濃尾平野の開拓

 濃尾平野統一関連地図

 美濃国

 宮  神社  住所  祭神  関連 創始  備考
一宮 南宮大社 岐阜県不破郡垂井町 金山彦命 神武 金山彦大神を主祭神にまつり、全国の鉱山、金属業の総本宮として古くから信仰を集めている
二宮 伊富岐神社 岐阜県不破郡垂井町岩手字伊吹1484-1 多多美彦命(天火明命説あり) 不詳 伊福部の名の由来を「火吹部」とする考えもあり、天火明命に率いられた技術者集団が当地に居住したものだろう。とにかく、伊富岐神ということだ
二宮 大領神社 岐阜県不破郡垂井町宮代765番地 不破郡大領宮勝木實命 715 宮勝木實は、壬申の乱の際、大海人皇子(天武天皇)の命で、不破道(不破関付近)に出兵した人物。功績により、不破郡の大領になったという
三宮 多岐神社 岐阜県養老郡養老町三神町406-1 倉稻魂神、素盞嗚命 和銅 古代、この地域を支配した多芸氏の祖神を祭ったという
三宮 伊奈波神社 岐阜県岐阜市伊奈波通り1-1 五十瓊敷入彦命 景行 五十瓊敷入彦命は朝廷の命により奥州を平定したが、五十瓊敷入彦命の成功を妬んだ陸奥守豊益の讒言により、朝敵とされて現在の伊奈波神社の地で討たれたという。

 尾張国

 宮 神社  住所  祭神  関連  創始   備考
一宮 真清田神社 愛知県一宮市 天火明命 不詳 尾張氏の一部が尾張国中嶋郡に移住した時に、祖神である天火明命を祭ったのが起こりである。天火明命は天孫瓊々杵尊の御兄神に坐しまし国土開拓 、産業守護の神として御神徳弥高く、この尾張国はもとより中部日本今日の隆昌を招来遊ばされた貴い神様である。
一宮 大神神社 愛知県一宮市 大物主神 不詳 祭神は大物主神であるとされており、これは、奈良県桜井市の大神神社の神と同神であるという伝承によるものである.大神神社と真清田神社を相殿として一宮としたと伝える
二宮 大縣神社 愛知県犬山市宮山3 大縣大神 垂仁 大縣大神は、尾張国開拓の祖神である。国狭槌尊
三宮 熱田神宮 愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1 素盞嗚尊 景行 祭神は熱田大神(あつたのおおかみ)であり、三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ。天叢雲剣)を神体としている
尾張大国霊神社 愛知県稲沢市国府宮1-1-1 尾張大国霊神 神代  尾張地方の総鎮守神、農商業守護神、厄除神として広く信仰されている。
 当社は奈良時代、国衙(こくが)に隣接して御鎮座していたことから尾張国の総社と定められ、国司自らが祭祀を執り行う神社であった。
 尾張人の祖先がこの地に移住開拓し、その日その日を生きていく糧を生み出す根源である国土の偉大なる霊力を神として敬い、尾張大國霊神としてお祀りしたのであります。
針綱神社 犬山市大字犬山字北古券65-1 尾治針名根連命 太古よりこの犬山の峯に鎮座せられ東海鎮護、水産拓殖、五穀 豊饒、厄除、安産、長命の神として古来より神威顕著にして士農工商の崇敬殊に厚く 白山大明神と称えられ濃尾の総鎮守でありました。

三河国

 宮 神社  住所  祭神  関連  創始  備考 
一宮 砥鹿神社 愛知県豊川市 大己貴命 大宝  東海地方の総鎮守.本宮山は古代から信仰の対象であり、山頂付近には多くの磐座らしきものも多い。
 神代大己貴命は国土を開拓し、諸国を巡幸されて 但馬国朝来郡赤淵宮にお移りになって、更に東方三河国に向かわれたとあり、社伝にはその後命は「本茂山(ほのしげやま)」(本宮山)に留まって、この山を永く神霊を止め置く所「止所(とが)の地」とされたとある。
二宮 知立神社 愛知県知立市西町神田12 鵜草葺不合尊・彦火火出見尊・玉依比賣命・神日本磐余彦尊 景行 日本武尊が東国平定の際に当地で皇祖の神々に平定の祈願を行い、無事平定を終えた帰途に、その感謝のために皇祖神を祀ったのに始まる
三宮 猿投神社 愛知県豊田市猿投町大城5 大碓命 仲哀 大碓命が主祭神とされたのは近世以降で、それ以前は猿田彦命、吉備武彦、気入彦命、佐伯命、頬那芸神、大伴武日命など諸説あった。元々は猿投山の神を祀ったものとみられる。
四宮 石巻神社 愛知県豊橋市石巻町字金割1 大己貴命 不詳 神郷は、石巻山参道付近の集落である。現在の読みは「ジンゴウ」であるが、40年ほど前まで「みわのさと」と読んでいた.ほかにも三輪川がある。そして、石巻神社の祭神は奈良の三輪神社と同じ「オオナムチ」である。『三輪神社縁起書』に、「三河石巻神社」という記載がある
御津神社 愛知県宝飯郡小坂井町小坂井宮脇2 大國主命 大國主命は船津大明神として祀られているが全国の船津大明神は建御雷命(饒速日尊)であることが多い。

 濃尾平野統一関連伝承地地図

 鉄生産

 近江国を統一した饒速日尊は関ケ原周辺で鉄生産を開始したようである。日本の踏鞴製鉄は、塊錬鉄製鉄法であるとされる。トルコ→インド→ミャンマー→雲南→揚子江(長江)の江南人へと伝わった製法で、秦徐福一族が日本列島にもたらせたのではないかと推定している。踏鞴製鉄によりできた鉄は不純物を多く含むので、加熱して折り返し打撃して不純物を除去する作業が必要になる。

 伊吹山周辺は赤鉄鉱が多く、赤鉄鉱の溶融温度は900℃程度とされており比較的低い。さらに、伊吹山周辺は風が強い地域で古代製鉄には最適の地域であった。この当時の鉄生産は出雲で始まったが、ヒノモトには本格的な製鉄はなく、伊弉諾尊が淡路島で生産してそれを分配してもらう体制であったが、やはりヒノモト国内での鉄生産が必要であった。そういった点から饒速日尊は製鉄技術者をかき集めて、この地域で鉄生産を始めたと考えられる。この製鉄の跡が伊吹山周辺に点在しており、この製鉄を組織化したのが饒速日尊ではあるまいか。伊富岐神社の周辺地に技術者集団を移住させ。本格的な製鉄を行ったと考える。

 その拠点が伊富岐神社や南宮神社の地であるといえる。近江国を統治した天御影命も鍛冶の神(天目一箇神)と同一神とされており、鉄生産を指示したものと考えられる。

 美濃国開拓

 饒速日尊自体の美濃国開拓伝承は見つかっていない。しかし、賀茂氏による開拓伝承は数多い。美濃国は飛騨国と隣り合わせの地域であり、飛騨国の影響を強く受けていると考えられる。飛騨国の人々の中には饒速日尊の国土開拓には反対する勢力も存在したと考えられる。これが原因で後に美濃国の戦いが起こって、天稚彦が戦死している。

 そういった事情もあり、反対勢力を武力で制圧することはしなかった饒速日尊は、反発を受けないためにも、この地方開拓を飛騨国直系の賀茂氏に任せたのではあるまいか。その調整は大山祇命が行ったのであろう。AD38年ごろのことである。

 この周辺を本格的に開拓したのは神武天皇が即位し、大和朝廷が成立してからである。大和朝廷成立後高倉下命がこの地を開拓している。尾張氏の始まりである。それまでは飛騨国を意識しながらの開拓であったと思われる。

 賀茂氏関連式内社

加毛神社 祭神 神別雷命 岐阜県安八郡輪之内町下榑字東井堰13017

 古代国造時代開化天皇の皇子、鴨君彦坐王の子、神大根王が美濃国の国造となり、その子孫は西南濃地方に繁行した。よって、開拓者たちは、鴨氏の祖神を奉斎 した。

縣主神社 祭神 彦坐王 岐阜県美濃加茂市太田町字宮ノ内1155
 飛騨川、木曽川、津保川に沿って開けた平地の中心に鎮座、古代東山道がこの地より木曽川を渡り、また飛騨路もここを通ったと推定される。大和朝廷の直轄地であり、統轄した鴨県主が祖神を祀ったものである。

坂祝神社 祭神 正勝大山祇大神 岐阜県加茂郡坂祝町酒倉字加茂山1507-2 

大山神社 祭神 大山祇神 岐阜県加茂郡富加町大山218 

 思兼命美濃国へ

 饒速日尊は、近江国野洲宮で近江国を経営していた思兼命を美濃国へ呼んだ。その赴任地は美濃加茂市の星宮神社の地と推定する。

 思兼命は徐福系の高皇産霊尊の長子で、智勇に優れた人物であったようである。美濃国は飛騨国との関係で経営の難しい地域であり、知恵のある思兼命を抜擢したものと考えられる。美濃・飛騨地域は高皇産霊神をまつる神社が多く、思兼命の活躍がうかがわれる。思兼命がこの地にいたのはAD38年からAD55年ごろまでと推定。この後信濃国阿智村に移動し、そこで亡くなっている。

 尾張開拓

 饒速日尊(火明命・物部)の神社が多いのが美濃国西側である。東側にはほとんど存在しない。東側は賀茂氏関連神社が多い。饒速日尊は美濃国の西側を巡回し、尾張国に進んだものと考えられる。その経路を推定してみると

1 南宮神社 岐阜県関市志津野136番地
2 伊富神社 岐阜県安八郡安八町牧905番地
3 不破神社 岐阜県大垣市墨俣町上宿348番地の1
4 真清田神社 愛知県一宮市真清田一丁目2番1号
5 大縣神社 愛知県犬山市字宮山3番

 火明命を祭神とする神社をつないでみると上のような経路が浮かび上がってくる。徐々に西から東へと移動している。おそらく、この経路で拠点を作りながら周辺を巡回していったのであろう。

 尾張国には饒速日尊(大物主神)統一伝承を持つ神社が複数存在している。一宮の真清田神社で尾張国をはじめとする中日本一帯の開拓をした人物とされている。また、大縣神社では尾張国開拓の祖神とされている。一宮の真清田神社及び二宮の大縣神社の地を拠点として一帯の開拓指示をしていたと考えられる。

 三河国開拓

 饒速日尊は、三河国では一宮の砥鹿神社に大己貴命としてまつられているようである。伝承では

神代大己貴命は国土を開拓し、諸国を巡幸されて 但馬国朝来郡赤淵宮にお移りになって、更に東方三河国に向かわれたとあり、社伝にはその後命は「本茂山(ほのしげやま)」(本宮山)に留まって、この山を永く神霊を止め置く所「止所(とが)の地」とされた

 と伝えられている。この伝承中但馬国赤渕宮は赤渕神社(兵庫県朝来市和田山町枚田上山2115)の地と推定され、饒速日尊はAD33年ごろ、但馬国を統一しているので、その伝承とつながったものと判断される。

 饒速日尊滞在推定値は次の通り、

二本木八幡社 祭神 天照國照日子火明命 安城市緑町1-27-4

七所神社 祭神 饒速日命 岡崎市百々町字池の入28

石座神社 祭神 天照國照日子火明命  愛知県新城市牛倉菅沼30

石巻神社 祭神 大己貴命 愛知県豊橋市石巻町字金割1

 砥鹿神社、石座神社、石巻神社はいずれも三河湾の奥にある神社で周りの人々の信仰の熱い由緒のある神社で、三河湾の周辺に長期滞在していたものと推定される。

 

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遠江・駿河国巡回
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