飛騨国との交渉

 饒速日尊は、この後大和へ天孫降臨をしヒノモトを建国した。建国前に飛騨国と交渉していないと、飛騨国との間に確執が生じ、日本列島平和統一が難しくなる。饒速日尊は、いつごろ、どのようにして飛騨国と交渉したのであろうか。

ヒノモト(日本国)の名称

 日本書紀によると,

「饒速日命,天磐船に乗り,太虚をめぐりゆきて,この郷におせりと天降りたまうとき,名づけて「虚空見日本国」という。」

とある。これによると,饒速日尊が大和に入ったときに,日本国という名前を付けたようである。日本はヒノモトと読む。東大阪市に「日下」(朝,太陽が生駒山から昇ってくるその日の下という意味)という地名があり,饒速日尊は,ここから大和に入ったと伝えられている。饒速日尊は倭国とは別の連合国家を造ることになったために,新しい統一国家の名を考える必要がでてきたのであろう。饒速日尊が大和に入るときに見た生駒山からの日の出に感動して,その国名として「ヒノモト」を使ったものと言われている。

 この「ヒノモト」という国名は飛騨国(日抱国)と関連が考えられる。饒速日尊はなぜ倭国とは別のヒノモトを作ったのであろうか。これも飛騨国との関係が考えられる。飛騨国との交渉はどのようなものだったのであろうか

 飛騨国との交渉の時期

 饒速日尊が飛騨国との交渉を終えて帰ってきてから、ヒノモトという国名をつけている。饒速日尊は倭国とは別の国を作っているがこれは、国の体制が固まってから倭国から独立したと考えるよりも最初から別の国を作ったと考えたほうがよいであろう。飛騨国との交渉は饒速日尊が大和に侵入する前と考えられる。AD20年頃のことで、丹波国統一直後のことと考えられる。

 饒速日尊は、この後、東日本統一の足掛かりとして、近畿地方に降臨する計画である。近畿地方以東は、縄文人の人口密度の高い地域で、飛騨国の影響下にあると考えてよい。飛騨国の許可がないと近畿地方に降臨することは事実上できない。

 饒速日尊は丹波国統一後、丹波国に滞在中、飛騨国を訪問し、飛騨国と交渉したものと考えられる。

 飛騨国との交渉内容

 飛騨国とのかかわりで変化したことをまとめると次のようなものが考えられる。
@ 国名をヒノモトとすること。
A 倭国とは別の国を作るということ。
B 賀茂建角身命が大和に降臨している。
C 大和・九州両方に玉依姫が存在している。
D 神武天皇の父方・母方双方に飛騨王家の血筋が入っている。
E 神武天皇が飛騨王家から王位を継承している。

 日本列島を平和統一を目指している高皇産霊神は、最大の障害と予想される飛騨国を大和降臨前に訪問することを指示していたのではあるまいか。饒速日尊は統一した丹波国→日本海→越国経由で飛騨国に入ったと推定している。

 飛騨国で式内社に祭られている神は饒速日尊系か高皇産霊神系である。饒速日尊が高皇産霊神の縁者を引き連れて、この飛騨国にやってきたのであろう。この飛騨国にはすでに飛騨王国が存在し、それを統一するのは容易でないことは饒速日尊にはわかっていた。このような場合戦争して相手をたたきつぶして統一するというのが世界の常識であろうが、戦争した痕跡もなく、縄文文化と饒速日尊が平和裏に一体化している。日本古代ではあくまでも平和統一だったのである。それぞれが交換条件を出し合って、併合していったものと考えている。
 飛騨国側としては、できれば独立を維持したい思いはあったろうが、いつまでも弥生人と対立しているといずれ飛騨王家は滅ぼされるという危惧もあったと思われる。飛騨国が将来にわたっていつまでも独立を保つのは不可能であろうし、無駄な血を流したくないというのもあったであろう。また、飛騨王家の血筋は守りたいという思いもあったと思われる。そういった事情の中で、飛騨国王と饒速日尊との間に会議が開かれたと思うがそれぞれの主張を推定してみよう。

 飛騨国側要求
 @ 饒速日尊は倭国とは別の国を作ること。その国名に「太陽」の意味を持たせること。
 A 飛騨国の太陽祭祀の伝統は引き継ぐこと。
 B 歴代国王は我々の聖地である位山のイチイの木を使って即位の儀式をすること。
 C 統一国王の系統に飛騨王家の血筋を入れること。
 などであったと推定する。

 日本国側(饒速日尊)要求
 @ 飛騨国はヒノモトに所属すること。
 A 祭祀に絡むこと以外は統一王国の方針に従うこと。
 B 統一王国の役人を受け入れること
 C 飛騨王位は統一王国の国王(神武天皇)に譲位のこと

 饒速日尊が倭国の使者として飛騨国を訪れたとすると、倭国はすでに国としての体制が固まっているので、飛騨国が倭国に吸収合併されることになり、飛騨国としてはそれは認められないものであったろう。そのために倭国と別の国を作ることを要求したのではあるまいか。そして、その国名に「太陽」の意味を込めること。太陽崇拝を継承することなども要求したと推定している。長い歴史を持つ飛騨国としてはその伝統を永遠に継承したいという思いは強かったであろう。その継承したい内容は「太陽崇拝」及び「国王への血筋の継承」であろうと思われる。饒速日尊の母は飛騨系と思われる神大市姫である。饒速日尊には飛騨の血が流れているのである。飛騨国との交渉役には最適の人物であった。

 これは、ヒノモト(日本国)は飛騨王国の傀儡政権と言っても良いほどの内容である。饒速日尊は倭国とは別の国を作ることになり、大和では三輪山から太陽が昇る姿を祭祀(ピラミッド=飛騨の祭祀)をするようになった。さらに饒速日尊は飛騨系統娘(天知迦流美豆比売)と結婚している。天知迦流美豆比売は名称から判断して飛騨王の娘と推定される。このようになれば倭国と日本国が将来対等合併することにより飛騨国の伝統が強く統一国家に継承されることになるので、まさに飛騨国の思い通りになったといえる。

 饒速日尊にしても今後東日本地域統一には縄文人の協力が欠かせないものとなる。日本列島統一には縄文国家飛騨国を滅ぼすわけにはいかないのである。饒速日尊としては相当譲歩しているのである。

 これほどの内容は饒速日尊といえども独断で決めることもできず、倭国の有力者(素盞嗚尊・高皇産霊神)などと相談が必要であった。

 饒速日尊はこの交渉により、
@ 大和降臨後にまとめた国の名称はヒノモトとする。
A ヒノモト国王は飛騨系の祭祀を行うこと。
B 東日本統一時は飛騨国の人物(大山祇)を引き連れること。
C 飛騨国王直系の娘(天知迦流美豆比売=市杵島姫)と結婚すること。
D 倭国の後継者にも飛騨国系統の血を入れること。
E 日本列島統一時にはその王に飛騨国王位を譲位の事。
などがきめられたと思われる。

 この交渉により、高皇産霊神が考えた日本列島統一計画が、飛騨国によって承認されたのである。そして、飛騨国が日本列島統一に深くかかわるために、飛騨国王嫡子の大山祇命(宗像彦=天活玉命)を饒速日尊に付き添わせることにした。

 飛騨国娘天知迦流美豆比売との結婚

 この過程で饒速日尊自身飛騨王家の姫を娶ることになった。天知迦流美豆比売である。飛騨王が饒速日尊を信頼したあかしであろう。 天知迦流美豆比売は、天(あめ)領(しるかる)瑞日(みづひ)女(め)で、生命力に満ちた太陽の女神という意味で太陽=飛騨国を意味している。饒速日尊(大歳神)との間の子は奥津日子神、奥津比売命(大戸比売神)、大山咋神(山末之大主神・鳴鏑神)、庭津日神、 阿須波神、波比岐神、香山戸臣神、羽山戸神、庭高津日神、大土神(土之御祖神)である。このうち奥津日子神、奥津比売命は飛騨国の中心的神社である日輪神社に祭られている。また、この中の大山咋神は賀茂建角身命の孫である玉依姫と結婚していることから事代主命と同一人物と考えられる。

 この時まで飛騨王国との交渉は徐々に進んでおり、飛騨王国から大山祇命が情報収集を目的として降臨することになると同時に、ヒノモトに飛騨王家の血筋を入れるために飛騨王家の娘天知迦流美豆比売と饒速日尊の結婚が決まった。饒速日尊は飛騨に赴き、天知迦流美豆比売・大山祇命及びその従者の一団を連れて戻ってきた。

 天活玉命について

 天活玉命は系譜上では高皇産霊神の子となっている。しかしながら、その子孫に賀茂建角身命が存在しており、賀茂建角身命は飛騨系(神皇産霊神)の系統となっているのである。これはどうしたことであろうか。

 高皇産霊尊と神皇産霊尊が結婚しているのでその子とされている天活玉命は両者の子となるので、矛盾はないように見えるが、この神の正体を明確化しておこう。

 

賀茂氏の系図は2系統ある。

@高魂命━━伊久魂命━━天押立命━━陶津耳命━━玉依彦命
     (生魂命) (神櫛玉命)(建角身命)     
                 (三島溝杭耳命)
                         ┏━鴨建玉依彦命
A神皇産霊尊━━天神玉命━━天櫛玉命━━鴨建角身命┫
                   (八咫烏) ┗━玉依姫━━賀茂別雷命

 この2系統をつなぐものとして鴨氏始祖伝がある。

高皇産霊尊┓ ┏高皇産霊神━━天太玉命━━天石戸別命━━天富命
     ┣━┫
神皇産霊尊┛ ┗天神玉命━━━天櫛玉命━━天神魂命━━━櫛玉命━━天八咫烏

 両者をつなぎ、三島鴨神社の系図と世代を照合すると

高皇産霊尊┓ ┏高皇産霊神━━天太玉命━━天石戸別命━━天富命
     ┣━┫
神皇産霊尊┛ ┗天神玉命━━━天櫛玉命━━天八咫烏
        (神魂命)       (鴨建角身命)


               大山祇神━━三島溝咋耳命━━三島溝杙姫┓
                                  ┣━姫鞴五十鈴姫
        素盞嗚尊━━━饒速日尊━━━━━━━━━━事代主神━┛

        天活玉命━━━天神立命━━陶津耳命
                    (鴨建角身命)
               天活玉命━━天三降命━━━━宇佐津彦

               日向津姫━━鵜茅草葺不合尊━神武天皇

 賀茂建角身命を基準として系図の照合をしてみると上のようになる。天活玉命の活躍年代が2世代にわたっている。代数的に矛盾点がいくつか存在する。ある特定人物を指しているのではないようである。言い伝えられているうちに複数人物が重なった人物のように思える。その複数人物とは第67代ウガヤ王春建日姫、その夫高天原建彦、その子第68代ウガヤ王宗像彦=大山祇命である。古代史の復元では饒速日尊とともに天孫降臨していることから大山祇命に該当する人物としておく。

 天活玉命(大山祇命)は葛城氏の祖である。饒速日尊に従ってマレビトとして天孫降臨し、その任地が葛城山麓であった。葛城山麓には高天原と呼ばれている高地が存在し、その中心神社が高天彦神社である。主祭神は高皇産霊神とされている。系図上は天活玉命は高皇産霊神の子なので、矛盾はないのであるが、実際は神皇産霊神の子となるので、矛盾が生じている。

 

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