飛騨国訪問

35代上方様(天照大神=ウガヤ朝第67代春建日姫天皇)の時代

飛騨国統一関連地図

飛騨における饒速日尊 

 飛騨国祭祀の中心が飛騨国一宮水無神社である。

飛騨国一宮水無神社祭神
主祭神は水無大神と言われているが、この神は誰なのか一般に言われているのが、「御歳神」、「天火明命」、「大己貴命」、「神武天皇」、「八幡神」、「大歳神」である。水無神社の本宮が大森神社であったという村の伝承が残っている。この大森神社が宮川の氾濫で八幡社と合併されたのが水無神社であると言われている。この大森神社の祭神は大歳神である。これから判断すると、水無神社の主祭神は大歳命(饒速日尊)となる。
 同様に考えると式内社8社の内4社が饒速日尊と思われる神を祀っていることになる。また、飛騨国最初の国造は天火明命(饒速日尊)の子孫であることから考えると飛騨国も饒速日尊が統一したということが推定できる。しかしながら式内社は通常弥生遺跡とかかわる地にあることが多いが、この飛騨国では縄文遺跡内に存在しているものが多く、その縄文遺跡は乗鞍岳或いは位山が見える位置にある。創始年代が不詳の神社ばかりで、一度廃れてしまった神社も多い。このことは、神社祭祀が継続されなかったことを意味し、これも他の国と異なる点である。

飛騨国造関連系図

天火明━━天香語山━━━天村雲━━━天忍人━━━━天登目━━━━建登米━━━━建宇那比━━━建諸隅━━━━━倭得魂彦━━━━彦与曽━━━━━大八埼
(饒速日尊)                                                                (初代飛騨国造)
                 ┏神八井耳━━━武宇都彦━━━武速前━━━━孝元天皇━━━開化天皇━━━━崇神天皇━━━━垂仁天皇━━━━景行天皇━━━成務天皇
            神武天皇━┫
                 ┗綏靖天皇━━━孝昭天皇━━━孝安天皇━━━孝霊天皇
             

 ピラミッドと饒速日尊との関係

 縄文祭祀は太陽信仰なので、その最高神は太陽神(天照大神)となる。巨石祭祀が確認されている日本ピラミッドに於いて位山は水無神社の御神体でその祭神は大歳神(饒速日尊)と考えられ、愛知県の石巻山ピラミッドは三輪山とも云われており、石巻神社の祭神は大己貴命(饒速日尊)と考えられる。また、東谷山ピラミッドの神社は尾張氏の氏神であり、これも饒速日尊がその祖神である。京都府の日室ヶ嶽は近くの籠神社でも明らかなように饒速日尊と深いかかわりを持っている。また、奈良の三輪山は饒速日尊の御陵と考えられている。東北地方は確認していないが中部・近畿地方のピラミッドと思われる山はそのほとんどが饒速日尊と深いかかわりを持っていることになる。饒速日尊は縄文人の祭祀を取り入れていることになる。

 縄文人の祭祀は太陽祭祀なので、その対象の神は天照大神となる。饒速日尊の神社における正式名称は「天照国照彦火明櫛玉饒速日尊」とよばれ、天照大神と一体化しているのである。秀真伝においては飛騨の天照大神は男神であると言われている。位山は天照大神の御神陵と言われているが、位山は水無神社の御神体であり、この神社の祭神は饒速日尊と考えられ、饒速日尊=天照大神の図式が生まれる。
 飛騨高天原の最高の霊地と考えられるのが乗鞍山頂の乗鞍本宮と思われるが、ここの祭神は五十猛大神、天照御大神、大山津見大神、於加美大神で、大山津見大神、於加美大神は饒速日尊と思われ、天照御大神は縄文本来の神と饒速日尊が重なったものではないだろうか。五十猛大神は日抱と伊太祁曾がよく似ている事と、縄文祭祀を抹殺する流れから、飛騨高天原伝承にある通り、後で付け加えられたのではないだろうか。
 また、日輪神社では天照皇大御神、倉稻魂大神、火武主比大神、奥津日子大神、奥津比女大神が祭られているが、火武主比大神はホムスビ神=カグツチ=愛宕神である。カグツチ(ホムスビ)を祀る神社にオオヤマツミ・タカオカミ・イカズチと、カグツチを同神扱いしている社が見られ、オオヤマツミ=カグツチもしくはホムスビを示す社は特に多い。山形県米沢市の愛宕神社が「軻遇突智(カグツチ)命・大山祇命」。東京都港区芝の愛宕神社は「火産霊神・高竈神・大雷神」で、これは三島神社の三神の中のオオヤマツミを火産霊神の置き換えた形である。福岡県船引町の愛宕雷神社の祭神は「火産霊神・大雷神」で、ホムスビ=イカズチである。これから考えると倉稻魂大神=火武主比大神=饒速日尊となる。また、奥津日子大神、奥津比女大神は大歳神の子と言われており、飛騨高天原の中心施設の日輪神社も饒速日尊と極めて関連が深くなる。

 また、広島県の葦嶽山・弥山はともに神武天皇が訪問している伝承を持っている。もう一つの野原貝山(のうが高原)は弥山ピラミッドと対となっており、伝承にはないが神武天皇が訪問していると推定している。また、神武天皇は福山市の磐田山中腹に天津磐境という巨石による巨大祭祀施設を作っており、これも、同系統の祭祀と考えられる。神武天皇も縄文祭祀を引き継いでいると思われる。

 また、位山の伝承では位山のイチイの木から作った笏木を天皇の即位の儀式に現在まで使っているようで、その最初は神武天皇からと伝えられており、これも現在の皇室祭祀が縄文祭祀を引き継いでいることを意味している。

 以上のようなことから判断して饒速日尊は縄文祭祀を受け継いでいることが分かる。

ウガヤ王朝の中の饒速日尊

ウガヤ王朝の系図の中に饒速日尊と思われる人物が記録されている。70代ウガヤ王神心伝物部建天皇である。

ウガヤ王朝末期の系図

  (伊弉諾尊)                                   
66代豊柏木幸手男彦天皇━━児玉品万━━━━━━━足形姫┓┏70代神心伝物部建天皇┓┏天越知主尊
64代豊日豊足彦天皇━━━豊建日稚媛┓         ┣┫  (饒速日尊)  ┃┣71代百日臼杵天皇┓ ┏田鶴姫
                 ┣69代神足別豊鋤天皇┛┗御中若彦      ┃┃(高倉下)   ┃ ┣72代五瀬命
   高天原建彦┓        ┃(鴨建角身・味耜高彦根命) (天若彦)  ┣╋高見香久山尊  ┃ ┣稲飯命
 (高皇産霊神)┣┳68代宗像彦天皇┛                     ┃┣甘美内尊    ┣━╋三毛入野命
67代春建日姫天皇┛┃ (大山祇命)                      ┃┃(宇摩志麻治) ┃ ┃
 (天照大神)  ┃                             ┃┣玉島姫     ┃ ┣73代神武天皇┓
         ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━矢野姫┛┗宮媛      ┃ ┗櫛柿姫   ┃
         ┃                      (天知迦流美豆比売)       ┃        ┣綏靖天皇
         ┣真鳥風━━━━━━━━━━━━━━━早草綿守━━━━━━━━━玉依姫━━━━━┛        ┃
         ┃                  (豊玉彦)                         ┃
         ┗事代大主━━━━━━━━━━春日建櫛甕玉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━多々良五十依姫┛
          (饒速日尊)        (事代主命)                    (五十鈴姫)

 神心伝物部建天皇の人物名は物部氏の祖という意味であり、実際に饒速日尊は物部氏の祖である。また、その子高倉下、香具山尊、宇摩志麻治はいずれも饒速日尊の子である。饒速日尊がウガヤ王朝(飛騨王朝)の系図の中に組み込まれたものであろう。また、饒速日尊の子が事代主命であり、その子が神武天皇の皇后である媛蹈鞴五十鈴媛である。この系図もウガヤ王朝の中に存在しており、この系図をたどると67代ウガヤ王春建日姫天皇の子の事代大主という人物が饒速日尊に該当することになる。

 ウガヤ王朝の系図に饒速日尊と思われる人物が存在していることをどう解釈すればよいのであろうか。神社伝承では饒速日尊は素盞嗚尊の子であり、飛騨国の系統ではないが、母の神大市姫が飛騨国が関係している人物(おそらく春建日姫の妹)であり、妻の天知迦流美豆媛は飛騨国の人物(矢野姫)である。このように饒速日尊は飛騨国と大変血縁がある人物なのである。

 饒速日尊は春建日姫の養子として認定されたのではあるまいか。飛騨国を訪問した饒速日尊が飛騨の血(妹の子で甥となる)を引いており、有能な人物であり、これから日本列島を統一する人物であることを見抜いた春建日姫が飛騨国の将来を饒速日尊に託す目的で自らの養子にしたものと考えられる。

 春建日媛が饒速日尊を養子とすることにより、饒速日尊は飛騨の祭祀を受け継ぎ天照大神の称号を得ることになるのである。これが、後の時代に饒速日尊が東日本を一挙に統一できた理由にもなる。

 実際に渡来人の東進が濃尾平野で200年ほどストップしていたが、この頃一挙に弥生遺跡が東日本地域一帯に広がっている。縄文人による妨害行為が止まったためと考えられる。これも飛騨国が饒速日尊の東日本統一に協力したためであろう。

日本列島平和統一への壁

 高皇産霊尊は素戔嗚尊の倭国統一の手法を見て、先進技術こそ日本列島を平和統一するには欠かせないものだと理解した。そして、自らは新徐福の後継者であり、門外不出の先進技術を持っているのである。素戔嗚尊が楽浪郡より手に入れた先進技術に加え、自らの持つ徐福伝来の極秘技術を加えて、日本列島の平和統一に乗り出すことを決心した。

 しかし、ここで一つの大きな壁が存在していた。それが、飛騨国の存在である。飛騨国は縄文系の古来から伝わる国で、全国の縄文人たちに対して縄文連絡網を形成していた。全国の縄文人たちは飛騨国を中心としてまとまっているのである。日本列島を統一するには、この縄文人たちと戦うことも可能ではあるが、これをやってしまうと、日本列島は戦いの列島となってしまい、未来永劫平和な列島にするという目的が達成できない。あくまで、平和的に日本列島を統一しなければならないのである。

 飛騨国が数千年にわたる歴史と伝統を持っているので、飛騨国を中心として日本列島を統一する以外にないのである。外来系の人物が飛騨国に代わって平和統一することは不可能である。飛騨国が平和統一の主体となれば、平和統一は可能であると思われる。

 ところが、倭国領域(中国・四国・九州地方)は、先進技術を持って弥生系の人物が主体となって統一されてしまっているのである。このままにしておくと、いずれ飛騨国を中心とする縄文人たちとの戦いが起こることは避けられない。間違っても弥生系中心の倭国の勢力で東日本一帯を統一するわけにはいかないのである。

 そこで考えたのが、縄文人を中心として東日本地域(ヒノモト)を統一し、西日本の倭国と後継者同士の政略結婚で両国が合体するという方法である。しかし、これには飛騨国も了承していなければならないことであった。飛騨国は歴史と伝統を持っているので血筋を重視すると思われ、飛騨国の協力を得るには可能な限りの政略結婚が必要であった。

 そこで大問題となるのが東日本一帯を主体的に統一できる人物が誰であるかである。縄文人自体が統一するのであれば後に倭国との戦争になる可能性が高くなり、弥生系の人物では縄文人が承諾しないと思われる。そこで、欠かせないのは、倭国の重要人物であり、かつ、縄文系の血を強く受け継いでいる人物ということになる。これに該当する人物が饒速日尊であった。

 饒速日尊は倭国の始祖素戔嗚尊と飛騨国王春建日姫の妹と思われる神大市姫との間にできた子であり、さらに、岐佐貝姫・天道姫の二人の妻がいたが両方とも縄文系の人物であった。素戔嗚尊も倭国の後継者と考えていた人物である。倭国と縄文人とをつなぐにはこれほどの適任者はいないであろう。

飛騨国と饒速日尊の交渉

 飛騨国は縄文国家で日本全国に縄文情報網を作っていた。九州の高皇産霊尊は、日本列島を平和統一するには、飛騨国の協力が欠かせないことを知っていた。東日本地域は縄文人が暮らしている領域であり、その地域を統一するには飛騨国の全面的な協力が必要であった。

 縄文連絡網は飛騨国王家の人物しか使えないと思われるので、縄文連絡網を使って平和統一するには、高皇産霊尊の関係者で飛騨王家の血筋の人物が必要となるのである。その候補者として饒速日尊があげられる。饒速日尊は素盞嗚尊と飛騨国の娘神大市姫と結婚して生まれた子であり、饒速日尊のこの時点での二人の妻(岐佐貝姫・天道姫)は共に飛騨国王家の血筋の人物であった。饒速日尊は縄文人に近い関係にあるので、日本列島統一推進者としては最適の人物である。

 高皇産霊尊は饒速日尊を東日本地域に送り込む予定であるが、飛騨国がそれに積極的に協力するには饒速日尊が飛騨国王家の娘と婚姻関係にあることがどうしても必要であった。饒速日尊は素盞嗚尊と飛騨国の娘神大市姫と結婚して生まれた子であり、饒速日尊のこの時点での二人の妻(岐佐貝姫・天道姫)は共に飛騨国王家の血筋の人物であった。饒速日尊は縄文人に近い関係にあるので、飛騨国と直接交渉には最適の人物であった。飛騨国と血縁関係にある饒速日尊にAD15年頃飛騨国を訪問させたのである。

 AD15年頃、饒速日尊は伊予・讃岐地方を統一し、琴平を拠点として瀬戸内海地方の統治をしていた。高皇産霊尊からの命を受けて、饒速日尊は飛騨国へ向けて旅立った。

 この当時飛騨国王は飛騨伝承で天照大神(ヒルメムチ・第35代上方様)と呼ばれている人物でウガヤ朝第67代春建日姫であった。妹の神大市姫を素盞嗚尊に嫁がせたので、その子の饒速日尊のことは知っていたであろう。出雲で出雲国を建国し、周辺に国家統一を呼びかけていることも知っていたと思われる。

 飛騨国が新しく形成されている統一国家にどのように対処するかが大きな課題となっていたのである。対抗すれば滅ぼされるのは明らかであり、統一国家に併合されれば縄文国家の飛騨王家の伝統は失われてしまうのである。西日本一帯で巻き起こっている日本列島平和統一の流れにどのようにかかわっていくかは、飛騨国(縄文人)の将来に大きくかかわっていたのである。

 そのような時AD15年頃、素盞嗚尊の子である饒速日尊が飛騨国を訪問してきた。饒速日尊も戦うことなしに平和的な統一国家を作りたいと思っていた。飛騨王春建日姫も飛騨王家の伝統を守りつつ統一国家形成に協力したい思っていたのである。互いの思いのすれ違いもあり、交渉はスムーズには進まなかったであろう。

信頼関係の構築

 日本列島平和統一のためには旧勢力の思惑があり、簡単には進まない。飛騨国の勢力は日本列島統一には無視できない大きな存在であった。飛騨国を滅ぼしてしまうと、縄文人が勢力を張っている東日本地方一帯の統一が難しくなるのは明らかである。それに対して飛騨国の協力が得られれば、飛騨国王の号令のもと東日本地方一帯の統一が簡単になるのである。

 饒速日尊の母は神大市姫であり、飛騨国王の関係者で春建日姫の妹と思われる。饒速日尊は春建日姫の甥となるのであるが、倭国の使者としてやってきた饒速日尊との信頼関係を築くことを第一とした。

 饒速日尊は今後東日本一帯統一を始めるが、その時に、数多くの縄文人と接触することになる。縄文人の信頼を得るためには飛騨国の協力が欠かせないのである。そして、飛騨国の縄文祭祀を行うことも重要であった。饒速日尊自身が縄文祭祀を行えば最もよいのであるが、それを行うためには飛騨国王の血筋でなければできないことであった。

 饒速日尊は飛騨王の血を引き継いでいるので、春建日姫の養子ということになれば、縄文祭祀の主催者になることも可能であった。互いの交渉の中で饒速日尊が飛騨王春建日姫の養子となることになった。饒速日尊はウガヤ王系図では春建日姫の子である事代大主命とされている人物である。

 饒速日尊が飛騨王の養子となるには飛騨王の娘と結婚する必要があった。そこで選ばれたのが嫡子である大山祇命の娘の天知迦流美豆比売(ウガヤ朝では矢野姫・神社伝承では市杵島姫)である。饒速日尊がこの当時25歳前後であり、天知迦流美豆比売は後継者をAD40年ごろに出産していることから推定して10代前半だと思われる。年齢的に飛騨王の娘であるのは難しく、後継者の大山祇命(ウガヤ朝命では宗像彦)の娘ではないかと推定している。

 春建日姫は養子となった饒速日尊に縄文祭祀(太陽祭祀)の司祭者としての資格を与えた。これにより饒速日尊は天照大神の称号を得ることになった。飛騨国から承認された饒速日尊が東日本一帯を統一し、西日本の倭国と別の国を作ることを春建日姫は承諾した。饒速日尊は大和に降臨後国名をヒノモトとし、三輪山に太陽崇拝施設を作った。これも春建日姫の意向に沿ったものであろう。

 この交渉で、饒速日尊は東日本一帯を統一して新しい国ヒノモトを作り、その後継者同士が結婚することにより、日本列島を統一するという道筋が作られたのである。

 飛騨国が日本列島統一事業に積極的に参加し、飛騨国の勢力を残すには倭国の実態をよく知っているものが飛騨国の後継者になる必要があった。飛騨王春建日姫には後継者(皇太子)である大山祇命(宗像彦)がおり、その子に5歳程の味耜高彦根命(後の賀茂建角身命)がいた。将来、飛騨国の後継者になるべき人物である。この子を饒速日尊の養子とし、出雲国で暫らく育てることにした。

飛騨国家と饒速日尊の関係系図

                高天原建彦┓         ┏69代神足別豊鋤天皇━━━━━活玉依姫┓┏賀茂別雷命
              (高皇産霊神)┣━68代宗像彦天皇━┫(鴨建角身・味耜高彦根命)     ┣┫(天日方奇日方)
           ┏━67代春建日姫天皇┛ (大山祇命)  ┗矢野姫━━━━━━━━━━┓    ┃┗媛蹈鞴五十鈴姫
66代豊柏木幸手男彦天皇┫ (天照大神・神皇産霊神)       (天知迦流美豆比売)   ┣事代主命┛ (神武天皇皇后)
           ┗━神大市姫━━━━┓                       ┃
                     ┣━饒速日尊━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
             素盞嗚尊━━━━┛
     

  饒速日尊は飛騨国との交渉により、飛騨国王天照大神の孫である5歳になった頃の味耜高彦根命(後の神建角身命=賀茂大御神)を引き連れて、出雲に戻った。

 
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味鋤高彦根命誕生
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