縄文後期

 

 縄文後期(4500年前~3300年前)

 縄文後期に入ると気候は寒冷化に向かい、弥生海退と呼ばれる海水面の低下がおきる。関東では従来の貝類の好漁場であった干潟が一気に縮小し、貝塚も消えていくこととなった。一方、西日本や東北では新たに低湿地が増加したため、低湿地に適した文化形式が発達していった。中部や関東では主に取れる堅果類がクリからトチノキに急激に変化した。その他にも、青森県の亀ヶ岡石器時代遺跡では花粉の分析により、トチノキからソバへと栽培の中心が変化したことが明らかになっている。その結果、食料生産も低下し、縄文人の人口も停滞あるいは減少に転じる。

 縄文晩期(3300年前~3000年前)

 日本人の誕生

 頭骨と歯の特徴から、現在の日本人は、縄文人と、弥生時代以降に大陸から渡ってきた渡来人が混血して形成されたと、されていた。今回の核DNA解析によって、国立科学博物館の神沢秀明研究員は「日本人が、縄文人と弥生系渡来人の混血という説が、DNA解読でも裏付けられた」としている。

 縄文末期の7万人ほどの縄文人と、弥生時代に大量に日本列島に上陸した弥生人との混血によって今の日本人が形成されたと考える。通常全く異なる人種が同じ地域に住んでいると、互いに争い、一方が他方を追い出すか、絶滅させるかということが起こるのであるが、日本列島ではほぼ完全な混血が起こっていることになる。

 これは、飛騨王朝に始まる縄文王朝と、弥生人が作った国が平和裏に統一されたということを裏付けるものである。大和朝廷の天皇が縄文人と弥生人の混血だからこそ、一般庶民に縄文人と弥生人の混血が抵抗なく受け入れられたのではないかと考えている。

 ここで、縄文人のDNAが12%になるための条件を単純計算をしてみる。

 BC500年に縄文人が7.6万人で、毎年弥生人が毎年n人流入し、縄文人、弥生人の人口増加率をそれぞれx1,x2とした時、AD250年に人口350万人で、縄文のDNA率が12%となる条件を探ってみた。

 この条件では縄文人の人口増加率は直接計算できて0.23%となった。遺跡分布から弥生人の毎年の流入数は50~100人程度と推定されている。流入数が毎年50人とした時の弥生人の人口増加率は0.84%、毎年100人流入したとすると、0.72%であった。

 実際は人口増加率も流入数も一様ではないのでこれはあくまでも単純計算であるが、十分にありうる数値が求められた。

 

 トップへ  目次へ 
飛騨国の誕生
関連 饒速日尊飛騨国訪問
味鋤高彦根命誕生
出雲王朝誕生