饒速日尊推定年表

西暦 年齢 出来事
BC10年頃 0 出雲国須我の地において、素戔嗚尊第4子として誕生。大歳命と名付ける。
BC5年頃 5 素戔嗚尊に付いて、瀬戸内沿岸諸国をまわる。
火明命(大歳命)は強情で行状も非常に猛々しく、父を悩ませたと伝えられている。
AD5年頃 15 遠賀川流域の統一事業に参加。高皇産霊神と協力関係を作る。
AD7年頃 17 筑後川流域を統一。
AD10年頃 20 熊本市近辺から、阿蘇、高千穂を経由し、延岡に侵入。
延岡市天下神社の地を拠点とし宮崎県北部地域を統一。
都農を経由し宮崎阿波祇ヶ原上陸。周辺を統一。
その後、出雲帰還。伎佐貝姫との間に猿田彦命誕生。
AD12年頃 22 この頃、高皇産霊神の娘三穂津姫と結婚し、高倉下命誕生。
素戔嗚命より、瀬戸内海沿岸地方の統治を命じられ、香川県金刀比羅山を拠点として、倭国の統治をする。
AD15年頃 25 素戔嗚命より、丹波国の統一を命じられ、丹波国の開拓統治をする。
AD20年頃 30 素戔嗚尊より、マレビト作戦の指令を受け、マレビトを集めるため、北九州地方を巡回
AD25年頃 35 マレビトを遠賀川河口域に集め、出港。
安心院に立ち寄り、高皇産霊神一族の協力を受け、天孫降臨団を組織する。
この頃、大歳を改名し饒速日尊と名乗る。
天孫降臨団出港。
天孫降臨団淀川河口域(三嶋鴨神社)に上陸。
天孫降臨団はマレビトとしてそれぞれの任地に赴く。
交野市岩船神社の地を拠点とし、白庭邑の長髄彦と大和侵入交渉を重ねる。この交渉の中で倭国とは別の国を作ることになる。
長髄彦妹御炊屋姫と結婚。大和統一の拠点を作る。
AD27年頃 37 生駒市、富雄川流域を統一、拠点を登弥神社の地に移す。
生駒山を越え西麓の石切劔箭神社の地に宮を作り河内平野統一の拠点とする。
炊屋姫との子宇真志摩手ここで成長。
生駒山山頂(饒速日山)付近に宮を作り、周辺を見渡す。
AD30年頃 40 新しい統一国家を「ヒノモト(日本国)」と名付ける。河内平野に赴いたマレビトの協力により、河内平野一帯諸国が日本国に加盟する。
大和川を遡り、大和盆地に侵入。葛城に拠点を構える。葛城一族の娘(高照姫)と結婚し、事代主命、下照姫が誕生する。その後拠点を耳成山に移す。
朝鮮半島より天日槍命播磨国にやってきて大国主命と争う。
AD32年頃 42 耳成山を拠点とし、三輪山西麓の統一。
天日槍命と大国主命の争いを仲裁する。天日槍命流浪後但馬国にたどり着く。
九州にいた猿田彦命に山城国・丹波国の統一を依頼。
猿田彦、山城国・丹波国・若狭国を統一、日本国に加盟
AD35年頃 45 丹後籠神社の地を拠点として、丹後国を統一。大和に帰還。
この頃、河内平野の一族を、東日本各地に派遣し、国土開拓に従事させる。
AD37年頃 47 但馬国統一に出発。天日槍命の協力を得て、兵庫県と鳥取県の県境あたりまでを統一。
AD40年頃 50 近江国・東海地方・関東地方の入植地を訪問し、国土開拓を指導。
これらの地域が日本国に加盟。
AD45年頃 55 九州で大国主命(第二代倭国王)亡くなる。倭国で相続争いが勃発。
饒速日尊、縄文国家飛騨国を倭国に加盟させるために奔走。
事代主命、三輪地方を統治する。
AD47年頃 57 出雲で日本列島統一会議が開かれる。
越国・紀伊国が倭国から日本国に所属替えすることが提案されたが、紀伊国は日本国に所属することになるも、越国王建御名方命が反対し保留となる。
倭国が東倭と西倭に分裂した。
饒速日尊、五十猛命より紀伊国を引き継ぐ。
紀伊国を巡回、熊野山中を抜ける道もこの頃開通(後神武天皇がここを通る)。
高倉下命この頃、紀伊国新宮の地にやってくる。
AD50年頃 60 越国で大乱が発生し、建御名方命が饒速日尊に援助を請う。
饒速日尊越国の大乱を収め、越国は日本国に所属するようになる。
饒速日尊、上越市居多神社の地を拠点として周辺を統一する。
穂高見命(豊玉彦=飛騨王家)に安曇野周辺の開拓依頼。
思兼命(高皇産霊神の子)に阿智地方開拓依頼。
饒速日尊、事代主命・建御名方命と協力し、信濃国を統一する。
建御名方命は諏訪地方を統治する。
饒速日尊海岸沿いを北上し、出羽国(山形県・秋田県・青森県西半分)を統一する。(秋田県唐松神社・青森県岩木山神社を拠点とする)
AD53年頃 63 九州より大国主命の子味鋤高彦根命が倭国・日本国合併交渉にやってくる。
饒速日尊大和帰還
飛騨国王家の娘が三人九州降臨、倭国の王子(瓊々杵尊、彦穂々出見尊、鵜茅草葺不合尊)と政略結婚。
事代主命と飛騨王家の娘(活玉依姫)と結婚。
飛騨国との間で、日本国加盟の交渉が成立。
AD55年頃 65 味鋤高彦根命とともに、陸奥国統一に出発。
鹿島の地を拠点として陸奥国(福島県・宮城県)を統一。岩手県以北の統一を断念し、帰還。
この頃、事代主命の娘五十鈴依姫(神武天皇皇后)誕生。
AD58年 68 九州で佐野命(神武天皇)誕生。
AD60年頃 70 猿田彦命を伊勢国に派遣。
事代主命を出雲に派遣。東倭統一の足掛かりを作らせる。
饒速日尊、初瀬地方に隠棲。間もなく亡くなる。
大和国内に指導者がいなくなり、分裂状態となる。
AD65年頃 味鋤高彦根命と日本国の三輪一族との間で、西倭・日本国合併交渉。
佐野命(西倭)・五十鈴依姫(日本国)の結婚後、佐野命は飛騨国より飛騨国王の位を授かり、飛騨国は日本国に加盟することが決定。
AD83年 佐野命大和侵入(神武天皇東遷)が成功、五十鈴依姫との結婚後、佐野命は飛騨国位山において飛騨国王の位を授かり、初めての日本列島統一王朝(大和朝廷)が成立。