少彦名命登場

 

 倭国王の位を継いだ大国主命は,三刀屋町の三屋神社の地に政庁を造り,そこで政務を司ったようである。三屋神社には「大己貴尊の惣廟である。」と記録されており,また,一の宮と呼ばれていることから,そのように判断するのである。大国主命はその知恵を生かして,国を治めたようである。ここは斐伊川沿いの盆地であることから,大国主命は農業開発などが目的でこの地を選んだものと考えられる。以後,この地が出雲国の中心地となる。

 素盞嗚尊も齢60程となり、あと何年も生きられないことに気付いた。巨大になった倭国を統治する第二代倭国王は大己貴命に決定したが、彼が、しっかりと倭国を統治しないと折角まとまった倭国は崩壊することが予想された。大己貴命は倭国内の人々にあまり知られていないので、第二代倭国王として全国巡回を命じた。

 

三屋神社拝殿

 大国主は倭国王を継いだ後、出雲にじっとしていることはほとんどなかったようである。紀伊国、四国、九州と飛び回ったようである。

 第二代倭国王の誕生

 素盞嗚尊は紀元10年ごろ九州を統一し25年ごろまで安心院の地で日向津姫と結婚生活を送っている。この間に市杵島姫・天忍穂耳尊・天穂日命が誕生した。 25年ごろ出雲に帰還し、30年ごろまで島根県佐田町の須佐神社の地で隠棲していたと思われる。AD18年頃末子(相続者)の須世理姫に大己貴命という恋人ができた。 大国主命は,出雲王朝の系統で古来からの出雲の統治者である。素盞嗚尊としても娘が大己貴命と結婚すれば、出雲国の安定統治には欠かせないものとなる。しかし、素盞嗚尊と正反対の性格で,学者肌であり、研究者に向いており、政治家としては不十分に感じさせるものがあった。

 紀伊国の開拓

 この時、大己貴命は素盞嗚尊の娘の須世理姫と結婚の話が進んでいることに嫉妬を感じた兄たちからいじめられていた。素盞嗚尊は大己貴命に倭国を任せるのに不安を感じ、素盞嗚尊は統一したばかりでまだ不安定である紀伊国の開拓を命じた。

和歌山県の大国主伝承を持つ神社

伊太祁曽神社 和歌山市伊太祈曽 大穴牟遅神(大國主之神)が八十神からの迫害を避けるべく木の国の大屋毘古の神の御所(当地)に来た
国主神社 和歌山県有田市 周辺に大国主命を祀る神社が多い。伊太祁曽に滞在中の大国主命が国土開発したものと思われる。

 大己貴命は和歌山を開拓中の大屋彦命を頼ってこの地に来た。大己貴命は科学的知識の豊富な人物だったので、 彼のアイデアによって紀伊国の国土開発が軌道に乗ったのである。これは彼にとって大きな成果であった。 1年ほどの滞在ではなかっただろうか。

 少彦名命の漂着

 古事記

 大国主命が出雲の御大(ミホ)の岬にいるとき、波頭を伝わって天の羅摩船(カガミブネ=ガガイモの殻でできた船)に乗り、鵝(ヒムシ=蛾) の皮を着て現れた。不思議に思った大国主命が家来の神に尋ねたが、誰もその正体を知らなかった。そのときそばにいた蟇蛙(ガマガエル) が「クエビコ(山田のかかしのこと)なら知っているでしょう」というのでクエビコに聞くと、「神産巣日神の御子で少彦名神です」と答えた。 そこで大国主命が出雲の祖神である神産巣日神に伝えると、神は「これは私の掌の股からこぼれた子である。これからは兄弟の契りを結び、 国を造り固めるがよい」と二神に申し渡した

 少彦名命とはどのような出自の人物であろうか?出雲国に海からやってきたと言われている。その海岸は五十狹狹(いささ)の小汀(おはま)と記述されている。別表記に五十田狭之小汀いたさのをはま、【記】伊那佐之小浜いなさのをばま(底本によっては伊耶佐之小浜いざさのをばま〕ともあり、最も該当するのは島根県大社町の稲佐浜と思われる。しかしこの当時ここは海であり、実際の海岸線はさらに東の今の斐伊川の西岸あたりであると思われる。ここに上陸している。神魂命(飛騨王)の子と云われている。先進技術を持っていることから推察し、朝鮮半島から流れ着いた人物と推定する。飛騨王が朝鮮半島で先進技術を学ばせ、朝鮮半島からやってきたのかもしれない。いずれにしても少彦名命は大変な先進技術を持っていたのである。早速大国主命はこの人物を重用した。

 大国主命は少彦名命と知り合ってすぐに越国統一に赴いている。少彦名命が飛騨関係の人物と思われるので、飛騨国が北陸地方の統一に協力したことになる。飛騨国にとって饒速日尊との交渉により協力関係が得られていたので、倭国との協力関係にも力を入れ始めたのであろうと思われる。そのため、北陸地方の統一に飛騨国が協力したのであろう。

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