日本列島への人類の流入

 

核DNA解析による縄文人の出自

 日本列島に人類がやってきたのはいつなのであろうか。今回、福島県の三貫地貝塚で発掘された人骨から核DNAが解読され、「縄文人はアジアの他の地域の人たちと大きく異なる特徴を持っていた」とわかった。そればかりか、現代の日本人とも予想以上に違いが大きかったと示された。その解読結果をもとに日本列島への縄文人の流入を考えてみよう。

 2016年9月、国立遺伝学研究所などのグループが「縄文人の核ゲノムを初めて解読した」とする論文を専門誌に発表した。この「縄文人」とは、福島県新地町にある三貫地貝塚で発掘された3千年前の人骨である。三貫地貝塚は、昭和20年代に100体以上の人骨が発掘された縄文時代を代表する貝塚である。研究グループは、東京大学に保管されていた人骨・男女2人の奥歯の内側からわずかなDNAを採取し、解析に成功したのである。

 その分析結果をもとに人類の系統樹を表すと次のようになる。

  核DNA解析により判明した人類の系統樹
                         
人類━━━━┳━━━━━━━━━━━━━アフリカ人
      ┃
      ┃ ┏━━━━━━━━━━━ヨーロッパ人
      ┃ ┃
      ┗━┫ ┏━━━━━━━━━パプアニューギニア人
        ┃ ┃
        ┗━┫ ┏━━━━━━━縄文人
          ┃ ┃        ↓12%共通DNAの存在 
          ┗━┫     ┏━日本人
            ┃   ┏━┫
            ┃   ┃ ┗━中国人
            ┃ ┏━┫   
            ┃ ┃ ┗━━━東南アジア人
            ┗━┫
              ┗━━━━━アメリカ先住民

 解読したのは三貫地貝塚の縄文人であるが、縄文時代縄文人同士の交流がかなり活発であったので、DNAの地域格差はかなり少ないものと推定する。現代の日本人と縄文人がDNAで遠く離れており、ほかのアジア人とも大きく離れている。また、DNAの突然変異による変化は年数とともに大きくなるので、縄文人が日本列島に流入してから大陸の人類と長く隔絶されていたことを意味している。

Y染色体の遺伝子解析による研究結果

 ハプログループとは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体ハプログループ(単倍群)の分類である。分化した順にA,B,C,D・・・とTまで分類されており。日本人のみとされているD1bはハプログループDのサブクレード(細分岐)の一つで、3万年ほど前に日本列島で誕生したと考えられている。現在日本人の3割ないし4割がこのグループに属している。この分化の系統を追求することによって、縄文人の日本列島への移動経路が明らかになりつつある。

ハブログループをもとにした人類の移動過程の推定

 現生人類絶滅の危機

 この「進化の系統樹」をもとにして縄文人の流入過程を推定するとにすると次のようになる。「ホモ・サピエンス」と呼ばれる現生人類は20万年前にアフリカで誕生し、他の大陸に進出した。14万年前ぐらいにアフリカ大陸を出たと思われる。中国で発見された原生人類の化石(柳江人)の生存時期も少なくとも13.6万年前までさかのぼり、ジャワ島で発見された12.5万年前頃の歯も現生人類のものと推定されている。このことから、14万年前ぐらいの第1回目の出アフリカで、原生人類はかなり広範囲に渡って拡散していた。

 ところが、約11.5万年前からは最後の氷河時代、約9万年前からはウルム氷期の最終氷期が始まった。7万年前には最終氷期の亜氷期が始まり、この時代以降は寒冷で乾燥した気候になったのである。

 海面は現在よりも 100〜130m も低下し、イギリスは大陸と陸続きとなり、ドイツ北部まで氷原が南下。森林地域はイベリア半島や地中海沿岸のわずかな地域だけとなった。東南アジア周辺も陸地化し、スンダランドが誕生し、日本列島もユーラシア大陸と地続きとなる。その上、7万5000〜4000年前にスマトラ島の北部にあるトバ火山の大噴火があった。この噴火による火山の冬で世界の気温は1〜5℃低下し、それが1000年程も続いたとされている。。噴火直後の2〜3年は15℃も低下し北半球で氷雪地帯拡大した。アフリカからインドを超えて東南アジアに進出した現生人類は、このトバ火山の噴火の影響で大量死滅したようである。

 この火山噴火により、アフリカ大陸は徐々に灼熱化し、大旱魃となり、サハラの草原は不毛の砂漠と化し、アフリカは南北に分断された。ヒトの遺伝子の多様性は大型類人猿に比べ驚くほど低い。これは、トバ火山の大噴火により、アフリカに残った人々も、サハラが砂漠化したため動物はもちろん、植物さえ得られなくなり、雑食化で生き延びたが、2000人ほどの絶滅寸前状態に陥った。これが原因で遺伝的な多様性の多くが失われたためと考えられている。

 出アフリカ

 この状態に陥った人類にハプログループCTを定義づける変異が7万年前ごろエチオピアからスーダンの辺りにいた一人の男性に生じた。このY染色体上のDNA塩基配列の変異を、一部のアフリカ人以外の全人類の男性は受け継いでいる。ハプログループ「A系統」と「B系統」はそれ以前に、分岐しており、アフリカから出ていない。その後、65000年前ごろハブログループCTの子孫である東アフリカのトゥルカナ湖の東北附近に住んでいた一人の男性にハブログループDEへの変異が起こった。また、ほぼ同じころCF系統への変異も起こった。このDE系統はD1、D2、Eの系統に分化し、D1,E,CF系統の人々は同じころ、気候の変動に従い、アフリカ大陸の東部、現在のジブチからエリトリアの辺りから紅海(バブ・エル・マンデブ海峡)を渡って、現在のイエメン南部に到達し、出アフリカを果たした。この子孫たちはサハラ砂漠以南以外の全世界に伝播し繁殖していったと思われる。

 ハプログループCの人々の移動

 ハブログループCの人々は60000年前ごろ西南アジアの現イラン付近で誕生した。Cは間もなくC1となり、C1はC1aとC1bに分岐した。 C1aの一部がヨーロッパ方面に移動し、C1aの一部とC1bがインドからスンダランド(東南アジアにあった大陸)に移動した。C1aは中央アジアの方に進出し50000年前ごろC2に変異した。

 C2はマンモスを追ってシベリアに住み着いた。マンモスは巨大生物であり、一頭仕留めると半年ぐらいの間食料に困らないほどのものであった。短い夏にマンモスを仕留め、冬はそれを食べて生きていくという形となっていた。巨大生物マンモスは、グループで協力しないと仕留めることができない。グループで沼地に追い込んで、細石刃を用いて仕留めたものと思われる。細石刃は骨の両側に黒曜石の破片を取り付けたもので、マンモスの骨を貫くほどの威力があった。

 この当時の代表的遺跡はバイカル湖畔のマリタ遺跡である。23000年ごろまで栄えていたC2aのグループである。23000年前ごろ最終氷期の最寒冷期が近づいていた。短い夏もなくなり、生活が苦しくなり、シベリアから南や東に移動していった。東に移動した人々の一部はC2a1のグループとなり、20000年前ごろ凍り付いたベーリング海を渡って、北アメリカ大陸に渡った。さらに一部は樺太に移動し、樺太から北海道に移り住みC2a2のグループとなった。最寒冷期のころ、凍結した津軽海峡を渡り本州に入り込むこととなった。この系統は日本固有の系統である。南に移動した人々の一部はC2bとなり、中国大陸や朝鮮半島に定住していった。

 C1aの人々はC1bの人々とともにスンダランドに移り住んでいた。氷河時代とは言え暖かく、食料には苦労しなかったであろう。しかし、最終氷期が終わり、海水面が上昇し、次第にスンダランドが水没してきた。人々は船に乗って移動することとなった。C1aの人々は黒潮に乗って北上し、沖縄にたどり着いた。17000年ほど前のことである。港川人である。

 この頃は黒潮が九州の南側を流れており、当時の船では九州にたどり着くことができなかった。しかし、15000年ほど前に対馬海峡が広がり、黒潮から対馬海流が分流するようになり、舟で南九州に流れ着くことができるようになり、南九州にたどり着いた。C1a1系統の人物は日本列島固有であり、現代日本人に5%ほど存在している。C1a系統は40000年ほど前に発現しているが、その子系統の拡散が始まったのが12000年ほど前からであり、その間に長いギャップがある。これより、日本列島流入時期が不確定となるが、拡散が始まる少し前に流入したと考えている。C1a1系統に近いC1a2がヨーロッパやアルメニアに多い。その間の地域に存在せず、その経路が特定できない。近い系統のC1bの多いスンダランドから来たと推定しているが、人数も少なく、スンダランドに残ったC1a1系統は絶滅したのではないだろうか。

 港川人のハブログループは確認されていないが、出土した人骨の骨格がオーストラリアの原住民と似ているので、スンダランドから来た系統と思われ、C1a1系統と推定する。

 ハブログループDの人々の移動

 D2系統はアフリカから出ておらず、アフリカから出たD1系統は6.5万年前にDE系統から分かれたと思われる。D1系統は中央アジアのチベットに移動し、D1a系統となった。53000年ほど前にD1a2の系統がチベットから南に移動したのがアンダマン諸島に移り、D1a2bとなった。東に移動したのが、38000年ほど前に朝鮮半島から日本列島に上陸したと思われる。日本列島上陸後D1a2aの系統となった。この系統は日本列島のみにしか存在せず、現代日本人の39%を占めており、皇室につながっている。D2系統は世界的には数が少ない系統で、その領域はつながっておらず、東アジアでは日本列島にしかいない。これは、滅亡したものと考えられる。

 DE系統の遺伝子はYAP遺伝子(神の遺伝子)とも呼ばれ、勤勉、虫の音を綺麗だと思う感性、自分を捨ててでも他の人のために動くことができるという性質はこの遺伝子によるものと言われている。そのために、中国大陸や朝鮮半島では他民族との抗争において争わず、滅ぼされてしまったのではないかと考えられる。

 人類の日本列島への流入過程

 D1a2の系統の人々は対馬海峡を越えたと思われるが、38000年前にどのようにして対馬海峡を越えたのであろうか。

 

 上のグラフは40000年前以降の海水面の変位の推定値を表した。横軸が今から何年前かを示し、縦軸は現在の海水面を0mとしたときのその当時の推定海水面を示している。海水面が下がっている時は寒冷期にあたるときである。対馬海峡の最深部は水深210mで、水深200m以深の部分は海釜となっており、幅5km長さ60kmほどである。海釜は潮流によって浸食された部分のことである。最終氷期最寒冷期の20000年前に最も海面が下がっているが、この時でも対馬海峡は存在している。この時は幅15kmほどであろう。しかし、浸食されたということを考えれば、浸食する前はつながっていた可能性が考えられる。30000年前から15000年前までは海水面が今より100m以上下がっているので激しく浸食していることが考えられるが、その前の38000年ほど前にも100mほど海水面が下がっている時期がある。この時はまだ侵食していないとも考えられ、朝鮮半島と対馬が陸続きであった可能性も考えられる。D1a2aの人々が日本列島に流入した時期と重なるので、おそらく、この時期に陸続きであったのではないだろうか。

 ハブログループO系統の流入

 この系統の人々は縄文時代晩期から弥生時代にかけて流入した人々の系統である。スンダランド方面に向かったC1系統の人々からインドで分化したと推定されている。C1系統の人々とともにスンダランドに移動し、4万年ほど前にスンダランドから中国大陸に移動した人々からO系統の分化が起こったと考えられている。日本列島ではO1a、O1b、O2a、O2bが多く。全体の53%ほどを占める。

 O1aは江南人の楚系で、日本の3%ほどを占める。台湾原住民が66%で最も多く、東南アジアに20%ほど、現代中国に10%ほど存在している。楚漢戦争で楚は紀元前202年に漢に敗れた。この時に逃亡してきた人々と思われる。南九州で直接法の製鉄をしていたと推定される伊弉冉尊がこの系統ではないかと思われる。

 O1bはO1b1とO1b2に分かれる。O1b1は江南の越系で、日本の1%ほどを占める。越は紀元前334年に楚に敗れ、その人々はベトナム、マレーシア、バリ島、ボルネオ島、ジャワ島などに逃亡し、日本にも僅かにやって来た。越系は中国にも15%の比率で存在する。

 O1b2は呉系で、日本全体の33%ほどを占める。紀元前473年に呉は越に敗れ、北方(徐州)に逃亡した。朝鮮半島南部や中国北東部にも逃亡・定住した。後の太伯の子孫の系統(伊弉諾尊・狗奴国)や、朝鮮半島からやってきた人々がこれに該当すると思われる。素盞嗚尊や出雲王朝もこの系統ではないだろうか。

 O2aは黄河系で、日本の20%ほどを占める。中国に55%、朝鮮半島に44%、マレーシア、タイ、チベット、ベトナムなど東南アジアにも多い。秦の始皇帝に追われ日本列島にやってきた人々にこの系統が多かったと思われ、弥生時代の北九州諸国(奴国・伊都国)の人々がこれに該当すると思われる。

 O2bは日本に1.5%ほど存在し、長江中・下流域で発生したと考えられる。長江河口域出身の秦徐福がこの系統ではないだろうか。

 ミトコンドリアハプログループについて

 Y染色体ハプログループは男系で継承される。これに対してミトコンドリアハプログループは女系で継承される。ミトコンドリアハプログループをまとめてみよう。(「DeNAがDNA解析!日本人の祖先のルーツをたどる」より)

グループ 比率 起源 分布 備考
D 35 中国中部 中国・朝鮮半島 稲作とともに弥生時代に流入
B 13 中国南部 太平洋・南米 南方から流入した縄文人
M7 13 スンダランド 日本独特 南方から流入した縄文人
G 7 中国北部 シベリア 北方から流入した縄文人・弥生人
A 7 シベリア 東アジア・アメリカ大陸 北方より流入した縄文人
N9 7 ユーラシア北部 カムチャッカ・東北アジア 縄文人・弥生人
F 5 東南アジア 東南アジア 朝鮮半島より流入
Z 1 中国北部 シベリア・北欧
M8a 1 中国北部 中国漢民族 弥生人
C 1 中国北部 中央アジア・アメリカ大陸 弥生時代に流入

 ミトコンドリアハプログループは変化が激しいので、Y染色体ほど明確に移動経路が分からない。縄文時代にも弥生時代にも流入した同じグループもあると思われる。

 

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日本列島の人々
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