大己貴命の登場

 素盞嗚尊はBC18年頃、伊弉冊尊を連れて一度出雲に戻った。伊弉冊尊は鉄鉱石の産地を探すためであり、素盞嗚尊は須勢理姫の結婚相手、すなわち第二代倭国王を見つけるために出雲に戻ったのである。出雲に来た伊弉冊尊はしばらくは佐太神社の地に滞在していたようである。素盞嗚尊はBC5年頃からAD18年頃まで約20年間ほど出雲を留守にしていた。途中で何回か戻っているとは思われるが、ほとんどいなかったことは間違いない。この間出雲を統治していたのは、出雲王家の天冬衣命であろう。

 須勢理姫は素盞嗚尊が朝鮮半島から戻ってきてしばらくして誕生したと思われる。母は神大市姫で誕生時期はBC5年頃であろう。AD18年頃には20歳を過ぎていたと思われる。須勢理姫はかなり我の強い人物だったらしく、また、結婚相手にはいろいろと厳しい条件が付けられ、簡単には決まらなかったのであろう。

 素盞嗚尊が出雲の須勢理姫がいる須佐神社の地に戻ると、須勢理姫にはすでに好きになった人物がいた。大己貴命である。

 第二代倭国王の誕生

 大己貴命はBC5年頃、出雲王家の天冬衣神の子として杵築周辺で誕生している。大己貴命には多くの兄がいて、末子であった。出雲王家はBC108年漢の武帝が朝鮮を滅ぼした時、 其の難を逃れてきた人々の末裔と思われる。素盞嗚尊が幼少のころ父であるフツは出雲王家の淤美豆(オミズヌ)の世話になった。素盞嗚尊と淤美豆の子である天冬衣命とは友人関係にあっ たようで、色々な事に協力し合っていた。素盞嗚尊が八岐大蛇を退治する時も協力していた。素盞嗚尊が出雲国を建国した時、出雲国に加盟している。其の天冬衣命の子が 大己貴命である。出雲王家の後継者であると同時に大変な知恵者で、周辺地域の農業改革や病人への アドバイスなどを行っており、出雲では其の知恵を頼りにされていた。

 島根県下の大国主伝承地

多根神社 掛合町 大己貴命と少彦名命が、諸国を巡業した時、所持していた稲種をこの地の人々に与えた処から始め「種」と云ったが、「多根」に改められた。
加多神社 大東町 農耕拓殖の旧蹟地
虫野神社 松江市福原 大己貴命が久しく留まり田畑を害する害虫を除いた功績を尊んで祀った
佐比売山神社 掛合町 大己貴命が国土経営の時に佐比売山の麓に池を穿ち、田畑を開き農事を起こし民に鋤鍬の道を授けられた。

 大己貴命関連伝承地はこのように農業関連が多い。研究者肌の知恵者と云った感じである。大己貴命の功績は諸国に農業技術を広めたと云ったところであろう。AD10年頃より20年頃にかけての伝承と思われる。

 素盞嗚尊が九州統一をしていたAD10年頃には因幡国の方にも訪れ困っている人々(因幡の白兎)を助けたり生産力向上に努めたりしていたようである。彼も国家統一事業に協力していたのである。この時、鳥取市河原町曳田の賣沼神社の地に住んでいた八上比賣を娶った。八上比賣は近郷では有名な美女で、兄神が求婚したが、彼女は付き添ってきていた大己貴命の方を選んだ。大己貴命はしばらくこの地に住んでいて、二人の間に御井神が誕生した。因幡国を倭国に加盟させるのに成功した。(AD15年頃であろう)
 賣沼神社関連伝承地
倭文 大己貴命が恋文を書いた場所
袋河原 大己貴命が、担いでいた袋を捨てた場所
円通寺 二神が結婚した場所

八上姫神社伝承・・・神代の昔、大己貴命(大己貴命)と恋に落ちた因幡の国(鳥取県)の八上姫(ヤガミヒメ)は、大己貴命を慕ってはるばる出雲の国へと旅に出たという。厳しい旅の途中、南の山の谷あいに湯(斐川町湯の川温泉)が湧き出ているのを見つけけた八上姫は、旅の疲れをその温泉で癒し、いっそう美しい神になったと伝えられる。
 因幡国も落ち着いてきたので、大己貴命は次の任務のため出雲国に戻ることになった。出雲に戻った大己貴命は困った人々を知恵で助けていた。この姿を見て、素盞嗚尊の末子須勢理姫は大己貴命が好きになって、大己貴命に激しく求婚した。須勢理姫は激しい性格のようで思ったことは一途に行動したようである。末子である須勢理姫と結婚する相手は第二代倭国王となるので、父の素盞嗚尊はその人物が気になり、安心院から戻ってきて大己貴命に色々と難題を吹っ掛けたが大己貴命は須勢理姫の助けを借りてそれを乗り切った。素盞嗚尊はスセリ姫の婿を大己貴命とすることを認め大己貴命に大国主命と名付けた。大己貴命は須勢理姫と結婚することとなった。(AD20年頃)
 一人になった八上姫は暫らく後、大己貴命を追って出雲にやってきて、湯の川温泉の地に住んだが、須勢理の嫉妬の念が強く、八上姫はいたたまれなくなり、因幡国に帰ってしまった。

 大己貴命は神話の中でも素盞嗚尊の娘である須勢理姫の夫として、いきなり出現する。古事記では天冬衣命の子となっている。天冬衣神は素盞嗚尊の八岐大蛇退治のとき共に協力した人物である。素盞嗚尊よりもむしろ年上ではないかと思われる。吉田大洋氏著「謎の出雲帝国」においては、大己貴命はクナト大神の子として扱われ、クナト大神は出雲国の創始者となっている。素盞嗚尊はよそ者あつかいである。
 この違いは何が原因なのだろうか?次のように仮説を立ててみた。
素盞嗚尊がヤマタノオロチを退治する頃の出雲は、小国家がいくつか存在している状態であった。そのなかの有力豪族がヤマタノオロチで、クナト大神もその豪族の一人ではなかったのだろうか。クナト大神は現在の出雲大社あたりを支配していた小国家の国王でヤマタノオロチと対立関係にあった。そのため、素盞嗚尊はヤマタノオロチを退治するにあたって、クナト大神に相談し、大神から協力を得たのではないかと考える。
 素盞嗚尊が出雲国王になって出雲国内を巡回するとき、クナト大神がその道案内をしてクナト大神は道案内の神として全国に祭られるようになった。このクナト大神=天冬衣命と考えれば、古事記と「謎の出雲帝国」がつながるのである。
 そうすれば、よそ者の素盞嗚尊に対して大己貴命は正統な出雲の大神となり、後世大己貴命が出雲で素盞嗚尊以上に祀られる要因になったと考えることができる。

 大己貴命は,素盞嗚尊の末子である須勢理姫と仲良くなり,結婚しようとした。彼は素盞嗚尊と性格が余りにも異なり,おとなしくて,研究者肌だったようである。 素盞嗚尊はこれを嫌い,須勢理姫と結婚させるための条件として,いろいろと難題を吹きかけたようである。

 素盞嗚尊にとって大己貴命は出雲朝廷の嫡子であるから、出雲王家と婚姻関係になる。出雲王家は、出雲王家=倭国王ということになるので、この婚姻は乗り気であった。しかし、その性格が巨大連合国家となった倭国を統治するにはあまりにも穏やかであることが気になって仕方がなかったが、須勢理姫の気持ちがあまりにも強く、それを覆すことができなかった。そして、大己貴命と須勢理姫は結婚することになった。AD19年頃であろう。

 大己貴命は第二代倭国王大国主命となった。

 大国主関連伝承地

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