東海・関東地方統一

 東日本地域統一の順番

 各地に残る伝承をもとにして、統一の順番を推定すると、次のようになる。
① 伊勢地方に統一伝承が認められない。また、滋賀県の伊吹山周辺を饒速日尊が通過したと思われる伝承があるので、近江国→美濃国→尾張国の流れが浮かんでくる。
②  関東地方が饒速日尊とウマシマジ命が活躍している。ウマシマジ命は饒速日尊の長子であるため、統一の時期は早かったと推定する。よって、尾張国→三河国→遠江国→駿河国→関東地方と推定できる。
③ 陸奥国(東北地方太平洋岸)は日向からやってきたアジスキタカヒコネ命を伴っているために、統一事業の最後と思われる。
④ 信濃国は駿河国と同じ系統の神であるために、駿河国と同じような時期と思われるが、タケミナカタ命の移動を考えると、統一を途中で中断しているように思えるので、関東地方統一の後であろう。
⑤ 信濃国を途中で中断したのはおそらく、出雲国譲りが起こったためであろう。倭国が不安定になったために一度大和国に戻ったのであろう。この時に紀伊国国譲りがあったと推定する。
⑥ 成長した事代主命を伴って中途になっている信濃国に赴く。
⑦ 信濃国に赴いている時越国で騒乱が起き、東倭に統治能力がなく、越国の国譲りを実行
⑧ タケミナカタ命に信濃国の開拓を任せ、日本海側を北上し出羽国の統一
⑨ アジスキタカヒコネを伴って陸奥国を統一。
⑩ 残った未統一地域は伊勢国・志摩国・伊賀国・安房国である。伊勢国・志摩国・伊賀国は出雲のサルタヒコに委ねる。
⑪ 大和国初瀬地方で隠棲し暫らくのち亡くなる。

1.近江国

格式 神社 場所 主祭神 饒速日尊 創建 備考
一宮 建部大社 滋賀県大津市 日本武尊、大己貴命、稲依別王 景行 景行天皇46年に神崎郡建部郷(現在の東近江市五個荘付近)に、景行天皇の皇子である日本武尊を建部大神として祀ったのが始まりとされる。
二宮 日吉大社 滋賀県大津市坂本5丁目1-1 大山咋神(東本宮)・大己貴神(西本宮) 不詳 牛尾山(八王子山)山頂に磐座があり、これが元々の信仰の地であった。磐座を挟んで2社の奥宮(牛尾神社・三宮神社)があり、現在の東本宮は崇神天皇7年に牛尾神社の里宮として創祀されたものと伝えられている。
三宮 多賀大社 滋賀県犬上郡多賀町多賀604 伊邪那岐命・伊邪那美命 神代 『古事記』に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」とあるのが、当社のことである。 摂社(境内社)である日向神社は延喜式内社であり、瓊瓊杵尊を、同じ摂社の山田神社は猿田彦大神を祀る
伊邪那岐命は、まず多賀大社の東 にそびえる杉坂山に降り立ちました。そして、北麓にある多賀町大字栗栖に降りて、そこで一度休息を取って、その後に現在の多賀大社がある場所 に鎮まったといわれています。
三宮 御上神社 滋賀県野洲市三上838 天之御影命 孝霊 孝霊天皇の時代、天之御影命が三上山の山頂に降臨し、それを御上祝が三上山を神体(神奈備)として祀ったのに始まると伝える
那波加神社 大津市苗鹿一丁目 天太玉命 天智 祭神 天太玉命が太古よりこの地に降臨したと伝える。
石坐神社 滋賀県大津市西の庄15-16 彦坐王命、天命開別尊 天智 音羽山系の御霊殿山(御竜燈山)に天降った八大竜王(スサノオ)を祀ったのを創祀とし
沙沙貴神社 滋賀県蒲生郡安土町常楽寺1 少彦名神 神代 少彦名神降臨伝承地
大瀧神社 滋賀県犬上郡多賀町冨之尾1585 高おか神 不詳 多賀大社の末社あるいは奥宮として考えられてきた。
調宮神社 栗栖 伊邪那岐命 伊邪那岐命が多賀の地へ到着する前に一時休息した場所といわれ、そこから多賀大社の御旅所とされた宮
櫻椅神社 滋賀県伊香郡高月町東高田363-1 須佐之男命、木花開耶姫命、埴安彦命 太古ここが湖の頃、須佐之男命が肥の川上の八俣遠呂知を退治し給ひて此の所の東の側の阿介多と言う小高い所に来臨し、 剣の血を洗た御霊跡と伝わる。

 近江国は天太玉命・天之御影命など饒速日尊に追従してきた神を祀っている神社がいくつか存在している。また、 物部氏が建てた神社も散在している。このことから、近江国は饒速日尊がマレビトを送り込んだ地域に属すようである。

饒速日尊が降臨する前にスサノオ命やイザナギ命が降臨しているようである。おそらく紀伊国を統一する前に 近江国を統一しようとしたのであろう。その後饒速日尊がマレビトを送っていることから判断すると、 スサノオによる近江国統一は失敗したようである。饒速日尊は近江国を出発し美濃国へ抜けたようである。

 2.美濃国

一宮 南宮大社 岐阜県不破郡垂井町 金山彦命 神武 金山彦大神を主祭神にまつり、全国の鉱山、金属業の総本宮として古くから信仰を集めている
二宮 伊富岐神社 岐阜県不破郡垂井町岩手字伊吹1484-1 多多美彦命(天火明命説あり) 不詳 伊福部の名の由来を「火吹部」とする考えもあり、天火明命に率いられた技術者集団が当地に居住したものだろう。とにかく、伊富岐神ということだ
二宮 大領神社 岐阜県不破郡垂井町宮代765番地 不破郡大領宮勝木實命 715 宮勝木實は、壬申の乱の際、大海人皇子(天武天皇)の命で、不破道(不破関付近)に出兵した人物。功績により、不破郡の大領になったという
三宮 多岐神社 岐阜県養老郡養老町三神町406-1 倉稻魂神、素盞嗚命 和銅 古代、この地域を支配した多芸氏の祖神を祭ったという
三宮 伊奈波神社 岐阜県岐阜市伊奈波通り1-1 五十瓊敷入彦命 景行 五十瓊敷入彦命は朝廷の命により奥州を平定したが、五十瓊敷入彦命の成功を妬んだ陸奥守豊益の讒言により、朝敵とされて現在の伊奈波神社の地で討たれたという。

 伊吹山は近江国と美濃国の国境にある。伊富岐神社の伝承にある通り、天火明命(饒速日尊)はここに、 技術者集団を集めて 居住させた。近江国側にも意布伎神社(草津市・祭神級長津比古命)、伊夫岐神社 (滋賀県坂田郡伊吹町伊吹603祭神伊富岐大神、素盞嗚尊、多多美比古命)がある。伊富岐大神とは 饒速日尊と思われる。伊吹山周辺は強い風が吹くので知られている。饒速日尊はこの風を利用して製鉄・製銅などの技術を この地方の人々に伝えたものであろう。美濃国には全39座の式内社中15座(38%)が饒速日尊と思われる神を主祭神として 祀っており、ほぼ全域に広がっている。饒速日尊は美濃国全域を物部一族を率いて統一したものと考えられる。

 3.尾張国

一宮 真清田神社 愛知県一宮市 天火明命 不詳 尾張氏の一部が尾張国中嶋郡に移住した時に、祖神である天火明命を祭ったのが起こりである。天火明命は天孫瓊々杵尊の御兄神に坐しまし国土開拓 、産業守護の神として御神徳弥高く、この尾張国はもとより中部日本今日の隆昌を招 来遊ばされた貴い神様である。
一宮 大神神社 愛知県一宮市 大物主神 不詳 祭神は大物主神であるとされており、これは、奈良県桜井市の大神神社の神と同神であるという伝承によるものである.大神神社と真清田神社を相殿として一宮としたと伝える
二宮 大縣神社 愛知県犬山市宮山3 大縣大神 垂仁 大縣大神は、尾張国開拓の祖神である。国狭槌尊
三宮 熱田神宮 愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1 素盞嗚尊 景行 祭神は熱田大神(あつたのおおかみ)であり、三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ。天叢雲剣)を神体としている
尾張大国霊神社 愛知県稲沢市国府宮1-1-1 尾張大国霊神 神代 尾張地方の総鎮守神、農商業守護神、厄除神として広く信仰されている。
当社は奈良時代、国衙(こくが)に隣接して御鎮座していたことから尾張国の総社と定められ、国司自らが祭祀を執り行う神社であった。
針綱神社 犬山市大字犬山字北古券65-1 尾治針名根連命 太古よりこの犬山の峯に鎮座せられ東海鎮護、水産拓殖、五穀 豊饒、厄除、安産、長命の神として古来より神威顕著にして士農工商の崇敬殊に厚く 白山大明神と称えられ濃尾の総鎮守でありました。

 尾張国121座の式内社のうち饒速日尊と思われる人物を祀っているのは23社(19%)である。特に一宮から三宮迄の 4神社のうち3神社までが祭神を饒速日尊としている。これは尾張国開拓を主導したのが饒速日尊で彼は尾張国総鎮守として 崇められている。

 4.三河国

一宮 砥鹿神社 愛知県豊川市 大己貴命 大宝 東海地方の総鎮守.本宮山は古代から信仰の対象であり、山頂付近には多くの磐座らしきものも多い
二宮 知立神社 愛知県知立市西町神田12 鵜草葺不合尊・彦火火出見尊・玉依比賣命・神日本磐余彦尊 景行 日本武尊が東国平定の際に当地で皇祖の神々に平定の祈願を行い、無事平定を終えた帰途に、その感謝のために皇祖神を祀ったのに始まる
三宮 猿投神社 愛知県豊田市猿投町大城5 大碓命 仲哀 大碓命が主祭神とされたのは近世以降で、それ以前は猿田彦命、吉備武彦、気入彦命、佐伯命、頬那芸神、大伴武日命など諸説あった。元々は猿投山の神を祀ったものとみられる。
四宮 石巻神社 愛知県豊橋市石巻町字金割1 大己貴命 不詳 神郷は、石巻山参道付近の集落である。現在の読みは「ジンゴウ」であるが、40年ほど前まで「みわのさと」と読んでいた.ほかにも三輪川がある。そして、石巻神社の祭神は奈良の三輪神社と同じ「オオナムチ」である。『三輪神社縁起書』に、「三河石巻神社」という記載がある
御津神社 愛知県宝飯郡小坂井町小坂井宮脇2 大國主命 大國主命は船津大明神として祀られているが全国の船津大明神は建御雷命(饒速日尊)であることが多い。

 三河国26座の式内社のうち7座(27%)が饒速日尊と思われる神を祀っている。三河国では大国主命或いは大己貴命として祀られていることが多いが、背後関係をみると、そのすべてが饒速日尊のようである。一宮の砥鹿神社の祭神大己貴命は大国主命とされているがこの神は東海総鎮守として祀られており、東海地方の他国の神の実態から判断してこの神は饒速日尊と思われる。四宮の石巻神社の祭神も周辺の地名から推察して饒速日尊と推定される。

 5.遠江国

一宮 小国神社 静岡県周智郡森町 大己貴命 欽明 欽明天皇16年(555年)2月18日、現在地より6kmほど離れた本宮山に神霊が示現したので、勅命によりそこに社殿が造営されたのに始まる
一宮 事任八幡宮 静岡県掛川市 己等乃麻知媛命 成務 成務天皇(84年~190年)の御代の創立と伝え聞く。大同2年(807年)坂上田村麻呂東征の際、桓武天皇の勅を奉じ、旧社地 本宮山より現社地へ遷座すという。延喜式神名帳に(佐野郡)己等乃麻知(ことのまち)神社とあるはこの社なり。古代より街道筋に鎮座、遠江に坐す願い事のままに叶うありがたき言霊の社として朝廷をはじめ全国より崇敬されし事は平安期の「枕草子」に記載あるをみても明らかなり。
二宮 鹿苑神社 静岡県磐田市二ノ宮 1767 大名牟遅命 履仲 二宮神社 とともに遠江国の二宮であり、江戸時代末までは高根明神社と称し、高彦根命を祀っていた。
二宮 二宮神社 静岡県湖西市新居町中之郷320   大物主神 敏達 御祭神は須佐之男之命の御子にして、父君の命によりこの地を開発して瑞穂の国に造り上げ天孫に献上した大功により「大国主命」とも「国造之大神」とも「大物主命」とも申し上げる。国土開発、福徳縁結び、萬の産業、医薬、健康安全、知徳の主護神として敬われ 御神徳極めて高し

 遠江国は62座の式内社中38座(61%)が饒速日尊と思われる神を祀っている。一宮の小国神社の祭神大己貴命は三河国一宮と同じ祭神である。三河国の大己貴命は東海総鎮守と言われている。遠江も東海なので、総鎮守は同じ神のはずである。よって、小国神社の大己貴命も饒速日尊と思われる。二宮の鹿苑神社の祭神大名牟遅命も周辺の神社の大国主命が饒速日尊と推定できることから、この神も饒速日尊と思われるが根拠はない。

 6.駿河国

一宮 富士山本宮浅間大社 静岡県富士宮市 浅間大神 垂仁 11代垂仁天皇が富士山の神霊「浅間大神」を鎮めるために、垂仁天皇3年(紀元前27年)頃に富士山麓にて祀ったのが当社の始まりと
二宮 豊積神社 静岡県庵原郡由比町町屋原185 木花之佐久夜比売命 白鳳 延喜式当時には、浅間神を祀る神社であり、往古は、豊積之浅間大明神と称していた。また、豊積の社号に関しては豊受姫ではなく、木花之佐久夜比賣命の別名・豊吾田姫の豊と父神である大山祇神の祇(つみ)から取られた
三宮 御穂神社 静岡県静岡市清水区三保1073 大己貴命 不詳 三保の松原に舞い降りた天女の羽衣伝説ゆかりの社としても名高い。境内には羽衣の切れ端、白馬の像が安置されている。
「大己貴命は豊葦原瑞穂国を開きお治めになり、天孫瓊々杵尊が天降りなられた時に、自分の治めていた国土をこころよくお譲りになったので、天照大神は大国主命が二心のないことを非常にお喜びになって、高皇産霊尊の御子の中で一番みめ美しい三穂津姫命を大后とお定めになった。そこで大国主命は三穂津彦命と改名されて、御二人の神はそろって羽車に乗り新婚旅行に景勝の地、海陸要衛三保の浦に降臨されて、我が国土の隆昌と、皇室のいや栄とを守るため三保の神奈昆(天神の森)に鎮座された。これが当御穂神社の起一般民衆より三保大明神として親しまれています。彦神は国土開発の神様で、姫神は御婦徳高く、二神は災いを払い福をお授けになる神様として知られています。」
那閉神社 静岡県焼津市浜当目13  八重事代主命、大國主神 継体 虚空蔵山とも呼ばれる海辺の神奈備山である。海の彼方から神が来訪する水平来臨型の信仰の山である。
静岡浅間神社 静岡県静岡市宮ヶ崎町102-1 大己貴命
木花開耶姫命
大歳御祖命
不詳 神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社を総称して静岡浅間神社といい、何れも創立は千古の昔にさかのぼる。大己貴命は少彦名神社の祭神とともに、この国土の経営にあたられた。そのご神徳により、延命長寿・縁結び・除災招福の神として信仰される。
富知神社 静岡県富士宮市朝日町12-4 大山津見神 孝霊 大宮の地主の神 鎮守の神・産土の神として古くから、この地方の人々は篤い崇敬を捧げて祭ってきた。
『富士本宮浅間社記』には、浅間大社が鎮座した大宮は、もとは福地明神(当社)が鎮座していた地、とあり、浅間大社が鎮座した、平城天皇大同年間以前から、当地の地主神として崇敬されていた古社。

 浅間大神は静岡浅間神社・冨知神社の伝承から判断して饒速日尊と思われる。三穂津姫は、高皇産霊神の娘で、大国主命或いは大物主命の妻になったと言われている。この地方には大国主命は来ていると思えないので、三穂津彦は大物主命=饒速日尊となる。駿河国は一宮から三宮まですべて饒速日尊を祀っていることになる。駿河国は事代主命を祀る神社が多くなっている。静岡浅間神社で大己貴命が少彦名命と共にこの地で、国土経営をしたと記録されているが、周辺伝承から推察してこの少彦名命は事代主命ではないかと思われる。

 事代主命もこの地方に来ていることが推定できるが、事代主命はAD35年頃誕生していると思われ、饒速日尊がこの地を訪問したと推定できる40年代前半では幼少すぎること、また、御穂神社の伝承によりここに饒速日尊がやってきたのが出雲国譲り(47年頃)の後になっていること、三穂津姫は高皇産霊神の子で、高皇産霊神が饒速日尊と接触するのは、北九州にいた時(AD10年頃)か、大和侵入時(AD25年頃)、或いは出雲国譲りの時である。御穂神社の伝承より出雲国譲後と思われる。このことから推察して、饒速日尊が駿河国に来たのは2回ということになる。1回目が40年代前半で、2回目が出雲国譲後の40年代後半である。その2回目に事代主命を伴っていたのであろう。1回目はこの後関東地方の開拓を行い、2回目はこの後富士川を遡って甲斐国、信濃国の開拓に向かったと思われる。
 駿河国式内社22座のうち10座(45%)が饒速日尊と思われる神を祀っている。

 7.伊豆国

一宮 三嶋大社 静岡県三島市 大山祇命・積羽八重事代主神 不詳 三宅島(現:富賀神社)→下田・白浜海岸(現:伊古奈比咩命神社)→大仁町(現:広瀬神社)→現在地と遷宮したとの伝承。
大山祇神は山の神様で、山林農産を始めて殖産興業の神、国土開発経営の神である。 事代主神は俗に恵比須様と申して、商工漁業、福徳円満の神である。
二宮 若宮神社 静岡県三島市西若町8-7 譽田別命 不詳 国司により勧請された八幡神社
三宮 浅間神社 静岡県伊豆市小下田1556   岩倉姫命 不詳 『伊豆国神階帳』に「従四位上 いわらい姫の明神」とある古社で、式内社・石倉命神社に比定されている神社。
四宮 廣瀬神社 静岡県伊豆の国市田京1-1 三嶋溝杙姫命 不詳 三島大社が下田から当地に遷座され後に、現在の三島へ遷ったとある
伊古奈比メ命神社 静岡県下田市白浜字白浜2740  伊古奈比メ命 伝承
「伊古奈比メ命は三嶋大明神の后。三島大神(別名事代主神)は、その昔、南のほうから海を渡ってこの伊豆にやって来ました。伊豆でも特にこの白浜に着かれたのは、この白砂の浜があまりにも美しかったからです。そして白浜に着いた三島大神は、この伊豆の地主であった富士山の神様に会って伊豆の土地を譲っていただきました。さらに、三島大神は伊豆の土地が狭かったため、お供の見目の神様、若宮の神様、剣の御子と、伊豆の竜神、海神、雷神の助けをかりて、島焼きつまり島造りを始めました。
最初に1日1晩で小さな島をつくりました。初めの島なので初島と名付けました。次に、神々が集まって相談する島神集島(現在の神津島)、次に大きな島の大島、次に海の塩を盛って白くつくった新島、次にお供の見目、若宮、剣の御子の家をつくる島、三宅島、次に三島大神の蔵を置くための御蔵島、次に沖の方に沖の島、次に小さな小島、次に天狗の鼻のような王鼻島、最後に10番目の島、十島(現在の利島)をつくりました。
7日で10の島をつくりあげた三島大神は、その島々に后を置き、子供をつくりました。この后々や子供達は、現在でも伊豆の各島々に式内社として祭られています。三島大神は、后達やその子供達を大変愛していましたが、その中でも伊古奈比・命は特に愛され、いつも三島大神のそばにいました。大神は、三宅島に宮をつくり、しばらくの間三宅島に居ましたが、その後最愛の后である伊古奈比・命とお供の見目、若宮、剣の御子を連れて再び白浜に帰って来ました。そしてこの白浜に大きな社をつくり末長くこの美しい白浜で暮らしました。それが、この伊古奈比・命神社です。」
来宮神社 熱海市西山町 大己貴命 大已貴命は素盞嗚命の御子であって又の名を、大国主命。古代出雲の神々が海、山を渡られて伊豆地方に進出されたときに、此の熱海の里が海、山に臨み、温泉に恵まれ風光明美にして生活条件の整っていることを愛し給い此処に住居を定めた時祀られたと伝えられている。
大三王子神社 東京都新島本村大三山 大三王子明神、弟三王子明神 当島開拓の地主神にて、始め能登男山鎮座するを貞享3年現地に転社

 伊豆国は駿河国以上に事代主命がよく祭られている。事代主命の妻・子などもよく祭られており、事代主命がこの地方に長期にわたって滞在したことがうかがわれる。伊豆国式内社92座中12座(13%)が饒速日尊と思われる神を祀っている。事代主命は13座である。一宮の主祭神は饒速日尊と思われる。

 伊豆地方は事代主命の伝承が多い。妻を作った伝承が多いので、事代主命成人後と推定され、AD55年から60年以降のことであろう。

 事代主命とされている人物は二人いる。この事代主命は出雲に赴任した積葉八重事代主命だろうか、それとも、饒速日尊の後継者の玉櫛彦であろうか。

 来宮神社の伝承では、伊豆の神々は出雲から来たとされていること、そして、伊豆と出雲の語感の類似から、出雲に派遣された積葉八重事代主命の方であると推定する。

 積葉八重事代主命はAD35年頃大和葛城地方で生誕後AD47年頃の出雲国譲りの結果、出雲の統治者として出雲に派遣されていた。伝承によれば東遷時の佐野命(神武天皇)と統一後の交渉をしているので、AD80年頃は出雲の統治者であったようである。終焉の地は石見国の多鳩神社の地なので、統治権を後継者に譲った後、地方開拓をしているようである。

 東海地方は古墳時代初期には前方後方墳が主流であり、大和よりも出雲と関係が深かったと思われる。出雲と東海地方をつなぐ伝承は、この事代主伝承以外にはなく、事代主命の活躍により東海地方に出雲文化が根付いたと言えよう。

 事代主命が出雲国の統治者である時に何年もかけて伊豆地方を統一するのは不可能と考えられ、後継者に統治権を譲った後、伊豆地方の開拓をしたものと考えられる。それは、神武天皇による大和朝廷成立後のことと考えられAD85年頃で事代主命50歳ごろであろう。

 伊豆地方を10年ほど滞在後、石見地方に移動しその地で終焉を迎えたと考えられる。

 8.相模国 

一宮 寒川神社 神奈川県高座郡寒川町 寒川比古命 不詳 寒川大明神は太古草昧の時代、相模国・武蔵国を中心に広く関東地方を御開 拓になられ、農牧・殖林治水・漁猟・商工・土木建築・交通運輸その他あらゆる殖産 興業の途を授け、衣食住等人間生活の根源を開発指導せられた所謂関東文化の生みの 親神である。
一宮 鶴岡八幡宮 神奈川県鎌倉市 応神天皇 1063 源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まりである
二宮 川勾神社 神奈川県中郡二宮町山西2122 大名貴命・大物忌命・級長津彦命
垂仁 相模の国で最古の神社といわれている。
磯長国国宰である阿屋葉造(あやはのみやつこ)が勅命を奉じて当国鎮護のために創建した。
三宮 比々多神社 神奈川県伊勢原市三ノ宮1472 豊国主尊、天明玉命 神武 当社は神武天皇が天下を平定した際、人々を護るために建立された神社であるとしている。『比々多神社 参拝の栞』[5]によれば、これは神武天皇6年のことで、人々が古くから祭祀の行われていた当地を最良と選定し、大山を神体山とし豊国主尊を日本国霊として祀ったことが創始である
四宮 前鳥神社 神奈川県平塚市四之宮4丁目14-26 莵道稚郎子命・大山咋命・日本武尊 不詳 兄に帝位を譲るため自殺したとされる菟道稚郎子命が実は死んでおらず、一族を率いて東国に下り曽祖父である日本武尊に所縁の地へ宮を建てた
高森神社 神奈川県伊勢原市高森527 味須岐高彦根命
加茂族の首長高彦根命は、事代主神と共に国づくりに大変活躍されました。神話においては国譲りに際し、謙譲の精神をもって接した御神徳の高い御祭神であります。農耕にあたっては、鉄器をもちいて新しい殖産を始め、日本国土づくりの神として尊崇を受けたのであります。平和の神、家内安全、五穀豊穣の神として、また縁結びにわたる御神徳は、今後高森の氏子ならび崇敬者の人びとの心に深く刻まれている。
大山阿夫利神社 神奈川県伊勢原市大山字阿夫利山1 大山祇大神 御主神大山祇大神は又の御名を大水上御祖の神とも、大水上の神とも 申し上げ、神威炳焉、生活の資源は勿論のこと、海運、漁獲、農産、商工業また又の 御名を酒解神と称へ酒造の祖神とし御霊徳高く丹精を篭めて祈願すれば諸願一つとし て成就しないことはない。
深見神社 神奈川県大和市深見3367  武甕槌神 雄略 武甕槌神、東國鎮撫のために常陸鹿島に在られた時、舟師を率 いてここに進軍され、伊弉諾神の御子、倉稲魂神、闇・神の二神をして深海を治めさ せられた。両神は深海を治めて美田を拓き、土人を撫して郷を開かれた。即ち深見の 名の起った所以である。

 相模国式内社13座中6座(46%)が饒速日尊と思われる神を祀っている。一宮から三宮までの神社はすべて饒速日尊と思われる神である。相模国も饒速日尊が開拓したとみてよいであろう。

 9.武蔵国

惣社 大國魂神社 東京都府中市宮町3-1 大國魂大神 景行 祭神は大國魂大神で武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたものである。この大神は 素盞鳴尊の御子神でむかしこの国土を 開拓され、人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えこの国土を経営された
一宮 氷川神社 さいたま市大宮区 名神 須佐之男命・奇稲田姫命・大己貴命 孝昭 武蔵総社六所宮である大國魂神社(東京都府中市)に属する武州六大明神の内の一つであり、六宮の内の三宮である。
一宮 氷川女体神社 さいたま市緑区 小社 奇稲田姫命 崇神 崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建されたと
一宮 小野神社 東京都多摩市・府中市 小社 天下春命 安寧 天下春命は知々夫(秩父)国造の祖神である。ただし、延喜式神名帳では座数は一座となっている。 『江戸名所図会』では「瀬織津比賣一座」とある。『神名帳考證』では小野氏の祖の天押帯日子命としている。
二宮 二宮神社 東京都あきる野市二宮2252 国常立尊 不詳 「二宮大明神」とは「神道集」あるいは「私案抄」にみられる、武蔵総社大所宮(現在の大国魂神社)所在神座、武州六大明神[1]の第二次にあるがためである
三宮 氷川神社
四宮 秩父神社 埼玉県秩父市番場町1-1 八意思兼命・知知夫彦命
崇神 元々の祭神は八意思兼命と知知夫彦命ということになるが、これには諸説あり、八意思兼命・知知夫彦命のほか、思兼命の御子の天下春命、大己貴命、単に地方名を冠して「秩父大神」とする説などがある。
五宮 金鑚神社 埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮750 天照大神・素戔嗚尊 景行 日本武尊の東征の帰途、伊勢神宮にて倭姫命(やまとひめのみこと)より賜った火鑽金を室ヶ谷に鎮めたのが起源とされる。
六宮 杉山神社 神奈川県横浜市西区中央1-13-1 大己貴命 白雉3 白雉3年(652年)、出雲大社の大己貴命の分霊を祀ったと伝えられる。

 武蔵国式内社44座中17座(39%)が饒速日尊及び大国主命が祀られている。大国主命の名で祀られている神が、饒速日尊であると特定できない神社が多く、正確には不明である。武蔵国は出雲系の人々の移民があったようで、出雲系の神々がよく祭られている。総社の大国魂神社のみが具体的伝承を伝えている。武蔵国を開拓したのも饒速日尊である。

 10.下総国

 上総国・安房国は饒速日尊と思われる神を祭った神社は1社(倉稲魂命)のみである。饒速日尊は上総国・安房国の開拓をしなかったものと思われる。この両国を開拓したのは、伝承によると天太玉命で、大和朝廷成立後のようである。

一宮 香取神宮 千葉県香取市 経津主大神 神武 神代の時代に肥後国造の一族だった多氏が上総国に上陸し、開拓を行いながら常陸国に勢力を伸ばした。この際に出雲国の拓殖氏族によって農耕神として祀られたのが、香取神宮の起源とされている。
二宮 玉崎神社 千葉県旭市飯岡2126-1 玉依姫尊 景行 日本武尊が東征の折、相模より上総に渡ろうとして海難に遭った際、弟橘媛が「これは海神の御心に違いない」と言って入水したので、無事上総国に着くことができ、葦浦(鴨川市吉浦)を廻り玉の浦(九十九里浜)に渡ることができた。そこで日本武尊は、その霊異を畏み、海上平安、夷賊鎮定のために、玉の浦の東端「玉ヶ崎」に、海神の娘であり神武天皇の母である玉依姫尊を祀ったと伝えられている。
二宮 二宮神社 千葉県船橋市三山五丁目20-1 速須佐之男命 810 式内社寒川神社の後裔社であり、現在でも寒川神社と呼ばれることがある

 下総国11座中4座(36%)が饒速日尊と思われる神を祀っている。一宮の香取神宮は経津主大神でこの神は饒速日尊と推定している。二宮の寒川神社では神奈川県で寒川大明神(饒速日尊)を祀っており、この神社も饒速日尊かもしれない。下総国も饒速日尊が開拓したと思われる。

 11.常陸国

一宮 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市 武甕槌大神 神武 天地が開ける以前(天地草昧已前)に高天原から天下った「香島の天の大神」を祀る。
神武天皇御即位の年に神恩感謝の意をもって神武天皇が使を遣わして勅祭されたと伝えられる。
御神徳 神代の昔天照大御神の命により国家統一の大業を果たされ建国功労の神と称え奉る。 武道の祖神決断力の神と仰がれ関東開拓により濃漁業商工殖産の守護神として仰がれる外常陸帯の古例により縁結び安産の神様として著名
二宮 静神社 茨城県那珂市静455 建葉槌命 平安 鹿島神宮、香取神宮と共に東国の三守護神として崇拝され、豊臣氏や徳川氏から寺領などの寄進を受けたとの記録がある
三宮 吉田神社 茨城県水戸市宮内町3193-2 日本武尊 5世紀 日本武尊の東征時にこの地朝日三角山で兵を休ませたことにちなみ、創建されたという
大洗磯前神社 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町字大洗下6890  大己貴命、少彦名命 祭神が霊夢に顕れ「我はこれ大己貴、少彦名神也。昔この國を造り東海に去ったが、東國の人々の難儀を救う為に再びこの地に帰ってきた」と仰せられた。当時の記録によると度々地震が発生し人心動揺し、國内が乱れて居り、大國主神はこうした混乱を鎮め平和な國土を築く為に後臨された。
即ち大洗磯前神社は御創立の当初から関東一円の総守護神として、大國主神御自ら此の大洗の地を選び御鎮座になったのであります
鳥見神社 茨城県印西市平岡 饒速日命 大和国鳥見白庭山に宮居した饒速日命は、土地の豪族長髄彦の妹御炊屋姫命を妃として宇摩志真知命を生んだ。その後東征して印旛沼・手賀沼・利根川に囲まれた土地に土着したその部下が、祭神の三神を産土神として祭り鳥見神社と称した。
鳥見神社 茨城県印西市小林 饒速日命 崇神 此の地開拓の祖神として祟神天皇御宇五年に創建されてと伝えられている。

 常陸国式内社28座中15座(54%)が饒速日尊を祀っている。この比率は他国より高い。鹿島神宮の地が長期滞在した場所であろう。大洗磯前神社に大己貴命(饒速日尊)が二度やってきたとあるが、関東地方開拓が一段落(AD45年頃)した後、東海地方に戻り甲斐国・信濃国を開拓した。その後出雲国譲り(AD47年頃)が起こり、その後、再びこの地を訪れている。この時(AD53年頃と推定)は、鹿島神宮の地を拠点として、陸奥国を開拓したものと思われる。鳥見神社の伝承により饒速日尊が宇摩志真知命を伴って、関東地方一帯を開拓したことが分かる。

 12.上野国

一宮 一之宮貫前神社 群馬県富岡市 経津主命 安閑 創建は安閑天皇元年(531年)3月15日、鷺宮(現在の安中市)に物部姓磯部氏が氏神である経津主神を祀り、荒船山に発する鏑川の流域で鷺宮の南方に位置する蓬ヶ丘綾女谷に社を定めたのが始まり
経津主神は磐筒男、磐筒女二神の御子で、天孫瓊瓊杵尊がわが国においでになる前に天祖の命令で武甕槌命と共に出雲国(島根県)の大国主命と協議して、天孫のためにその国土を奉らしめた剛毅な神で、一名斎主命ともいい建国の祖神である
二宮 赤城神社 前橋市二之宮町 赤城大明神・大国主命・経津主命 不詳 崇神天皇の皇子・豊城入彦命が上野国に移ったとき、赤城神社は神庫岳(現・地蔵岳)の中腹に「赤城大明神」と「沼神の赤沼大神」として既に祀られていたそうです。他の赤城神社では大己貴命が主祭神で祀られているので、赤城大明神は大己貴命と思われる。
三宮 伊香保神社 群馬県渋川市伊香保町伊香保2 大己貴命・少彦名命 825 当社が現在の温泉地に移転する以前は、「いかほ」(榛名山も含むこの地域の旧称)の山々を山岳信仰の場とした「いかつほの神」一座が祭神であったとされる。

 上野国式内社12座中6座(50%)が饒速日尊と思われる神を祀っている。赤城山は関東平野を一望する見晴しの好い山なので、饒速日尊は山頂に登り、周辺を見渡していると思われる。赤城大明神とは饒速日尊であろう。

 13.下野国

一宮 宇都宮二荒山神社 栃木県宇都宮市 豊城入彦命・大物主神・事代主神 仁徳 毛野国の開祖である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を主祭神とし、崇神天皇が都とした磯城瑞籬宮(現在の奈良県桜井市金屋)の北に鎮座する三輪山(大神神社)の御神体である大物主命とその子事代主命を相殿に祀る。主祭神については時代によって彦狭嶋王、御諸別王(彦狭嶋王の子)、事代主命、健御名方命、日光三所神など諸説ある。江戸期には日光山大明神と称されたこともあり、天保14年(1843年)には大己貴命、事代主命、健御名方命が祭神であった。
一宮 日光二荒山神社 栃木県日光市 二荒山大神(大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命) 767 日光の3つの山の神(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命)を総称して二荒山大神と称し、主祭神としている。
大前神社 栃木県真岡市東郷937 大己貴命、事代主命 大前神社は、芳賀郡と若色郷(若績郷)古聖(こひじり)、鏡田等地名の発祥地にして、社名祭神の霊跡に起源し、古くから大内庄三十三郷の総社として、宏大な社領の中に壮厳なる社殿を営み、大利根の支流鬼怒川、五行川、小貝川、三川の間湖沼に点在する田畑丘陵に恵まれ、農林漁労豊富な中心地に位置し、周辺非常なる繁栄の中に、北は氏家、南は常陸真壁郡一帯にまで崇敬圏が及び、延喜の制下野国十一社の内に撰定せられた式内名社である。

 下野国では式内社11座中8座(73%)まで饒速日尊と思われる神を祀っている。これは非常に高い比率である。大前神社の地に大己貴命(饒速日尊)が滞在していたようである。

 14.甲斐国

 関東地方一帯の開拓が軌道に乗ったころ(AD45年頃)、饒速日尊は関東地方から駿河国に戻り、富士川を遡って甲斐国の開拓に臨んだ。この時は事代主命が同行しているようである。

一宮 浅間(あさま)神社 山梨県笛吹市一宮町 木花開耶姫命 垂仁 垂仁天皇8年正月に神山である富士山の山の麓で神祭があり、貞観7年(865年)12月9日に現在地に遷座した。浅間大神を祀る。
二宮 美和神社 山梨県笛吹市御坂町二之宮1450-1 大物主命 景行 三輪山を神体とする大和国(奈良県)の大神神社から勧請され、尾上郷の杵衡神社へ遷された後に新たに二之宮に遷座されたとする伝承が一般的
三宮 玉諸神社 山梨県甲府市国玉町1331 大国玉命 不詳 延喜式内社 玉諸神社と称し、その創建勧請の年代は詳かではないが、祭神は天羽明玉命(天の岩戸の変の時、真榊の枝にかけた 八坂瓊五百箇御統玉を造った神である)。
四宮 甲斐奈神社 山梨県甲府市中央3-7-11   菊理姫命 木花咲耶姫命 綏靖 人皇第二代綏靖天皇の御代、皇子土本毘古王が、甲斐国疏水工事を行い、甲斐国開拓の御業なせし時、中央の山上甲斐奈山(現愛宕山)に、白山大神を祀ったのが当社の起源。

 甲斐国式内社20座の内14座が饒速日尊と思われる神を祀っている。甲斐国はこの頃甲府盆地の大半が湖であった。その周辺の開拓を行ったのであろう。開拓は一朝一夕で為せるものではなく、饒速日尊が開拓の指示をし、饒速日尊が引き連れてきた物部一族が何代もかけて、開拓をしていったのである。そのために、饒速日尊が祖神として祀られているのである。

 15.信濃国

 甲斐国の開拓が軌道に乗った時、饒速日尊が次に進んだのは、信濃国である。信濃国は後に越国を統治していたはずの建御名方命がやってきて開拓を行っている。建御名方命がやってくる前に諏訪大社の位置には事代主命がいたようで、建御名方命は事代主命から統治権を譲り受けているようである。信濃国には謎が多く、まず、神社の実態をそのまま示すことにする。

一宮 諏訪大社 長野県諏訪市・茅野市 建御名方命・八坂刀売命・八重事代主神 不詳 本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるとされる。現在は神性が習合・混同されているため全てミシャグチか建御名方として扱われる事が多く、区別されることは非常に稀である。神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされる。
二宮 小野神社 長野県塩尻市北小野175 建御名方命 崇神 建御名方命は科野(しなの)に降臨し、しばらくこの地にとどまり諏訪に移った。その旧跡に崇仁天皇の時祭神を勧進奉斎す
二宮 矢彦神社 長野県上伊那郡辰野町大字小野字八彦沢 正殿 :大己貴命 ・事代主命 副殿 :建御名方命・八坂刀賣命 欽明 遠い神代の昔、大己貴命(おおきむちのみこと)の国造りの神業にいそしまれた折り、御子の事代主命(ことしろぬしのみこと)と建御名方命(たてみなかたのみこと)をしたがえて、この地にお寄りになったと伝えられている
三宮 沙田神社 長野県松本市島立区三ノ宮字式内3316 彦火火見尊 豐玉姫命 沙土煮命 大化 孝徳天皇の御宇大化五年六月二十八日この国の国司勅命を奉じ初めて勧請し幣帛を捧げて以って祭祀す
三宮 穂高神社 長野県安曇野市穂高6079 穂高見神、綿津見神、瓊瓊杵神、天照大御神 安曇族は、北九州に起こり海運を司ることで早くから大陸との交渉を持ち、文化の高い氏族として栄えていた。その後豊かな土地を求め。いつしかこの地に移住した安曇族が海神を祀る穂高神社を創建したと伝えられている。主神穂高見命は、別名宇津志日金折命(うつくしかなさくのみこと)と称し、海神の御子で神武天皇の叔父神に当たり、太古此の地に降臨して信濃国の開発に大功を樹られたと伝えられる
四宮 武水別神社 長野県千曲市八幡3012 武水別大神 孝元 主祭神の武水別大神は、国の大本である農事を始め、人の日常生活に極めて大事な水のこと総てに亘ってお守り下さる神であります。長野県下最大の穀倉地帯である善光寺平の五穀豊穣と、脇を流れる千曲川の氾濫防止を祈って祀られたものと思われます。
生島足島神社 長野県上田市下の郷 生島神、足島神 神代 古より日本総鎮守と仰がれる無双の古社で、神代の昔建御名方命が諏訪の地 に下降される途すがら、この地にお留りになり、二柱の大神に奉仕し米粥を煮て献ぜられたと伝えられ、その古事は今も御篭祭という神事に伝えられている
三輪神社 長野県上伊那郡辰野町辰野下辰野新屋敷2095 大己貴命・建御名方命・少彦名命 大己貴命・少彦名命が神代にこの地に留まったと伝えられている。
阿智神社 長野県下伊那郡阿智村智里489 天八意思兼命、天表春命 阿智神社は上古信濃国開拓の三大古族即ち諏訪神社を中心とする諏訪族と穂高神社を中心とする安曇族とともに国の南端に位置して開拓にあたった阿智族の中心をなす神社としてその祖先を祭り、「先代旧事本紀」に八意思兼命その児 表春命と共に信濃国に天降り阿智祝部(はふりべ)の祖となるとあり
安布知神社 天思兼命

天思兼命は、高天原最も知慮の優れた神として、古事記、日本書紀に記されているが 、平安時代の史書「先代旧事本紀」(せんだいくじほんぎ)に、天思兼命とその子天表春命(あめのうわはるのみこと)は共に信濃國に天降り、阿智祝部(あちのはふり べ=阿智の神事を司る神主)等の祖となったと記され、古代の伊那谷西南部一帯を開拓した天孫系の神で、昼神に鎮座する阿智神社の御祭神と同一で両社は古くより密接 な関係があり、北信の戸隠神社とも因縁が深い。またこの地は、古代東山道の阿智駅(あちのうまや)が置かれたところで駅馬30頭 をおいて険難な神坂峠に備えた阿智駅の守護神として当社は重要な位置を占めている。

戸隠神社 九頭龍大神 奥社のすぐ下にあり境内社のようになっているが創建は奥社より古くその時期は明らかでない。地主神として崇められている。古くは虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。地元の人によると戸隠の九頭龍神は梨が好物だそうである。九頭龍大神は饒速日尊と思われる。

 九頭龍大神については「雄略天皇21年(477年)、男大迹王(継体天皇)が越前国の日野、足羽、黒龍の三大河の治水の大工事を行われ、北国無双の暴れ大河であった黒龍川(九頭龍)の守護と国家鎮護産業興隆を祈願され高オカミ大神(黒龍大神)、闇オカミ大神(白龍大神)の御二柱の御霊を高尾郷黒龍村毛谷の杜(舟橋の現在地から6.5km上流の川の中央に位置)に創祀された。この儀により現代まで連綿と続く九頭竜湖~九頭龍川流域での黒龍大明神信仰が興ったのだとされる。」。これより、九頭龍大神=高オカミ大神であることが分かり、高オカミ大神=饒速日尊である。

 建御名方命が信濃国に来ている。建御名方命は大国主命と奴奈川姫との間にAD20年頃できた子で、饒速日尊が信州にやってきたころは越国を統治していた。一般に建御名方命は出雲国譲りで建御雷命と争い、出雲から逃げて信州に来たとなっているが、神社伝承をつなぐと、少し違うようである。建御名方命は越国を統治しており、建御雷命は饒速日尊である。このことは、饒速日尊が建御名方命に越国を譲らせたことになる。建御名方命が来る前から饒速日尊は信濃国にいて、建御名方命に信濃国を開拓させたようである。阿智神社の思兼命は饒速日尊に従って大和に降臨した人物である。饒速日尊に従っていたと思われる。信濃国は諏訪族・安曇族・阿智族の三系統の人々によって開拓されたようである。どういった手順でそのようなことになるのであろうか。他の地域の伝承を確認してから、このなぞに迫りたい。

 信濃国式内社48座中17座(35%)が饒速日尊と思われる神を祀っている。一方建御名方命は21座(44%)である。

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