倭国巡回

 日子穂々出見尊・鵜茅草葺不合尊はそれぞれ、飛騨国の娘と結婚した。日向津姫はこの二人を将来倭国を背負って立つ人物に育てようと、倭国巡回を命じた。以下はその初期の伝承地である。

 日子穂々出見尊屋久島巡幸

 神代のころはまだ、天下の水は塩分を含んで真水がなかったので、天孫「ニニギノミコト」が忍岩の長井の水を玉盆に入れて日向に御降臨になり、その後、当地へ御巡狩のとき天照大神を開聞岳に祭り、持って来た水を玉の井に移し、御饌の水としたという。また、一説には、神代時代このあたりは竜宮界で、玉の井は竜宮城の門前の井戸で、竜神の娘 豊玉姫が朝夕汲まれた井戸であるともいう。山幸彦と出会い、後夫婦の契りを交わされ、婿入谷の奥の宮殿で新婚生活が始まったという。<開聞神社由緒記>

 結婚後の日子穂々出見尊は暫く婿入谷で生活していたようである。

 益救神社(やくじんじゃ)多禰国一宮 鹿児島県熊毛郡屋久島町
 この神社に伝承は伝わっていないが、主祭神は日子穂々出見尊であり、一宮であることから日子穂々出見尊がこの地を訪れていることが想像される。

 屋久島は南海の島々を結ぶ航路の重要拠点である。長崎鼻にある龍宮神社では竜宮城は琉球であると伝わっている。日子穂々出見尊は沖縄の方まで行ったのかもしれない。

 日子穂々出見尊は、結婚後南方航路を開拓したのであろう。

 鵜茅草葺不合尊種子島巡幸

 浦田神社にある数畳敷の平らな石を「御種撒き石」と呼んでいる。その昔、ウガヤフキアエズノミコトが日向の国から渡島された時、この石の上から、稲の種をまき、絶えていた農業を再興したと伝えられている。
ちなみに種子島北端の浦田神社は白米。南端の宝満神社は、赤米を祀っており稲作の発祥の縁起をもっている。

 宝満神社の赤米は白米よりもずっと古い。それが種子島に伝わっているのは、この島こそが日本の稲作発祥の地という。

 国上浦田神社の境内にある平らな巨石(450cm×250cm)がある。口碑によると、祭神ウガヤフキアエズノミコトが、この石の上から稲の種子(白米:しろごめ)を蒔き、稲作が全国に広がっていったと伝えられている。

 創建年代は応仁元年と伝える。縁起によれば、往古伊邪那岐命は、竜城より五穀の種子を求めて当国に渡り農耕の道を定めたので、種子島と名付けられたという。後の人は「七種を 十種に分けて 種子島 波の上にも 神や蒔きけん」と歌っている。その後鵜葺草葺不合命は、日向国より来島し浦田で農耕の道に勤しまれた。時の民草は「汲み上げし 波の種子島 水かけて 神も浦田を 作るなりけり」と歌に詠んでいる。是を以て、葺不合命を浦田大明神として崇め奉り、祠殿を造営して神徳の昂揚に努めたという。はじめ浦田港北の小島に鎮座し、従五位上笹明神(大隅国神階記)と称された。元文三年、村の吟味役市兵衛が社殿を改築し往古の神跡を保ったという。明治になり現在地に遷座され、同四十年十二月十八日村社に列し、昭和五十八年三月十五日拝殿を改築した。

 伊弉諾尊もこの地を訪れているのであろう。その地を鵜茅草葺不合尊が再び訪れて、農業を広めたようである。

 内之浦滞在

 鵜茅草葺不合尊が種子島に滞在している間に日子穂々出見尊は屋久島、南海航路の開拓と動き回り、内之浦に上陸した。

 内之浦周辺の伝承

 内之浦港
 「日子穂々出見尊綿津見宮より御帰着伝承地」とされている。「大成経」という書物には、この後、都城市都島に拠点を移したと記録されている。

 国見岳
 日子穂々出見尊の御陵とされる。内之浦町の高屋神社はもともと国見山山頂にあったといい、現在地の東南二十間ばかりのところにある天子山といわれるところは、景行天皇の御所であるという。地元の伝承では、もともとこの地はクマソタケルの居城があったところで、景行天皇がクマソ征伐した際、国見山の高屋陵を遥拝するために創建したともいわれている。

 黒園嶽
 土俗相傳へて、火火出見尊遊行し給ひし所なりと云ふ。是に一神石、山上に屹立す。高さ壱間三尺余、囲壱間四尺、街道より南に丁る、奇しき巌にて、石の下に火火出見尊を斎ひ祭る。毎年四月三日を以て、祭事あり。<麑藩名勝考>

 甫与志岳
 彦火火出見尊と豊玉姫との間に産まれた草葺不合尊を玉依姫が育てた地であるとされる。このため母養子山(ぼようしやま)と呼ばれ、これが山名の由来になったといわれる。 保養子岳、穂吉岳と書かれることもある。また、別名を笹尾岳とも呼ばれ、これは草葺不合尊が産まれる際に 臍の緒を切った竹が根付いて竹原となったためとされる。
 玉依姫が草葺不合尊を育てる際に母乳が出ないことに困り、頂上石祠近くの湧水を乳房に垂らしたところ 母乳が出るようになったとする言い伝えがある。また、北西山腹に「京都の道」と呼ばれる小平地があり、 彦火火出見尊や草葺不合尊が通った跡といわれる。

 日子穂々出見尊は南より海路内之浦にやってきたと思われる。黒園嶽・国見岳の伝承から判断して、日子穂々出見尊はこの山に登り周辺の地理を把握していたようである。

 鵜茅草葺不合尊もこの地に上陸しているのであろう。この地は鵜茅草葺不合尊の生育の地ではないが、玉依姫がその子を育てた場所である可能性はある。鵜茅草葺不合尊は玉依姫と結婚して数年がたっていると思われる。その長子五瀬命が誕生していてもおかしくはない。種子島に滞在中五瀬命が誕生しており、その子を連れて、内之浦に上陸したことが伺われる。

 甫与志岳北西部に「京都の道」と呼ばれる道があり、日子穂々出見尊・鵜茅草葺不合尊が通った道と伝えられている。甫与志岳北西部には岩屋川があり「京都の道」はこの川沿いの道であろう。この川を下ると鹿屋市であり、神武天皇出港地である柏原海岸に出る。この周辺の地は後の時代(AD65年頃以降)鵜茅草葺不合尊が長期滞在した場所である。弥生遺跡密度の高いところで、多くの人々が住んでいたが、いまだに倭国に加盟していない地域であった。鵜茅草葺不合尊はこの土地の開拓の必要性をこの時感じていたのであろう。

 鵜茅草葺不合尊倭国巡回

 AD55年頃、日向津姫は日子穂々出見尊に対馬に行き、海外交易路を確保するように命じ、鵜茅草葺不合尊には倭国を巡回するように命じた。

紐解神社 祭神 鵜茅草葺不合尊・豊玉姫・玉依姫

 社伝によると祭神鵜葺草葺不合尊当国へ御巡幸ありし時、袖師浦を経て西尾の潜戸に御着船せられ、それより杵築尾を通り、内久保の所にいたり岩の処に暫し憩い給いてより当社の地に至り御駐輦在らせられしという。<神社案内板より>

 この神社の所在地は松江市西尾町273であり、松江市の東側である。東からやってきたと思われる。滞在時期はAD55年頃ではあるまいか。この当時出雲は東倭の中心地として存在しており、松江市大庭がその中心地勢あったと思われる。天穂日命が素盞嗚尊祭祀を強化していたときであろう。鵜茅草葺不合尊はその様子を見ていると思われる。

 宇原神社 福岡県京都郡苅田町馬場
社伝等によれば、鵜茅草葺不合尊が苅田に上陸したので、後世その荒魂を祀ったのが「宇原神社」の始まりと伝えられている。

 この地は日子穂々出見尊の上陸地でもあり、対馬に旅立つ日子穂々出見尊がこの地に宮を作りしばらく滞在していたと思われる。鵜茅草葺不合尊も、同時にこの地に滞在しており、ここから、日子穂々出見尊は対馬へ、鵜茅草葺不合尊は、東倭訪問に出発したのであろう。

 九州を除く愛知以西の鵜茅草葺不合尊の主祭神筆頭とする神社一覧(平成祭データより)

県名 祭神 神社名 鎮座地
香川県 鵜茅葺不合尊 宇閇神社 綾歌郡綾歌町栗熊西277
香川県 鵜葺草葺不合命 鵜羽神社 高松市屋島西町298
岡山県 鵜茅葺不合命 摩賀多神社 久米郡中央町越尾1317
岡山県 彦波限建鵜草葺不合尊 高野神社 津山市二宮601
兵庫県 葺不合命,神武天皇,玉依姫命,允恭天皇,少海童神 青龍神社 明石市藤江字出の上1191
大阪府 鵜葺草葺不合尊,玉依比売命 日根神社 泉佐野市日根野631番地1
京都府 彦波瀲武鵜草葺不合尊,玉依姫命 玉依神社 亀岡市東別院町湯谷岳山78
京都府 鵜草葺不合尊 三之宮 京都市山科区東野八反畑町60
京都府 鵜草葺不合尊 三ノ宮神社 京都市西京区川島玉頭町61
愛知県 鵜草葺不合尊,彦火火出見尊,玉依比売命,神日本磐余彦尊 知立神社 知立市西町神田12
愛知県 鵜茅草葺不合命 池鯉鮒社 名古屋市港区魁町2-31
愛知県 建鵜菩草葺不合命,須佐之男命 知立社 名古屋市中川区小碓町十六番割54
愛知県 彦波限建鵜草葺不合尊 波限神社 名古屋市熱田区一番2-45-8
岐阜県 鵜草葺不合尊 白山神社 郡上郡八幡町有坂字道下1390番地の1
岐阜県 鵜草葺不合尊,菊理姫命 佐羅早松神社 美濃市上河和1582番地の1
富山県 鵜草葺不合尊 糸岡神社 小矢部市五社3080
石川県 鵜草葺不合尊,菊理姫命 佐良早松神社 石川郡吉野谷村佐良ヤ11
福井県 鵜草葺不合尊 宇波西神社 三方郡三方町気山129-5
福井県 鵜草葺不合尊 山脇神社 三方郡三方町生倉8-3
福井県 鵜草葺不合尊 住吉神社 勝山市北市8-3
福井県 鵜草葺不合尊 西浦神社 勝山市野向町牛ケ谷西浦102-1
福井県 鵜草葺不合尊 鵜草神社 勝山市立川2村中33
福井県 鵜茅草葺不合神,神倭磐余彦尊,椎根津彦,武位起命 佐々牟志神社 丹生郡朝日町佐-生30-1
福井県 彦波瀲武鵜草葺不合尊 白城神社 敦賀市白木字上取10-4
福井県 鵜草葺不合尊 鵜甘神社 南条郡南条町堂宮9
兵庫県 鵜草葺不合命,玉依姫命,太玉命,天児屋根命 埋田神社 神崎郡神崎町中村629-1
兵庫県 鵜葺草葺不合尊 二森神社 氷上郡市島町喜多1785-2
兵庫県 鵜草葺不合尊 内尾神社 氷上郡氷上町三原字南奥嶋13
兵庫県 葺不合尊,彦大大出見尊,玉依姫命,木花開耶姫命 大與比神社 養父郡関宮町三宅392-1
京都府 鵜草葺不合命 うのもり神社 舞鶴市南田辺二の丸8
鳥取県 鵜草葺不合尊 天高神社 倉吉市八屋428
島根県 鵜草葺不合尊,豊玉比売命,玉依比売命 比加夜神社 松江市坂本町143
島根県 鵜葺草葺不合尊,豊玉姫命,玉依姫命 紐解神社 松江市西尾町273
島根県 鵜草葺不合尊 宇土井神社 平田市下岡田町383
高知県 鵜草葺不合尊 御崎神社 安芸郡奈半利町字川甲2883

 敷山神社 福井県鯖江市河和田町45天神山1 祭神 鵜茅草葺不合尊、日子穂々出見尊
 伝承 鵜?草葺不合尊が北にある稲授山にて種まきを教えたと伝える。

 高野神社 岡山県津山市高野本郷1014 祭神 鵜茅草葺不合尊
伝承 鵜茅草葺不合尊は、この土地の開拓神の祖。吉井川をさかのぼって海人族が入植したと考えられている。

 宇波西神社 三方郡三方町気山129-5 祭神 鵜茅草葺不合尊
 伝承 大宝元年 鵜茅草葺不合尊が日向浦に垂跡し、日向・出雲を通ってやってきたといったという。周辺は日向から多くの人々が入植したらしい。

 鵜茅草葺不合尊の福井県鯖江市まで行っていることが確認された。宇波西神社の記録によれば、日向→出雲→若狭であるが、大宝元年に鵜茅草葺不合尊が現れたとしているので、真実性は低いかもしれないが、何らかの伝承が残っていた可能性がある。岡山県の高野神社の伝承は、子孫が訪れており、鵜茅草葺不合尊自身とは思われない。

 一部を除いて鵜茅草葺不合尊を筆頭祭神としている神社は圧倒的に日本海側が多い。これらの神社の中に、伝承は失われたが、鵜茅草葺不合尊の滞在地後に祀られ神社があると思われる。鵜茅草葺不合尊は日本海側を中心として巡回していたとみてよいであろう。妻の玉依姫が飛騨国出身であるために、飛騨国訪問も目的の一つであったのかもしれない。

 倭国を巡回することによって、見聞を広め、次代の倭国王として成長することを狙った、日向津姫の計らいであろう。

 九州地方の鵜茅草葺不合尊を筆頭祭神とする神社一覧(平成祭りデータより)

県名 祭神 神社名 鎮座地
福岡県 葺不合尊,火火出見尊,豊玉姫命 鮭神社 嘉穂郡嘉穂町大字大隈542
福岡県 彦波瀲武鵜茅草葺不合尊,彦火火出見尊,豊玉姫命 宇原神社 京都郡苅田町大字馬場字宮山410
福岡県 鵜茅草葺不合尊,少童海神,豊玉姫命 綿積神社 糸島郡志摩町大字船越170
福岡県 鵜草葺不合尊,菅原道真 両所神社 糸島郡前原町大字富597
大分県 鵜茅葺不合命 鵜戸社 南海部郡宇目町大字重岡2339番地
大分県 鵜草葺不合尊,大歳神,菅原神 宇戸神社 佐伯市大字戸穴2539番地
大分県 鵜芽葺不合命,大山祇命 神角神社 大野郡朝地町大字鳥田1354番地
大分県 彦波瀲武鵜茅草葺不合尊,天津彦彦火瓊瓊杵尊 宮尾社 大野郡三重町大字宮野3087番地
宮崎県 彦波瀲武鵜茅草葺不合尊 鵜戸神宮 日南市大字宮浦3232
宮崎県 鵜萱葺不合尊 鵜戸神社 児湯郡高鍋町大字蚊口浦1-1
長崎県 彦波瀲武鵜茅草葺不合尊 住吉神社 下県郡美津島町大字鶏知字甲1281番地
長崎県 彦波瀲武鵜茅草葺不合尊,三筒男命 住吉神社 下県郡美津島町大字鴨居瀬字住吉491番地
長崎県 彦波瀲武鵜茅草葺不合尊,豊玉比売命,玉依毘売命 若宮神社 南高来郡西有家町須川1208番地
長崎県 彦波瀲武鵜茅草葺不合尊,神武天皇,応神天皇,菅原道真 和多都美御子神社 下県郡豊玉町大字仁位字桜町1416番地
鹿児島県 鵜茅草葺不合尊,玉依姫命 鵜戸神社 肝属郡吾平町麓3579
鹿児島県 鵜茅葺不合尊,豊玉姫命,塩土老翁神 鵜戸神社 肝属郡田代町麓5176
鹿児島県 鵜草葺不合命 浦田神社 西之表市国上345
鹿児島県 鵜茅葺不合尊,神武天皇,五瀬命,稲飯命,三毛入野命 河上神社 肝属郡大根占町城元2088
鹿児島県 鵜茅葺不合尊,塩土老翁,豊玉姫命 近津神社 肝属郡田代町麓5176

 鵜茅草葺不合尊は九州地方も巡回していると思われる。九州地方で鵜茅草葺不合尊を筆頭祭神としている神社は上のとおりである。

 福岡県では鮭神社、宇原神社は共に誕生伝説地であるが、滞在伝承も持っている。残り二つの綿積神社、両所神社ともに糸島地方に存在している。糸島地方はこの当時伊都国であり、まだ倭国に加盟していないのである。瓊々杵尊もこの周辺に滞在していたと思われ、瓊々杵尊に会うとともに伊都国の様子も探っていたのではあるまいか。

 大分県内では、宇戸神社以外は現在の国道10号線の周辺に存在しており、この経路を巡回しているものと判断できる。長崎県下ではほとんどが対馬に存在しており、日子穂々出見尊が滞在してる対馬を訪れている様子がうかがわれる。

 鵜茅草葺不合尊はこれらの地域を巡回したのち、AD57年頃、蚊口浦の鵜戸神社の地に戻ってきたのである。この神社は鵜茅草葺不合尊の上陸地として伝承されている。この巡回中に五瀬命、稲飯命、三毛入野命が誕生していると思われるが生誕地は不明である。これら神社の中には鵜茅草葺不合尊自身の誕生伝承地が含まれている。鵜茅草葺不合尊という神名と誰かの誕生伝承だけが残ったとすれば、この地が五瀬命、稲飯命、三毛入野命の誕生地となろう。移動の順番から推定すると、五瀬命(内之浦母与志岳生育伝承)、稲飯命(宇原神社)、三毛入野命(鮭神社)が該当することになろう。

 鵜茅草葺不合尊の神武天皇誕生までの推定年表は以下のようになる。 

推定年 出来事
AD35年頃 香川県豊島神子ヶ浜にて生誕。乳幼児期、屋島の近くの鵜羽神社の地で生育
AD43年頃まで 宮崎県西都市童子丸の童子丸神社の地で生育
AD47年頃 宮崎県都城市都島で日子穂々出見尊とともに生活
AD50年頃 鹿児島県枚聞神社の地で飛騨王家の娘玉依姫と結婚
AD51年頃 種子島浦田神社の地で技術指導
AD52年頃 内之浦にて技術指導。五瀬命誕生
AD53年頃 日向津姫より倭国巡回を命じられる。宇原神社の地で稲飯命誕生。
倭国巡回に出発。出雲→若狭→越前→飛騨と訪問。
AD55年頃 北九州瓊々杵尊のもとを訪ねる。伊都国巡回。
鮭神社の地で三毛入野命誕生。
対馬の日子穂々出見尊のもとを訪ねる。
AD57年頃 日向国蚊口浦の上陸。日向に帰還。佐野原聖地で周辺を統治。
AD58年頃 宮崎県高原町の宇都に移動。現王島にて神武天皇誕生

 

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