飛騨王の娘日向に下る

 賀茂建角身命の日向訪問

 賀茂建角身命は「山城国風土記」の逸文によると、日向国の曾の峰(そのたけ)に降臨したことになっている。曾の峰とは高千穂峰のことであるといわれている。AD50年頃には大和に戻っているので、AD43年頃のことで大国主命が亡くなる直前ではないかと思われる。 

 賀茂建角身命は飛騨王家関連人物で倭国と飛騨国との関係を結ぶために倭国に派遣されたと推定している。当時の倭国王大国主命と話し合う必要があり、大国主命が日向にいる時に大国主命と会談をするためにやってきたと思われる。

 これより少し前だと、日向訪問の理由がなくなり、後だと国譲り混乱が収拾するまでは動けないはずであるから、AD43年頃と推定するのである。この頃、日向津姫が西都におり、大国主命も西都にやってきていた。そのタイミングで賀茂建角身命が同じく西都にやってきたものであろう。

 賀茂建角身命が大国主命に会えたのかどうかは定かではないが、目的を達成する前に大国主命が亡くなったのである。

 倭国に大激変が起こると思われ、賀茂建角身命は倭国の今後がはっきりとするまでは帰れなくなってしまった。

 賀茂建角身命は高皇産霊神や日向津姫と会い、国譲り会議に倭国の有力者と飛騨国の娘との政略結婚を議題に乗せる様に提案し、承諾が得られた。

 賀茂建角身命との交渉

 国譲り会議によって、高皇産霊神・日向津姫の三皇子と飛騨国の娘との政略結婚が決まった。このAD47年当時、鵜茅草葺不合尊は13歳程度、日子穂々出見尊は15歳程度で共に独身だったのでこの2皇子に関しては、結婚に差し障りはなかった。しかし、瓊々杵尊は奈古の岩長姫を妻としている関係上、飛騨国の娘を妻とするには、この二人を離別させなければならなかった。瓊々杵尊は急遽北九州の統治に旅立ったので、北九州から戻ってからこの話を進めることとし、瓊々杵尊に関しては先送りとした。

 賀茂建角身命は第三代倭国王日向津姫との交渉で政略結婚の同意が得られたため、飛騨国に戻った。

 飛騨国三娘降臨

 AD48年頃飛騨国の豊玉彦命(豊玉姫・玉依姫)、大山祇命(吾多津姫)が三人の娘を引き連れて、日向国に降臨してきた。

 日向に降臨した娘たち(吾多津姫・豊玉姫・玉依姫)はどうなのであろうか?豊玉姫伝承は対馬と薩摩半島南端にある。この当時の倭国の都は国分の鹿児島神宮の地である。この近くである薩摩半島南端部に大山祇命・吾多津姫・豊玉彦・豊玉姫・玉依姫の一団は上陸したと思われる。飛騨王家はピラミッドを崇拝する人々なので、崇拝対象となる三角形の山(開聞岳)の麓が選ばれた地であろう。この一団の宮地は薩摩一宮である開聞神社の地ではあるまいか。
 開聞神社は開聞岳(922m)の北麓にあり、開聞岳を背景にしており、開聞岳を遙拝する形になっている。主祭神は大日孁貴命で、この神は倭迹迹日百襲姫尊と推定している。第10代崇神天皇の時代にこの神社との間に何かあったのかもしれないが、そのいわれは不明である。延喜式では枚聞神社と記されているが、多くの古史料では開門神となっている。また、「綿積神社」「和多都美神社」と称する史料もあると言われている。伝承によると、当地は山幸彦が訪れた龍宮で、海神豊玉彦の宮地であるといい、「和多都美」と称されている。まさにこの地こそ、飛騨から上陸してきた豊玉彦の一団の宮跡であり、開聞岳をピラミッドとして崇拝対象としていたのであろう。また、摂社である揖宿神社には大山積命が枚聞神社社家であった賀茂懸主堀内氏、指宿氏の祖神として祭られており、大山祇命もこの地と深い関係があったことが分かる。
 
山川町大山に桜井神社があり木花咲耶姫を祀ってあるが、この附近には瓊々杵尊と木花咲耶姫にからまる別橋とか別浜とか、尊と姫との愛情の物語りが多く、姫の誕生地大山は尊が吾田の笠沙の宮之御出の時の道筋に当り、この地で姫を見初められたと伝えられている。大山祇命と阿多津姫は最初この地に滞在していたものと考えられる。
 ここに上陸した一団はこの地にじっとしていたわけではないようである。大山祇命は瓊々杵尊との結婚が先送りになっているので、桜井神社の地にそのまま滞在して様子を見た。豊玉姫と玉依姫には次の伝承がある。

「南九州市知覧町郡豊玉姫神社伝承」
 海神綿津見神に二女あり、姉の豊玉姫は川辺に、妹の玉依姫は知覧に封ぜられることになり、衣の都(今の頴娃・川辺の辺)をお立ちになった。途中、髪を整えられた鬢水峠、化粧された御化粧水、昼飯をとられた飯野、正式に行列を正し休憩された宮入松を経て、姉妹が行く手を違えられた取違にお泊りになった。玉依姫は川辺が水田に富むことをお知りになり、急いで玄米のまま朝食を炊かれ川辺へ先発された。平常のように白米を炊かれた豊玉姫は巳むなく知覧へ向かい、上都の城山の下に宮居を定められた。ここで、姫神は民生を撫育された後崩御遊ばされたので、郷民は御遺徳を慕い城山(後の亀甲城)の麓に社殿を建立したのが当社の始まりと伝えられる。

南九州市川辺町宮飯倉神社伝承」
 度々の火災のため、記録の多くを焼失しているが、規模が極めて宏大で多数の崇敬者を擁する大社であった諸記録がある。当初開門岳一帯に鎮座されていたが、元明天皇和銅年間に現在の川辺の地に鎮座されたと伝えられる。

 三人の姫たちはいずれも開聞神社の地から移動している。それはどうしたことであろうか。豊玉姫・玉依姫は開聞の地で日子穂々出見尊・鵜茅草葺不合尊と知り合っている。しかし、豊玉姫は豊玉姫神社、玉依姫は飯倉神社の地に移動しているのである。
 移動時期はいつなのであろうか。豊玉姫・玉依姫は伝承から推察して同時のようである。日子穂々出見尊・鵜茅草葺不合尊との出会いの場所が開聞であり、この移動にこの二人が加わっていないことから、独身時代のようで、この二人も到着直後のようである。
 次に移動の目的は何なのであろう。豊玉姫は日子穂々出見尊との離別の後、再び知覧の地に戻ってそこで亡くなっている。玉依姫は鵜茅草葺不合尊が亡くなった後、一時期川辺に戻っているようである。これは、
鹿児島市谷山の柏原神社は神武天皇の滞在地であるが、ここは、神武天皇が東遷する前に川辺の母の元にあいさつに赴く途中に立ち寄ったと伝承されていることからわかる。これらは、それぞれが自分の支配地を持っていたような感覚である。この時点でこの地方はまだ倭国に加盟していない時期であり、豊玉彦は自分の一族を利用して、支配地を広げ、倭国加盟の手助けをしたのではないかと思える。数年後それぞれの姫は日子穂々出見尊・鵜茅草葺不合尊の2人と結婚する時、同時にこれらの地域は倭国に加盟したのである。豊玉彦としては、倭国に飛騨国との交渉による政略結婚を確実に実行させるための保険として支配地を広げたのかもしれない。

 日子穂々出見尊・鵜茅草葺不合尊の結婚

 大国主命が亡くなるAD44年頃、12歳程度の日子穂々出見尊は都於郡の高屋神社の地を宮としており、10歳程度の鵜茅草葺不合尊は西都に住んでいたようである。その後二人は都城の都島の地を宮としてその周辺を開拓していた。神武天皇がこの地に来る前に日子穂々出見尊がここを都としていたと伝えられている(聖地古日向)。二人の独身時代AD50年頃までのことであろう。

 AD50年頃、18歳程度の日子穂々出見尊及び16歳程度の鵜茅草葺不合尊は飛騨国の娘豊玉姫・玉依姫姉妹との結婚が正式に決まった。相手の姫もほとんど同じような年ごろと思われる。豊玉彦命は結婚が決まったので二人の娘を任地から呼び戻した。

 都島にいた二人は、さっそく結婚の儀式のために開聞の地に赴くこととなった。二人の娘の父である豊玉彦は枚聞神社の地で二人の皇子を歓待した。

 國主神社 能義郡伯太町大字下十年畑152 社伝
 主祭神大国主神・配祀神玉女大神、大国主神は、七転び八起きにも似た多くの苦難を克服され出雲の国を創成された出雲の祖神さまであります。常に自ずから切磋修錬され神格を高め生きとし生けるものに生きる力を与え給うた神さまであります、素佐之男命と稲田姫の末の子、須勢理姫の夫神であり、天照大神の第三子三穂津姫の夫神さまでもあります須勢理姫は出雲の国の妻神さま、三穂津姫は九州の妻神だったとのことです。玉女大神は玉女姫と申しまして南九州に住んでおられた豊玉彦命の第二子で、天照大神の末子熊野楠日命の妻神さまであります。伊波礼彦命(神武天皇)の母神で伊波礼彦命が大和の国へ降臨され国を統一なさった原動力は母神様の影の力が大きかったとのことでございます

 この社伝によると、鵜茅草葺不合尊=熊野楠日命であり、玉依姫は玉女姫の別命を持つことが分かる。

玉の井・聟入谷
 開聞村十町。開聞神社から約550メートルのところにあって、神代の昔、豊玉姫が朝夕に使っていたのがこの玉の井である。姫と彦火火出見尊と最初の見初めの場所であるといわれ日本最古の井戸であるといわれている。今は荒れ果てて水のない井戸となっている。附近の聟入谷は彦火火出見尊と豊玉姫とが結婚式を挙げたところと伝えられている。

 日子穂々出見尊は豊玉姫を妃として迎えたのであったが、山幸彦の方が婿として入ったという伝えもある。それは今の鹿児島県は薩摩半島南端の開聞町に婿入谷という地名として残っている。鵜茅草葺不合尊が飛騨国の玉依姫を妻に迎える代わりに、日子穂々出見尊は飛騨王家に婿入りしたのかもしれない。
 海神たる豊玉彦命の宮は、このあたりの名山また霊峰である開聞岳の北方域の現在の枚聞神社の地周辺にあったと考えて良いであろう。
 しかし、枚聞神社は、昔は開聞岳の南方麓にあり、和多都美神社と称していたという。和多都美というからには、その祭神は海神、つまり豊玉彦であったのであろう。和多都美宮は豊玉彦命の上陸地と思われる。




          (出雲朝4代)   (出雲朝5代)  (出雲朝6代)
         ┏淤美豆神━━━━━━天之冬衣神━━━大己貴命                ┏積羽八重事代主命(出雲へ)
         ┃                                      ┃
         ┃           素盞嗚尊━━━饒速日尊━━━━━━━━━━━━━━┓ ┣春日建櫛甕玉━┓┏賀茂別雷命(天日方奇日方命)
         ┃                                    ┣━┫(事代主)  ┃┃(72代)
  (出雲朝3代) ┃                        ┏━━━━━矢野姫━━━┛ ┗下照姫    ┣┫ 
    豊葦原大彦┫        (神皇産霊神)         ┃ (天知迦流美豆比売)    (若彦妻) ┃┗五十鈴姫━┓
(深淵之水夜禮花)┃          高天原建彦┓        ┃             ┏━鴨建玉依彦 ┃      ┃
         ┗天津豊日足媛┓ (高皇産霊神)┣┳68代宗像彦天皇╋━69代神足別豊鋤天皇━━━┫    (70代)┃        ┃
         (伊弉冉尊) ┣67代春建日姫天皇┛┃ (大山祇命)┃(鴨建角身命・味耜高彦根命)┗━活玉依姫━━┛       ┣綏靖天皇
     66代豊柏木幸手男彦天皇┛  (天照大御神) ┃ (天活玉命)┃               (71代)         ┃(74代)
         (伊弉諾尊)           ┃       ┣━天津国玉━━━━━━━━━━御中若彦         ┃
                          ┃       ┃               (天若彦)         ┃
                          ┃       ┗━━━━━━━阿多津姫┓                ┃
                          ┃                   ┣━               ┃
                          ┃         ┏━━━━━瓊々杵尊┛                ┃
                          ┃         ┃                          ┃
                          ┗━━━真鳥風━━━━━━━━早草綿守┳━━━━━玉依姫━━┓      ┃
                                    ┃   (豊玉彦)┃          ┣━神武天皇━┛
                                    ┣━━━━━━━━┃━鵜茅草葺不合尊━━┛  (73代) 
                             高皇産霊神┓ ┃        ┃                   
                                  ┣━┫        ┗━━━━━豊玉姫━━┓
                              日向津姫┛ ┃                   ┣━穂高見命
                                    ┗━━━━━━━━━━━━日子穂々出見尊┛  

 

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