饒速日尊による東日本統一伝承

 饒速日尊は東日本全域を統一していると思われるが、それを示す伝承は少ない。おそらく、後の時代饒速日尊の伝承が抹殺されたためではないかと思われる。東日本地域の一宮・二宮級の神社には出自不明の神が祀られていることが多い。一宮・二宮級の神社は後の世の国造が神社に参拝する順番を示しており、その国を統治するには重要なことであった。そこに祀られている神が全く意味のない人物と言うことは考えられず、その出自不明の神々は、その国を開発した重要人物すなわち饒速日尊の別名ではないかと推定する。

 それを示す伝承をもつ神社が見つかった。

矢田八幡神社

 祭神「應神天皇、神功皇后、武諸隅命 配 孝元天皇、内色姫命」
「崇神天皇10年。四道将軍の一人丹波道主命は勅命により山陰地方平定のため丹波国(今の丹後国)に至り、比治の真名井に館を構えられたが無事平定を祈願のため矢田部の部民を して祖神を祭らしめられ、熊野郡では矢田神社を祭祀せられた。当初の祭神は饒速日命、孝元天皇、その奥后内色姫命であったが、奈良朝に至り、当時の物部氏と蘇我氏の争いからついに物部氏亡び蘇我氏の探索は当地にまでおよび矢田部一族はそれを恐れ、宇左八幡宮を勤請して社名を矢田八幡と改めた。」
豊岡県神社神主書状一巻。(式内社調査報告による)
京都府熊野郡久美浜町大字佐野字地シワ38

 この神社の記事には饒速日尊を祭神とする神社に蘇我氏の追求が来て祭神を変更しなければならない状況が伝えられている。これが饒速日尊が抹殺された実態であろう。このために、古代史の復元が至難を極めることになる次第である。しかし、複数の神社の伝承を照合することにより、この変更された神の実態に迫れればよいとは思っている。

 神社に祭られている神々は
① はっきりと人物が特定できる神
② 同一人物が別の神名で祀られている。
③ 複数の人物の総称
④ 祭神が不明であったり間違っている
 などがあり、いずれも伝承であり、物的証拠のあるものではない。神社に祭られている神の正体を探るのは並大抵のことではない。また、その地域の人々に崇め祀られている神の名を勝手に変更するのは、あまり気が進まない。その上、複数の異説を持つ事が多く、その中の一つを採用することになる。これは、都合のよい解釈につながり、古代史の復元の方針とは合わない。そこで、各地域に祀られている神々が饒速日尊とつながる面を持っているかどうかに絞って調べてみることにする。

 大山祗神(駿河国一宮三島神社他) 

 大山祗神は素盞嗚尊の妻の稲田姫の祖父として神話に登場する神である。伊予大三島の大山祗神社では天照大神の兄として、最古と言われている薩摩の大山祗神社ではニニギ命の妻吾多津姫の父として祀られている。これらは同一人物とは考えられない側面があり、その土地の有力者(縄文人?)を大山祗神と呼んでいることがうかがわれる。しかしながら、三島神社で祀られている大山祗命は行動実績を伴っている。東日本地域の一宮級の神社の祭祀の原点を探ってみると大山祗神であることが多い。地域の土着神である可能性もあるが、これは一人の同一人物と考えてみる。
 ① 大阪府高槻市の三島鴨神社は、淀川沿いに有り、大山祇命の最初の降臨地と言われている。事代主神が三島溝杙姫(玉櫛姫)に生ました姫が姫鞴五十鈴姫で、神武天皇の妃となった。 また三島溝杙姫の父神が三島溝咋耳命、その父神が大山祇神となっている。また、この神は九州からやってきたとも伝えられている。饒速日尊は大和に侵入する時の伝説地をたどると、まさにこの周辺に上陸したと考えられる。また、伝承上他の人物で、大山祗神に該当するのはいない。このことより大山祗神と饒速日尊がつながる。
 ② 伊予国大三島の大山祗神社には「わが国建国の大神で、地神・海神兼備の霊神で日本民族の総氏神として、日本総鎮守と申し上げた。大三島の御鎮座せられたのは、神武天皇御東征のみぎり、祭神の孫小千命が伊予二名島に(四国)に渡り神地御島(大三島)に祖神大山積命を祀った。」とある。「建国の大神」とくれば、素盞嗚尊・饒速日尊が該当する。日本の総氏神・総鎮守と言うのは素盞嗚尊の活躍が西日本限定であるので饒速日尊が該当する。また、小千命の祖神は「新撰姓氏碌」によれば、「饒速日尊」である。

饒速日尊は各地を訪れた時、周辺の地勢を探るために、その周辺で最も高い山に登ったものと推察される。そのために、各地方の山に大山祇神が祀られ、「山の神」として崇拝されることになったのであろう。 

宇賀御魂大神(稲荷神社)

古事記では、素盞嗚尊と稲田姫との間に生まれ、大年神(饒速日尊)は兄としている。日本書紀では本文には登場せず、神産みの第六の一書において、 イザナギとイザナミが飢えて気力がないときに産まれたとしている。名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。 素盞嗚尊と稲田姫との間の第6子に倉稲魂命がいてこの人物だと言われている。しかし、この人物の具体的行動実績は全く伝えられていない。行動実績がないのに大々的に祭祀されているとは考えにくく、別の人物が倉稲魂命に移ったものと考えられる。
① 宇賀御魂大神は陸中国一宮駒形神社社伝「雄略天皇21年に、京都の籠神社から宇賀御魂大神を勧請して奥宮へ祀り」とある。籠神社の祭神は彦火明命で別名饒速日命である。
② 稲荷神社の総本社は伏見稲荷大社である。その聖地は稲荷山である。稲荷山頂付近は古墳が多く、稲荷信仰が始まる前にも祭祀者の子孫による古墳の祭祀があった。神として祭祀されるのはその始祖である。この付近は紀郷と呼ばれており、紀朝臣の一族が栄えた場所である。紀朝臣の祖は彦太忍信命(孝元天皇皇子)であり、母は伊香色謎命で饒速日尊6世の孫である。
③ 稲荷山信仰には「己さん」(神蛇)信仰と「験の杉」という「杉」を縁起物として参詣者が持ち帰る風習がある。これらの信仰は大神神社に古代より伝えられている信仰でもある。
④ 神奈川県の秦野に近い大山の阿夫利神社は、秦野に住み着いた秦氏が作った神社で祭神は大山祇命である。伏見稲荷大社も秦氏が創建している。

浅間大神(甲斐国一宮)

浅間大神の総本社は富士山本宮浅間大社である。この神社ができる前この位置には冨知神社が鎮座していた。神社の記録には「祭神(大山祇)は当地の地主神であり、 富士山の神であつたと思われる。現在、淺間神社が鎭座する大宮の社地は、もとは幅地明神富知神社の社地であつたという。淺間神社は平城天皇の大同年中に山宮から今の地に 移したのであつたから、大同年間以前は富知神社は大宮に鎭座していた。」と記録されており、浅間神社の大本は冨知神社である。この神社の祭神は大山祇神である。

 白山神(加賀国一宮)

白山の神を祀る神社は白山神社である。加賀国の白山比咩神社(現石川県白山市)を総本社とする。祭神は菊理媛神(白山比咩神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊 3柱としているものが多い。御前峰の奥宮には菊理媛命を、大汝峰の大汝神社には大己貴神を、別山の別山神社には白山の地主神である大山祇神をお祀り しています。大己貴神『白山之記』では本来の地主神が、白山権現に御前峰を譲って別山にお鎮(しず)まりになったとされている。 白山信仰が始まる前に白山に祀られていたのは大山祇神と言うことになり、白山神は本来は大山祇神=饒速日命であったと思われる。
 滋賀県高島郡今津町北生見21の白山神社の主祭神は「大山祇命、伊弉諾尊」であり、これを裏付けている。 

 寒川大明神(相模国一宮)

寒川大明神は太古草昧の時代、相模国・武蔵国を中心に広く関東地方を御開拓になられ、農牧・殖林治水・漁猟・商工・土木建築・交通運輸その他あらゆる殖産興業の途を授け、 衣食住等人間生活の根源を開発指導せられた所謂関東文化の生みの親神である。
① 讃岐国寒川郡に讃岐国三宮の多和神社がある。祭神は大山祇神である。
② 千葉県印西町鳥見神社記録に、「大和国鳥見白庭山に宮居した饒速日命は,土地の豪族長髄彦の妹御炊屋姫を妃とし,宇摩志麻治を産んだ。その後東征し,印旛沼,手賀沼,利根川に囲まれた土地に土着した部下が,祭神の三神を産土神として祭り,鳥見神社とした。」とあり、関東地方を開発したのは饒速日命である。

以上の点から寒川大明神は饒速日命と考えられる。

 大山咋神(松尾大社・日吉大社)

 古事記に「大山咋神、亦の名は山末之大主神、此の神は近淡海国の日枝山に坐し、また松尾に坐して鳴鏑を用つ神ぞ」これにより、両大社の神は同神であることが分かる。
① 日吉祢宜口伝抄」に「天智7年3月3日鴨賀島8世孫宇志麻呂に詔されて、大和国三輪に坐す大己貴神を比叡の山口おいて祭る。大比叡宮と曰ふ」とある。これは日吉大社の祭神は大神神社の祭神と同じということを意味し、大山咋神=大物主神となる。
② 「群書類従」日吉社の項に、「大宮。三輪同体。號大日枝。山王與三輪一躰事」とあり、これも大山咋神=大物主神であることを意味している。
③ 古事記では大山咋神は、大歳神と、天知迦流美豆姫の子であると記されている。天知迦流美豆の意味は「天を領する、生命力に満ちた太陽の女」と云う意味で、その兄弟が飛騨国日輪神社に祭られている。
④ 大山咋命は大国主命と並んで丹波地方を開拓したと伝えられている
 しかし、大山咋神は大歳神の御子とも云われており、猿田彦命の影も併せ持っている。

 国常立神(玉置神社)

小村神社(高知県高岡郡日高村下分字宮の内)の祭神は国常立神であるが、この地は高岡郡日下の庄と呼ばれ、日下氏、高丘首が住んでいた。土佐幽考に「日下氏は神饒速日命の孫比古由支命を祖とし、高岳首は同祖15世物部麁鹿火大連を祖とするとされ、その共通の祖神として国常立尊を祀った」とある。このことより「国常立神=饒速日命」が成り立つ。

 豊国主命(相模国三宮比比多神社)

 豊雲野神・豊斟渟尊と同一神と考えられている。 比比多神社の記録によれば創建は神武天皇6年のことで、人々が古くから祭祀の行われていた当地を最良と選定し、 大山を神体山とし豊国主尊を日本国霊として祀ったとある。神体山が大山であり、この山は古くから庶民の山岳信仰の対象とされており、大山講と呼ばれた。 山頂には阿夫利神社本社があり、祭神は大山祇神である。これより、豊国主尊=豊雲野神=豊斟渟尊=大山祇神=饒速日尊と云うことになる。

 日本大国魂神

 日本大国魂神は大国主命の荒魂と言われている。
①日本書紀一書には大国主神の別名として大物主神、大国魂神とある。この神は大和神社の主祭神で、現在の大神神社の摂社である狭井神社はその昔、大和神社の別宮であったと言われている。祭神は大神荒魂神である。
②国玉神社(名古屋市中川区)主祭神大物主神、尾張大国霊神社より勧請したというが、この神社の祭神は尾張大國霊神・大御霊神で尾張地方の総鎮守と言われている。
これらのことより大国魂神=大物主神=饒速日尊と考えられる。

 伊奢沙別命(越前国一宮気比神社)

 伊奢沙別命は笥飯大神、御食津(保食)大神とも云われている。 これは宇迦御魂、すなわち稲荷神の異称と言われている。宇迦御魂=饒速日尊と推察しているので、 伊奢沙別命=饒速日尊となる。また、伊奢沙別命は北陸総鎮守として崇められており、これは、北陸地方を統一した神となり、加賀国の白山神と同様に饒速日尊が その正体であることが推察される。
御食津大神は食物を主宰する神で、宇迦乃御魂神は稲の霊、大年神は稲の稔りを司る神でいずれもよく似た役割の神である。同一人物としても不思議はない。

 建御雷神・経津主神(鹿島神宮・香取神宮・春日神社)

 建御雷神・経津主神はともに葦原中国平定において天鳥船とともに葦原中国の荒ぶる神々を制圧し、建御名方神との戦いに勝利し、葦原中国を平定した神である。
① 「群書類従二十二社註式」に「石上社 延喜神祇式曰。大和国山辺郡石上坐布都御魂神 人皇十代崇神天皇。御鎮座 一座布留神也 常陸国 鹿島大神同体也」 この記事は鹿島大神=建御雷神=布留御魂神であることを意味している。布留御魂神=饒速日尊であるから、建御雷神=饒速日尊となる。
② 「古事記」には建御雷神のみで経津主神は記述されていない。しかし、建御雷神の別名に建布都神、豊布都神とあり、この二神は同神と考えられる。 
③ 福岡県田川市に春日神社があるが、ここは饒速日尊の降臨伝承地である。
春日神社はこの二神が祀られていることから春日大神も饒速日尊と考えられる。

 高良玉垂命(高良大社・筑後国一宮)

 「先代旧事本紀」・「天孫本紀」において物部氏の祖神饒速日尊は三二人の従者と二五部の物部軍団を率いて大和国へ降った記述がある。その物部軍団の本拠地は北九州の遠賀川・筑後川沿岸付近に集中している。その中心地が高良大社のある高良山と推定されている。「姓氏家系大辞典(角川書店)」によると、「筑後、当国は物部族の最初の根拠地にて、当地方の大社高良山はその宗社と考えられる」。このことから高良大社の祭神高良玉垂命も物部氏の祖神饒速日尊となる。
 また、高良大社の元の祭神は高皇産霊神で、あとからやってきた高良玉垂命に場所を譲ったと記されている。

 大縣大神(尾張国二宮)

 大縣大神は尾張国開拓の祖神で国狭槌命とも云うと記録されている。尾張国開拓の祖神は同じ尾張国一宮の真清田神社、三輪神社の祭神でも明らかであるが 饒速日尊である。国狭槌命は異説に国常立命と同神であると云うのがあり、大縣大神=国狭槌命=饒速日尊となる。

 大物忌大神(出羽国一宮)・級長津比古命(出羽国二宮)

 大物忌神は国家を守る神とされ、また、穢れを清める神ともされた。
①大物忌神は、倉稲魂命・豊受大神・大忌神・広瀬神・宇賀御魂神などと同神とされる。鳥海山大物忌神社の社伝では神宮外宮の豊受大神と同神としている。 鳥海月山両所宮では鳥海山の神として倉稲魂命を祀っている。
②広瀬神は龍田神社の風の神と同神と言われており、日本書紀では級長津彦命も風の神と言われている。伊勢神宮外宮の別宮に風宮があり、級長津比古命を祀っている。
③ 「龍田風神祭祝詞」によれば、崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祇を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建されたという。
④ 龍田大社の元宮の聖地は背後の三室山にある。この御室山は三輪山の別名でもある。
これらより、大物忌大神=級長津比古命=宇賀御魂神=饒速日尊とつながる。

 二上神(越中国一宮) 

 現在はニニギ命となっているが、本来は二上山に祀られていた神である。同じ名の大和の二上神社は豊布都霊(とよふつのみたま)神と大国魂 (おおくにたま)神を祀る。豊布都霊神が石上神宮に、大国魂神が大和神社に勧請されたという伝承がある。豊布都霊神については武雷神と同神とされる。 大国魂神は国津神の大将軍とされている。これらの神々はいずれも饒速日尊である。

 金山彦(美濃国一宮)

 製鉄の神。
① 金山彦神社 「古代の嶽山・竜田山周辺地域は製鉄業で栄えており、製鉄の守護神として奉祀されたのがはじまりと思われる。北方の高地は製鉄を営むのに最も適した 風か得られるところで、風神をお祀りしたと思われる風神降臨の聖地として御座峰が伝承されている。」。鞴が発明されていない頃は製鉄には風が欠かせないことから風の神と 金山彦がつながったのであろう。金山彦=風の神=饒速日尊となる。
②島根県邑智郡川本町に大歳金山彦神社がある。祭神は大歳命である。この神社名は大歳=金山彦を意味している。
③岡山県津山市の中山神社には、主祭神が鏡作神、相殿が石凝姥命で、社伝には「一に中山大明神または南宮と称せられる・・・金山彦命を祀る」となっている。 主祭神の鏡作神は金山彦命となり、鏡作神は鏡作坐天照御魂神社の主祭神、天火明命(ニギハヤヒ命)であるので、ニギハヤヒ命=金山彦となる。

 生島・足島神(信濃国上田)

 日本の国魂の神とされる。同一神と言われている。
①生国魂神社 祭神 生島神、足島神 神社略記によれば神武天皇が難波津に到着時石山碕(大阪城付近)に生島、足島神を祀ったのが創祀であるとしている。この石山はかっては磐舟神社があり、饒速日命の降臨の地ともされていた。 難波の聖地であった。この事実は生島神、足島神=饒速日命であることを意味している。

 高オカミ神・闇オカミ神(貴船神社)

 ① 京都貴船神社 「貴船神社の社殿の裏側の山手に岩座という3つ大きな岩があり、有史以前から岩座で祭事が行なわれていたと言われている。その昔玉依姫が、浪速の津から淀川・賀茂川をさかのぼり、船が着いた貴船の地に祠を建て、国土の安泰を願ったと言われており、その船が貴船神社の奥ノ宮にある「船形石」とも言われている。その船は黄色い船であったため、この地が「きぶね(貴船)」と呼ばれるようになったとも話がある。この貴船神社に祀られているが、高(たか)オカミの神、闇(くら)オカミの神である。高オカミ、闇オカミは同じ神で、闇オカミは谷の水、高オカミは岡の水を表しているとのこと。」
② 貴船神社の祭神は丹生川上神社の祭神と同じと言われており、また、大和神社は丹生川上神社の本宮である。このことより、高オカミ=闇オカミ=饒速日尊となる。

 ここに挙げた神々はいずれも饒速日尊と何らかのつながりが認められる神々である。しかし、他の人物の影も見えるので、完全に等しいというわけではなさそうである。 たとえば数学の集合で表すと「宇賀御魂神∋饒速日尊」と言ったところであろうか。  

 この神々の実態を元にして東日本地域の統一の具体的手順を探ってみることにする。

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