正体 | ヒノモトと飛騨国との交渉 | |||
瀬戸内交易路の確保 | 大和に降臨した饒速日尊は瀬戸内海交易路を確保した | |||
河内地方統一 | 饒速日尊は河内地方に侵入しマレビトを統率した。 | |||
葛城地方統一 | 賀茂一族の誕生 | |||
三輪地方統一 | 三輪地方統一過程 | |||
奴国統一 | 伊弉諾尊・猿田彦は北九州を統治した。 | |||
素盞嗚尊出雲帰還 | 素盞嗚尊は出雲に戻った。 | |||
第二代倭国王の誕生 | 素盞嗚尊は佐田神社に隠棲、素盞嗚尊死後の各地の様子 | |||
少彦名命との出会い | 少彦名命の登場 | |||
越国統一 | 大国主は越国を統一した | |||
大国主命地方開拓 | 大国主は少彦名命と共に瀬戸内海沿岸・九州地方に技術を伝えた。 | |||
日向津姫日向国へ帰還 | 日向津姫は高皇産霊神と日向に戻った。 | |||
AD30年頃 | 素盞嗚尊の最期 | 素盞嗚尊は晩年、佐田神社の地で隠棲し、製鉄技術の向上を目指しながら亡くなる。 | ||
大国主命の播磨国開拓 | 大国主命は素盞嗚尊の死後地方開拓を行った | |||
大国主天日槍命の国占め争い | 倭国・ヒノモトの境の明確化 | |||
阿波国統一 | 天日鷲命を阿波国に降臨させ阿波国統一 | |||
大国主命の讃岐・伊予国開拓 | 少彦名命の死 | |||
天忍穂耳尊土佐国開拓 | 忍穂耳尊の土佐国開拓と饒速日尊訪問 | |||
宗像三女神と天忍穂耳命 | 猿田彦と市杵島姫との結婚 | |||
AD40年頃 | 東日本統一 | 饒速日尊は東日本地方一帯をヒノモトに加盟させる 考古学的根拠・大阪湾岸の遺跡が一斉に消滅し、東日本各地に一斉に方形周溝墓が出現する |
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東日本統一と大山祇命・饒速日尊 | 大山祇命と饒速日尊が協力して東日本統一した。 | |||
東海・関東地方統一 | 関東・東海地方の統一実態 | |||
饒速日尊巡回の役割 | 饒速日尊の巡回の目的 | |||
近江国開拓 | 近江国は思兼命・天御影命・饒速日尊が開拓 | |||
濃尾平野巡回 | 美濃・尾張・三河地方の統一事情 | |||
遠江・駿河国巡回 | 遠江国・駿河国の巡回 | |||
甲斐国巡回 | この当時甲斐国は湖だった。 | |||
伊豆国巡回 | 伊豆国の統一事情 | |||
相模国巡回 | 中里遺跡と賀茂健角身命のかかわり | |||
関東統一拠点鹿島宮創設 | 鹿島神宮・香取神宮創設 | |||
毛野国統一 | 鹿島宮を拠点として、北関東地域を統一 | |||
武蔵国統一 | 武蔵国の統一に穂日命・賀茂健角身命も協力 | |||
日向国の成長 | 日向三代の誕生及び成長 | |||
都を出雲へ変更 | 神在祭の起源 | |||
大国主命の死 | 大国主命は鹿児島で急死した | |||
AD45年頃 | 国譲会議 | 出雲国譲りの実態 | ||
天穂日命出雲降臨 | 天穂日命の活躍 | |||
東倭青銅器祭祀の終焉 | 荒神谷への埋納 | |||
瓊々杵尊北九州統治 | 国譲り後の北九州の統治 | |||
出雲国譲り | 出雲国譲り | |||
第3代倭国王誕生 | 日向津姫倭国の実権を握る | |||
紀伊国国譲り | 紀伊国の国譲り | |||
越国国譲り | 大国主命の統一した越国のヒノモトへの所属変更 | |||
AD50年頃 | 信濃国統一 | 建御名方命をはじめとする信濃国統一事情 | ||
出羽国統一 | 東北地方日本海沿岸地方の統一事情 | |||
飛騨国三娘日向に降臨 | 飛騨国の娘と日向三代の政略結婚 | |||
味鋤高彦根命大和へ | 天若彦命と味鋤高彦根命は飛騨国と関係していた | |||
賀茂一族の誕生 | 賀茂一族は3系統存在している。共通点は何か。 | |||
陸奥国統一 | 東北地方太平洋沿岸地方の統一事情 | |||
山城国・丹波国の開拓 | 山城・丹波両国の開拓 | |||
南九州の伝承の考察 | 南九州の伝説の真実性についての考察 | |||
倭国巡回 | 日子穂々出見尊・鵜茅草葺不合尊の倭国巡回 | |||
日子穂々出見尊後漢への朝貢 | 日子穂々出見尊対馬へ | |||
神武天皇誕生 | 神武天皇の誕生 | |||
伊都国統一 | 委奴国は日向国で国分を都とし国王は日向津姫である。 日向一族の南九州統一物語 |
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AD65年頃 | 瓊々杵尊薩摩半島へ | 瓊々杵尊薩摩半島統一に出発 | ||
日子穂々出見尊帰還と日向津姫の死 | 天穂日尊の生涯 | |||
鵜茅草葺不合尊大隅へ | 鵜茅草葺不合尊大隅へ派遣される | |||
饒速日尊の死 | ヒノモトの饒速日尊の死、そして、三輪山信仰の始まり 三輪山の形=鋸歯紋で大和朝廷のシンボルとなる |
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猿田彦の活躍 | 伊勢国統一・天細女との結婚 | |||
倭国・ヒノモト合併交渉 | 鵜茅草葺不合尊の生涯 | |||
銅鐸について | 銅鐸は三輪山山頂から昇る太陽の姿で祭器となる。 | |||
第1代神武天皇 | 大和朝廷成立 | 二大国(ヒノモト・西倭)の合併、 それを裏付ける考古学的事実 |
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安芸国の謎 | 安芸国の成立過程 狭野命(神武帝)は東倭から安芸国を譲り受ける。 |
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神武天皇東遷開始 | 神武天皇の誕生から波見港出航までの伝承 | |||
神武天皇日向発港 | 波見出航から美々津出航までの伝承 | |||
神武天皇と北九州 | 神武天皇の北九州巡回伝説 | |||
瀬戸内海経路山口県下の伝承 | 山口県下の滞在伝承 | |||
安芸国埃宮 | 安芸国での行幸伝承 | |||
吉備国高嶋宮 | 吉備国での行幸伝承 | |||
神武天皇東遷熊野迂回経路 | 狭野命は生駒山越えで大和に入ろうとしたが反対派の妨害にあったため熊野を迂回した。 | |||
神武天皇大和進入 | 狭野命は宇陀地方の豪族の協力を得て大和に侵入 神武天皇として即位した。 |
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AD100年頃 | 神武天皇即位 | 神武天皇の政策と綏靖・安寧・懿徳三天皇の即位 | ||
三天皇即位 | 綏靖・安寧・懿徳三天皇の即位年特定 | |||
綏靖天皇 | 綏靖天皇の事績 | |||
安寧天皇 | 安寧天皇は中国に人を派遣し新技術を学ばせた | |||
懿徳天皇 | 出雲の人々の関東開拓 | |||
孝昭天皇 | 即位時の戦乱と出雲系の神の祭祀 | |||
孝安天皇 | 倭の大乱勃発 | |||
新羅建国 | 新羅は二つある。倭の領域内に建国される。 | |||
百済建国 | 扶余の子孫が百済を建国 | |||
倭の大乱 | 倭の大乱年代推定 | 大乱関連伝承の年代推定 | ||
孝霊天皇とその皇子たち | 孝霊天皇の妃・皇子の出自 | |||
孝霊天皇伯耆遠征 | 孝霊天皇は伯耆国に派遣された | |||
孝霊天皇即位 | 孝安天皇崩御と孝霊天皇即位 | |||
吉備津彦温羅退治 | 岡山の桃太郎伝説 | |||
月支国王来襲 | 月支国出雲に襲来 | |||
吉備津彦讃岐訪問 | 讃岐の桃太郎伝説 | |||
大倉山の決戦 | 倭の大乱勃発 | |||
鬼林山の決戦 | 皇后細姫の死 | |||
鬼住山の決戦 | 鶯王の戦死 | |||
吉備津彦出雲侵入 | 出雲振根戦死 | |||
孝霊天皇出雲侵入 | 倭の大乱最大の決戦 | |||
幼少時の卑弥呼 | 百襲姫の誕生と讃岐国への派遣 | |||
和平交渉、百襲姫、卑弥呼就任 | 倭の大乱終結。百襲姫、大物主神の妻(卑弥呼)となる | |||
卑弥呼の活躍 | 大乱後の改革 | 大乱の講和条件として吉備国を中心に新しい祭祀が始まる。 | ||
孝元天皇・開化天皇 | 孝元天皇は雀部臣から出た。 | |||
卑弥呼年表 | 卑弥呼就任から没までの年表 | |||
卑弥呼祭祀体制の強化 | 海外技術の導入と情報収集・国内祭祀の強化 | |||
伽耶諸国の体制強化 | 卑弥呼は強大化する新羅に対抗するために伽耶諸国を強化した。 | |||
百済登場 | 卑弥呼は逃避行してきた百済に領土を割譲した | |||
帯方郡設置 | 公孫氏は帯方郡を設置し倭国に対して圧力をかけてきた。 | |||
纏向に都を作る | 倭国最初の都市建設 | |||
伽耶諸国と新羅との戦い | 卑弥呼の新羅対策 | |||
天日槍命来日 | 天日槍命の来日。 | |||
大田田根子大物主神を祀る | 卑弥呼の神格化 | |||
天照大神の誕生 | 国を安定させるには統一の神が必要だった。 | |||
卑弥呼魏への朝貢 | 卑弥呼が魏に朝貢した理由 | |||
第10代崇神天皇 | 天の岩戸 | AD247年3月23日日没時皆既日食が起こった。 | ||
武埴安彦の乱と卑弥呼の死 | 武埴安彦は卑弥呼の死後乱を起こした | |||
四道将軍 | 四道将軍が地方に派遣された | |||
邪馬台国への行程 | 魏張政来日 | |||
古墳時代の始まり | 方墳は素盞嗚尊祭祀者の墓 前方後円墳は国造の墓で三輪山から昇る太陽の姿 三角縁神獣鏡は三輪山のシンボルを強調したもの |
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崇神天皇 | 崇神天皇の朝鮮半島政策 | |||
三種の神器について | 三種の神器の由来 | |||
豊城入彦東国派遣 | 東国に派遣された豊城入彦の活躍 | |||
第11代垂仁天皇 | 垂仁天皇の年代 | 垂仁天皇時代の出来事 | ||
第12代景行天皇 | 景行天皇の年代 | 景行天皇時代の出来事 | ||
景行天皇の九州遠征 | 景行天皇九州巡幸の詳細 | |||
日本武尊征西 | 日本武尊の生誕から九州遠征 | |||
日本武尊東征 | 日本武尊の東国遠征と死 | |||
成務天皇 | 中央集権国家の確立 | |||
第14代仲哀天皇 | 4世紀の東アジア情勢 | 4世紀の大陸諸国家の興亡と倭とのかかわり | ||
仲哀天皇 | 仲哀天皇の事績 | |||
神功皇后 | 神功皇后年代推定 | 応神天皇の即位年の推定 | ||
神功皇后熊襲征伐 | 仲哀天皇の弔い合戦 | |||
神功皇后大陸交渉 | 神功皇后の応神天皇誕生までの行動 | |||
神功皇后富国強兵策 | 海外派兵可能な倭国軍の創設 | |||
倭国軍初陣 | 第一次新羅遠征 | |||
第15代応神天皇 | 応神天皇即位 | 第二次新羅遠征及び忍熊王の反乱 | ||
応神天皇時代の年代推定 | 日本書紀の記事と外国記事との照合 | |||
応神天皇時代の出来事 | 応神天皇と大陸とのかかわり | |||
高句麗との戦い | 好太王碑文の解釈 | |||
第16代仁徳天皇 | 倭の五王の年代推定 | 倭の五王とは誰か | ||
阿知使主の謎 | 阿地使主渡来時期の矛盾点 | |||
武内宿禰の謎 | 武内宿禰は世襲名である。 | |||
仁徳天皇 | 宋への朝貢と、朝鮮半島進出 | |||
履中天皇 | 飛騨王家廃止と朝鮮半島制覇 | |||
反正天皇 | 短命の天皇 | |||
允恭天皇 | 半年一年暦の復活 | |||
安康天皇 | 安康天皇暗殺 | |||
雄略天皇 | 高句麗の侵攻による百済の滅亡と再興 | |||
清寧天皇 | 短命の天皇と後継者選定 | |||
顕宗・仁賢天皇 | 逃避行していた皇位継承者 | |||
武烈天皇 | 飛騨王家の歴史の記録 | |||
継体天皇即位 | 継体天皇即位前紀 | |||
継体天皇 | 新羅の侵攻と金官加耶国滅亡 | |||
安閑・宣化天皇 | 安閑・宣化天皇即位事情 | |||
欽明天皇 | AD562年任那滅亡過程の詳細 | |||
敏達天皇 | 任那復興作戦と隋の建国 | |||
用明天皇 | 仏教公伝と物部氏と蘇我氏の確執 | |||
饒速日尊の抹殺 | 仏教の広まりにより饒速日尊は抹殺されることになった。 | |||
崇俊天皇 | 崇峻天皇暗殺 | |||
推古天皇年表 | 推古天皇時代の出来事 | |||
推古天皇 | 任那の復興・聖徳太子の活躍 | |||
舒明天皇 | 朝鮮半島諸国の唐への朝貢合戦始まる | |||
皇極天皇と大化の改新 | 大化の改新 | |||
孝徳天皇 | ||||
斉明天皇 | ||||
天智天皇 | 白村江の戦い | |||
壬申の乱と弘文天皇 | ||||
天武天皇 | ||||
持統天皇 | ||||
文武天皇 | ||||
元明天皇 | ||||
古事記・日本書紀の編纂 | ||||
第四章 | まとめ | 古代史の復元に関して |
各人物推定年表