素戔嗚尊の生涯(年表)
西暦 | 年齢 | 出来事 |
BC37年 | 高句麗始祖朱蒙布流国滅亡させ、高句麗を建国 父布都御魂、日本列島へ船出する。 |
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BC35年頃 | 0 | 素戔嗚尊、島根県出雲市塩津町石上神社の地で誕生。誕生後沼田郷に移動。 |
BC30年頃 | 5 | 布都御魂、出雲王八束水臣津野命と協力し韓国より先進技術を導入(国引神話) |
BC20年頃 | 15 | 斐川町出西の久武神社の地に居住 奥出雲地方を訪問し稲田姫と知り合う。 |
BC18年頃 | 17 | 稲田姫と結婚し久武神社近くの稲城の森で新婚生活を送る。 ヤマタノオロチが稲田姫を奪う。 ヤマタノオロチを木次の八本杉の地で殺害し稲田姫を奪い返す。 八重垣神社の地に隠れ住む |
BC15年頃 | 20 | 出雲国を建国し須我神社の地を都とする。 出雲国内を巡回する。 合議制の政治体系を確立する。 |
BC12年頃 | 23 | 対馬に赴き対馬国を建国。朝鮮半島への足掛かりを作る。 日本列島統一を決意。統一国家の名称を倭国とする。 |
BC10年頃 | 25 | 朝鮮半島に赴き先進技術を取り入れる。 中国山地を超え鞆の浦に瀬戸内海地方統一の拠点を作る。 |
BC5年頃 | 30 | 瀬戸内海沿岸地方を巡回し、先進技術を示し次々と倭国に加盟させる。 |
AD1年頃 | 35 | 瀬戸内海沿岸地域が統一される。 大分県宇佐地方を統一し、以後の九州統一の足掛かりとして宇佐地方に拠点を移す。 |
AD3年頃 | 37 | 大分川大野川流域地方の統一 |
AD4年頃 | 39 | 土佐地方の統一 |
AD5年頃 | 40 | 北九州主要部の戦乱を収め、北九州地方の統一完了 高皇産霊神との協力体制を確立。 |
AD10年頃 | 45 | 南九州地方統一に出発。宮崎の加江田にいた伊弉諾一族と出会う。 伊弉諾一族の娘日向津姫と結婚。 |
AD11年頃 | 46 | 伊弉諾一族の協力を得て、都城一帯を統一。拠点を東霧島神社の地に移す。 |
AD12年頃 | 47 | 鹿児島県国分地方一帯を統一し、拠点を鹿児島神宮の地に移す。 |
AD15年頃 | 50 | 拠点を再び安心院の地に遷し、ここに倭国の都とし、倭国の統治体制を固める。 伊弉諾命、伊弉冊命を伴って近畿地方統一に出発。 |
AD17年頃 | 51 | 山城盆地、近江盆地一帯の統一。 大阪湾岸地方の統一に失敗。 紀伊半島に回る。 |
AD20年頃 | 55 | 倭国の基礎固めを決意 伊弉諾命は紀伊半島の統治。 素戔嗚尊出雲に戻り、大国主命に対して越国統一を命じる。 伊弉冊命は出雲で製鉄事業を始める 安心院に帰還 大阪湾岸地方を統一するためにマレビト作戦を実行することとし、饒速日尊にマレビト集めを依頼 |
AD25年頃 | 60 | 伊弉冊命出雲で亡くなる。 素戔嗚出雲帰還。大国主命に第二代倭国王を譲る。佐田神社の地で隠棲する。 饒速日尊率いる天孫降臨団九州を出発 |
AD27年頃 | 62 | 出雲市唐川地区で製鉄作業を指導 |
AD30年頃 | 65 | 素戔嗚尊死去(製鉄中の事故と思われる) 唐川地区に埋葬 |