神大市姫との結婚

 素盞嗚尊の後妻神大市姫

 素戔嗚尊の妻は八岐大蛇事件の稲田姫だけではなくもう一人神大市姫がいる。記紀にはこの人物と結婚した由来については全く触れられていない。

 神大市姫は大山祗神の娘。稲田姫の次に素盞鳴尊の妻となり大年神、宇迦之御魂神を生むと伝えられている。神大市姫は海部氏系図では倭迹迹日百襲姫(後の卑弥呼)と同一人物とされている。この時代はBC15年頃、倭迹迹日百襲姫はAD200年頃の人物であり、200年ほどずれている。しかし、記紀では倭迹迹日百襲姫は大物主神(饒速日尊)の妻となっており、饒速日尊=大歳命であるので、素盞嗚尊ではなく死後の大歳命の後妻であることになる。

神大市姫の出自

 神大市姫も稲田姫と同じく大山祇命の娘である。大山祇命は縄文人と推定しているので、縄文人と結婚したことを意味している。ところが、稲田姫の子供たちは王位継承に関係ないのに比べて、神大市姫の子供たちは王位継承に深く関係している。このことは、神大市姫が飛騨王の系統であることを示しているのではあるまいか。素戔嗚尊は記紀神話において天照大神(ヒルメムチ)の弟とされている。この事実から推定されるのは素戔嗚尊の後妻である神大市姫がヒルメムチの妹ではないかということである。神大市姫がヒルメムチの妹であれば、彼女と結婚した素戔嗚尊はヒルメムチの義弟となるのである。

 新しい出雲王になった素戔嗚尊が、なぜ、飛騨王の娘を妻にすることができたのであろうか。そのカギとなるのが天叢雲剣(草薙剣)ではあるまいか。記紀によると天叢雲剣(草薙剣)を手にした素戔嗚尊は天冬衣命にその剣を天照大神に献上させたことになっているが、八岐大蛇退治時に素戔嗚尊は天照大神とされている日向津姫とはまだ知り合っていない状態であり、また、日向津姫が神武天皇に草薙剣を手渡したという伝承もない。このことより、草薙剣を献上した天照大神というのは日向津姫ではなく、飛騨国のヒルメムチであろうと思われる。 三種の神器について

 天叢雲剣は出雲王朝第4代淤美豆神が朝鮮半島で手に入れ、友好の証として飛騨国に献上し、その後八岐大蛇が出雲に派遣されるとき、身分証明の証として飛騨国王から渡されたものと推定している。

 素戔嗚尊は、飛騨国王から信任された八岐大蛇を退治したのである。出雲王朝と飛騨国との友好関係にひびが入り、戦乱が起こる可能性もあった。素戔嗚尊もこの点はわかっていたはずである。

 飛騨国も八岐大蛇が横暴を働いていたのは知っていたと思われるが、八岐大蛇は飛騨国のシンボル天叢雲剣を持っているので、飛騨国から信任された存在である。それを殺害するというのは、極めてまずいことのはずである。

 そこで、素戔嗚尊が八岐大蛇から取り上げた天叢雲剣を第5代天冬衣命自身が直接飛騨国に赴き、飛騨国王ヒルメムチに返したものであろう。天冬衣命は八岐大蛇殺害の状況を説明し、飛騨国のヒルメムチも出雲王朝との決別を望まず、納得したと思われる。BC18年ごろのことであろう。このとき、飛騨国王ヒルメムチは素盞嗚尊の存在を知ることになったといえる。

 素戔嗚尊の出雲国は合議制を敷いており、人々からの人気があり、周辺の村が次々と出雲国に加盟するようになり、出雲国は次第に巨大化した。出雲国が巨大化するにあたって素盞嗚尊は日本列島平和統一を決心するのに至った。

 日本列島平和統一には縄文連絡網を持つ飛騨国の協力が欠かせないので、AD15年頃、飛騨国に協力を要請しに赴いたのではないかと思われる。この時飛騨王ヒルメムチに、海外からの新技術の導入という方法を用いた日本列島統一計画を示した。ヒルメムチは日本列島統一計画に同意し、飛騨国滅亡の危機も解決できるので全面的に協力する姿勢を示し、その証として妹神大市姫との結婚を勧めた。

大山祇命━━足名椎命┓
(縄文人)     ┣稲田姫┓ ┏五十猛命
大山祇命━━手名椎命┛   ┃ ┃
(縄文人)         ┣━╋大屋津姫
    布都御魂━━素盞嗚尊┫ ┃
              ┃ ┗岩坂彦命
              ┃
              ┃ ┏大歳命
              ┣━┫(饒速日尊)
              ┃ ┗須勢理姫
    大山祇命━━神大市姫┛
(豊柏木幸手男彦) (足形媛)
(伊弉諾尊)

 神大市姫が飛騨王家の娘とすると、第67代ウガヤ王春建日姫(天照大神・ヒルメムチ)の妹に足形媛がいる。この人物が神大市姫の可能性が考えられる。神大市姫の父の大山祇命は第66代ウガヤ王豊柏木幸手男彦(伊弉諾尊)となる。そうすると素盞嗚尊は天照大神の義弟となる。

 そういった関係があったと仮定すれば、饒速日尊が飛騨国の天照大神の養子に入り込んだり、天照大御神の孫を饒速日尊の養子にし、飛騨一宮水無神社の主祭神になっていることなど、饒速日尊と飛騨国が非常に深い関係になっていることの説明がしやすい。

素盞嗚尊が神大市姫と結婚した理由 

 地方の一豪族にすぎない素盞嗚尊が飛騨国王の娘と結婚するなど、普通では考えられないことであるが、どうしてこのようなことになったのであろうか。神大市姫が単なる縄文人の娘と考えられなくもないが、素盞嗚尊が天照大神の弟とされていることが、天照大神の妹と結婚したこととつながると考えている。

 飛騨国は出雲王朝とは婚姻関係にあったが、出雲王朝は日本列島統一というような発想は全くなく、九州地方で勢力を拡大している弥生人たちとの戦いが控えていることを覚悟していたのである。このような中、素盞嗚尊の示した日本列島統一計画というのは飛騨国としては願ってもない一大事業である。これが実現すれば、交渉次第では飛騨国が今後も存在できることを示しているのである。

 飛騨国の縄文連絡網を使うことによって、素盞嗚尊の日本列島平和統一に協力すれば、統一王朝の中に飛騨国の血を入れることも可能だったのである。

 素盞嗚尊はBC15年頃、飛騨国を訪れたと思われる。そして、当時の飛騨国王ウガヤ朝67代春建日姫天皇と会い、その妹神大市姫と結婚することにより、素盞嗚尊は春建日姫の義弟となった。

 素盞嗚尊が飛騨国王の娘である神大市姫と結婚したことが、出雲王朝と素盞嗚尊の立場が逆転することになったのであろう。

 大歳命・・・素盞嗚尊の三男である。のちに饒速日(ニギハヤヒ)命と改名し、素盞嗚尊と共に北九州・南九州地方の統一に尽力後、AD30年頃より、近畿地方に侵入し東日本地域を統一し日本(ヒノモト)国を建国した。BC12年頃の誕生と推定。

 倉稲魂・・・素盞嗚尊の五男である。宇迦之御魂神・稲荷神ともいう。稲荷神は、もともと京都地方の豪族秦氏一族が、その氏神の農耕神として祀っていたものとされている。伝承上具体的行動を示すものは全く存在しない。そのような人物が稲荷神として全国的に祀られているのも不自然であり、大歳命の別名と考えられる。

 須世理姫・・・素盞嗚尊の出雲における子の末子となる。BC10年頃の誕生と推定。那売佐神社(島根県出雲市東神西町720 祭神 葦原醜男命、須勢理姫命)の地が生誕伝承地である。

 伝承に於いて素盞嗚尊の出雲での子は5男3女、日向津姫との間の子も5男3女で、偶然としては出来すぎである。事実は5男3女ではなかったと思われるが、無理やり5男3女にしたものではないだろうか。日向津姫との間の子は2男1女と推定する。出雲での子は稲田姫との間の2男1女(五十猛命・岩坂彦・大屋津姫)、神大市姫との間に1男1女(大歳命・須世理姫)と推定する。

 大歳命の生誕について

 大歳命誕生時期

 大歳命は後に饒速日尊と改名し高皇産霊神の協力の元、大和へ天孫降臨を実施し、東日本を中心としたヒノモト(ヒノモト)を建国した。天孫降臨以降の伝承は数多く存在するのであるが、幼少時の伝承はあまり存在していない。後の活動状況から判断してBC12年頃の誕生と思われる。須佐神社の近くの誕生山に素盞嗚尊と稲田姫の子の生誕伝承地があるが、誰が生まれたのか伝わっていないが、この地にいたのは稲田姫ではなく神大市姫と思われ、その子は大歳命と須世理姫であるが、須世理姫の生誕地は那売佐神社と思われるので、この誕生山で誕生したのは大歳命ということになる。

 素盞嗚尊が朝鮮半島に先進技術の導入に向かった。この遠征には五十猛命・大屋津姫を伴っており、岩坂彦・大歳命は伴っていない。五十猛命・大屋津姫は少なくとも当時の成人年齢とされていた12歳程度ではなかったかと思われる。八岐大蛇事件がBC20年頃なので、素盞嗚尊が五十猛命・大屋津姫を伴って朝鮮半島に渡ったのがBC8年頃となる。大歳命には朝鮮半島に渡ったという伝承がない。このことより、BC8年頃はかなり幼少だったことがうかがわれる。また、播磨国風土記、因達の神山の条に「昔、大汝命の子の火明命(大歳命)は、強情で行状も非常に猛々しかった。」と記録されている。これは、素盞嗚尊が播磨国を統一する時、幼少の大歳命を伴っていたことがうかがわれる。素盞嗚尊が播磨国を統一したのはAD1年頃と思われる。大歳命はAD5年頃と思われる九州統一から統一事業に参加している。また、饒速日尊としてAD60年頃までは生存していたと思われる。このことより、大歳命はBC12年頃の誕生と推定する。

 大歳命が誕生したBC12年頃は、出雲国が巨大化し、素盞嗚尊は対馬国を統一し朝鮮半島に新技術を学びに行く直前と思われる。生誕時期から判断して、大歳命の生誕地は出雲国となるのである。

 出雲における大歳命関連伝承

 出雲地方で大歳命の事績を示している伝承は、
大年神社(祭神 大年幸魂大神 大田市大屋町鬼村)・・・この地はその昔荒ぶる者の巣窟だった。それを大歳命が平定し開化の里としたので、この里の開祖神として祀った。
大歳神社(三刀屋町)・・・祭神は三刀屋川にそそぐ深谷川津上に住んで始めて耕作し、田を起こした。稲苗を当郡種郷に蒔き、一窪田に植えると一寸二分の籾が稔った。これを炊いたところを「神食田」といい、今なお「大歳新田」と称されている。

島根県口碑伝説集「黄金の弓」
 昔、出雲国に伎佐貝比売(キサカイヒメ)という女神がいた。彼女は大歳神の妻となり、夫と共に国を巡り農業の道を教え、国土経営にいそしんでいたが、懐妊したので、大歳神と別れて加賀の里に行き男子を出産した。・・・中略・・・母はわが子が優れて雄々しいのを深く喜び、掌中の玉といつくしみ、常に御祖素盞嗚尊の雄図、父の大歳神の勧農の事績を教えるうちに年月が巡って御子はもはや壮齢となり、身の丈は七尺を超え、あっぱれな威丈夫となった。ある時山に登り、国見をして、「私が住む島根は山連なり谷流れて狭田を為している。よい国だ」と言い、それからももっぱら墾田に力を注ぎ、耕地を開き、年年人口も増加し、杵築と共に国の都となった。よってこの神を狭田彦命といい、この地を狭田と云うようになった。彼はまず狭田の国に宮造り(今の佐太大社)し、父の大歳神のわざを受け継いで国を開き民を導いた。・・・後略

 伎佐貝比売は神皇産霊神の娘とされている。神皇産霊神はウガヤ朝第67代春建日姫と思われるので、伎佐貝比売は飛騨国の春建日姫の娘となる。

 大歳命は素盞嗚尊と神大市姫との間にできた子である。神大市姫が将来日本列島統一事業を成し遂げるであろうわが子に飛騨王春建日姫の娘を嫁がせたのではないかと考えている。伎佐貝比売は古事記では伊奴姫とされている人物で大歳命(饒速日尊)の最初の妻である。佐太大社裏に伊弉冊尊のものとされる御陵が存在している。伊弉冊尊御陵は別に存在するので、この御陵は伎佐貝比売のものではないかと考える。

 以上のような伝承が出雲国・石見国に伝えられている。時期はいつ頃のことであろうか。大歳命は素盞嗚尊の九州統一の後半あたりから統一事業に参加している。南九州統一にはかなり積極的に動いているようである。素盞嗚尊が北九州統一に向かったのはAD1年頃である。そして、AD5年頃には南九州統一を始めている。大歳命が統一事業に参加したのはこの間でおそらくAD3年頃ではあるまいか。大歳15歳程である。子である猿田彦命はAD5年頃の誕生と推定しているので、上の伝承はAD1年頃から3年頃にかけてのものであろう。

 素盞嗚尊は大歳命を山陽地方統一に連れ出している。BC5年に7歳程の時、三次盆地の統一について行き、AD1年頃山陽地方統一終了後、出雲に帰還している。そのとき、三次地方を何回か訪問すると同時に上にあるような出来事があったのであろう。AD2年頃伎佐貝比売を妻にしていたが、北九州統一に参加することになり、出雲を後にしたのである。

 黄金の弓にもある通り猿田彦が誕生する直前に妻である伎佐貝比売と別れている。大歳命はこの直後九州統一に参加したのであろう。

 大歳命生誕地の推定

 大歳命の生誕地はどこであろうか。伝承において生誕地と思われるものが全く存在しないのである。後に饒速日尊となって日本列島統一に貢献した第一人者であるのでその生誕地が不明というのは納得できないものがある。その生誕地は何らかの形で聖地になっているのではないかと推定しその地を探ってみたいと思う。

 先に八島野命=大歳命と推定したが、八島野命の生誕伝承地が二つ存在している。須我神社の方は五十猛命の誕生伝説地と思われるので、残る出雲市佐田町の八島野命の生誕伝承地(誕生山)こそが大歳命の生誕地と考えられる。また、須佐神社には三穂社が存在している。三穂津姫命を祭っている。三穂津姫は大歳命(饒速日尊)の妻となった人物で、出雲とは直接は関係のない人物である。大歳命生誕地だからこそ、その妻である三穂津姫が祭られていると考えられないこともない。三穂社の位置は本殿の真後ろであり、特別に重要視されているようにも見える。大歳命は三穂津姫と結婚後、一時期この地に一緒に滞在していたのかもしれない。

 根の国

須佐神社

 須佐神社は素盞嗚尊の魂が留まっているところとしてパワースポットとしても知られている。素盞嗚尊を祭神とする神社の中では最高の神社と言われているのである。素盞嗚尊はなぜこの地に魂をとどめたのであろうか。この須佐神社の地が素盞嗚尊にとって最重要地だったからに他ならないと思われる。なぜ、ここがそのような場所になったのかという点に関しては何も伝えられてはいない。これから、その理由を推定してみたいと思う。

 素盞嗚尊が亡くなる直前は出雲市唐川の地で採掘作業をしていたようである。そのさらに前にこの地に住んでいたと思われる。時期としては、紀伊国統一から帰り、伊弉冊尊が出雲で亡くなった直後のAD25年頃から亡くなる直前のAD30年頃までである。古事記では晩年の素盞嗚尊が住んでいたところを「根の国」としている。この佐田町こそが「根の国」ということになる。

 大己貴命は、出雲から素盞嗚尊に会うために根の国にやってきてきた。その時素盞嗚尊の娘の須勢理姫に一目ぼれされている。須勢理姫は素盞嗚尊とともに須佐神社の地に住んでいたことになる。そして、その時まで須勢理姫は大己貴命にあったことがなかったようである。つまり、素盞嗚尊が住んでいたとされる「根の国」は大己貴命が住んでいた出雲から少し離れたところにあったことになる。この須佐神社の地はまさにその条件を満たしている。

 出雲王朝第6代王が大己貴命である。第5代天冬衣命の時代の八岐大蛇退治の件により、出雲王朝は庶民の信頼を失いその代わりに素盞嗚尊の人気が高くなっている。素盞嗚尊はその後日本列島統一事業を実行したため倭国王としての立場が形成されている。逆に出雲王朝の立場がなくなってしまったのである。出雲王朝としてはこの状況を打開するには倭国王素盞嗚尊の娘と結婚するのが最も良い方法である。大己貴命はそれを狙って須勢理姫に近づいたのではないかと考えられる。

 須勢理姫は末子でありその婿となる人物が第二代倭国王(大国主)となるのであるから、大己貴命がそれにふさわしい人物であるかどうかを審査している。その一つに越八口(北陸地方)平定というのがある。大己貴命が北陸地方に遠征したのはAD20頃と考えられるので、須勢理姫が大己貴命に一目ぼれしたのはそれより前となる。おそらくAD18年頃ではあるまいか。この頃は、素盞嗚尊は紀伊国の統一が済んで、日向津姫と安心院で生活を始めたころである。二人の間に宗像三女神が誕生したのもこの頃である。素盞嗚尊は紀伊国統一後安心院で都作りをする前の短期間出雲に帰っていたと思われる。須勢理姫が大己貴命と結婚したいと申し出たための帰還と思われる。素盞嗚尊が出雲に戻ってきた時の滞在地はこの須佐神社の地となるのである。

 出雲国が強大になるにつれ飛騨国から飛騨王ヒルメムチの妹、神大市姫を妻に迎えるように要請が来た。日本列島を平和裏に統一しようと考えている素盞嗚尊にとって飛騨国との婚姻関係ができることは重要なことである。早速神大市姫と結婚した。時はBC12年頃であろう。

 素盞嗚尊にとって後妻との新婚生活の地であり、大歳命・須勢理姫という後継者を育てた地でもある須佐の地に思いは深かったと思える。晩年、九州から戻ってきた素盞嗚尊はこの地で神大市姫と再び生活を共にしたのであろう。そのために素盞嗚尊の魂はここに宿っているのではないだろうか。

八重山神社伝承

 社伝によると、神代、須佐之男命が簸の川にて八股蛇を退治されて後、「鷲尾猛」なる邪神が八重山の巌窟に住み、「金鶏」にまたがり飛翔跳粱し住民を苦しめている猛を確認し、八重山に上り降伏せられ、その巌窟に伊邪那美命・天照皇大神を祀られ須佐(出雲市佐田町)に行幸される。

 この伝承は「須佐に行幸される」となっているため、初めて須佐に赴いた時の伝承に思える。しかし伊弉冉尊を祀っているので伊弉冉尊が亡くなったAD25年以降のものとなるのである。AD25年頃となれば、素盞嗚尊は60歳前後となっており、直接賊徒を退治するにはいささか高齢になりすぎているのではないかと思う。部下に指示して退治したことも考えられるが、賊徒退治は若いころで、伊弉冉尊が亡くなった後で出雲に帰還した時、彼女を思って祀ったものと判断する。

 稲田姫のその後

 須勢理姫が須佐神社の地に滞在していたということは素盞嗚尊がこの地に始めてきたのはそれより前となる。大歳命がここで誕生していると思われるのでこの神社の祭神の稲田姫は神大市姫であることになってしまう。神大市姫は素盞嗚尊にとって稲田姫の次の妻とされている。神大市姫を娶ったとき、稲田姫はどうしていたのであろうか。

 稲田姫が素盞嗚尊とともに須我神社に新居を構えてからの彼女に関する伝承が全く見当たらないのである。ここまでの論により、稲田姫は素盞嗚尊との間に五十猛命・大屋津姫・岩坂彦命を生んでいる。須勢理姫は大国主命との結婚までは根の国(須佐神社の地)にいたことになるが、この地は神大市姫がいたところとなり、同じ場所に稲田姫がいるとは思えない。須勢理姫は稲田姫の子と伝承されているが、神大市姫の娘ではないだろうか。須勢理姫は末子ではあるが、後妻である神大市姫を娶った後、先妻である稲田姫との間に生まれたことになる。また、須勢理姫はAD5年頃誕生しているようであり、稲田姫はこの時、生きていれば35歳ぐらいになっているはずである。

 そうすれば、素盞嗚尊亡き後日本列島統一に活躍した人物がいずれも神大市姫の子(須勢理姫=大国主命及び饒速日尊)となり、正統な後継者の子は神大市姫の子となる。素盞嗚尊の正妻は稲田姫ではなく、神大市姫となってしまうのである。これも神大市姫が飛騨王春建日姫の妹だからこそあり得る話である。稲田姫は早世したのか、素盞嗚尊の活躍を期待して身を引いたかのどちらかではないかと思えるのである。

 素盞嗚尊はBC20年頃より、各地に市を開き、人の交流を活発にした。八束水臣津野命が各地から取り寄せた技術を周辺に広めその技術で農作物が豊作となり、また、賊が出没する地に赴いて賊退治を行った。人々の生活が劇的に改善され、しだいに出雲国王として認知されるようになっていった。周辺の地域は進んで出雲国に加盟するようになり出雲国は次第に巨大化していった。BC10年頃には律令時代の出雲国とほぼ同じ領域を治めるようになっていたと思われる。

 

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山陽地方の統一
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