甲斐国統一
饒速日尊は甲斐国も巡回していた。甲斐国の統一はどの時期かがなかなかわからなかった。信濃国を統一した後か、関東地方を統一した後かということで判断がつきかねていたが、駿河国を統一した後ではないかと考えるようになったので、その視点で甲斐国統一の実態を推理してみようと思う。
甲斐国で、饒速日尊が拠点としたのではないかと思える式内社を調べてみると、甲府盆地に集中していた。甲府盆地は富士川の流域であり、饒速日尊は富士川をさかのぼって甲府盆地の統一をしたことがうかがわれる。当初関東地等統一後ではないかと考えていたが、その場合、相模川をさかのぼることになるが、相模川流域に拠点だったと思える式内社が存在していないのである。相模川をさかのぼれば、大月市周辺や富士吉田市周辺の伝承地が多くなると予想したが、全くと言ってもいいほど存在しない。最も自然に考えられるコースが、富士川をさかのぼるルートである。
甲斐国に残る神社で、饒速日尊が拠点としたのではないかと思える神社を上げると次のようになる。
神社命 | 祭神 | 住所 | 備考 |
---|---|---|---|
物部神社 | 饒速日命、宇麻志麻治命、可美眞手命、彦湯支命 | 山梨県笛吹市石和町松本615 | |
甲斐奈神社 | 彦火火出見尊、大己貴命 | 山梨県笛吹市春日居町国府361 | |
甲斐奈神社 | 菊理姫命、木花咲耶姫命 | 山梨県甲府市中央3丁目7-11 | 人皇第二代綏靖天皇の御代、甲斐国開拓に際し甲斐奈山(現・愛宕山)の頂 きに白山大神を祀ることに始まり、以来、延喜式神名帳に載る如く甲斐国鎮守の神と して尊崇された |
黒戸奈神社 | 大山祇命 | 山梨県甲府市黒平町3 | |
穴切大神社 | 大己貴命、少彦名命、素盞嗚尊 | 山梨県甲府市宝2丁目8-5 | 湖水であった甲府盆地を通水した神 |
細草神社 | 日本武尊 | 山梨県甲府市平瀬町2935 | 人皇43代元明天皇和銅年中、当甲斐国未だ湖水なりしが、時の国司国内を巡見し て、湖水の跡良田ならんと考へ、朝に奏聞の上、大己貴命に祈願こめて土を起し、多 くの人夫を督し鰍沢口を切り開き、水を南海に注がれたるに湖水退きて大半良田とな り、民以て食につき、貢物は三倍にも増した。 |
金桜神社 | 大國主命、少名彦名命 | 山梨県山梨市牧丘町杣口2919 | 金桜神社は金峰山の里宮にて古くは大社 なりと伝う。大国主命、少彦名命を祭神とし、蔵王権現および小守勝手の両祠を併祀 す。 |
金桜神社 | 大己貴命、事代主命 | 山梨県山梨市万力3557 | |
玉諸神社 | 大己貴命 | 山梨県甲府市国玉町133 | 甲斐三ノ宮。山宮の地を御室山と言う。 |
二宮神社 | 天津彦火瓊瓊杵尊、大己貴命、天穗日命 | 山梨県甲府市川田町361 | |
山梨岡神社 | 大山祇命、別雷命、高神 | 山梨県東山梨郡春日居町鎮目1096 | |
神部神社 | 大物主命 | 山梨県 南アルプス市下宮地563 | 垂仁天皇の御宇大和国城上郡大三輪神社より勧請。太神山[みわ]に山宮があった。舟祭は祭神が舟で勧請された故事にちなむ。 |
中尾神社 | 大己貴命、少彦名命 | 山梨県笛吹市一宮町中尾1331 | 飛永明神と号し大己貴命、少彦名命を合幣し垂仁天皇7年正月甲子の日勧請す |
淺間神社 | 木花開耶姫命 | 笛吹市一宮町一ノ宮1684 | 第11代垂仁天皇8年正月始めて神山の麓に鎮祭す。今ここを山宮神社と称して摂社 たり。。第56代清和天皇の貞観7年12月9日現在の地に遷祀せらる。甲斐国の一 宮にして延喜の制に於ける明神大社たり。 |
賀茂系の神社が見られないために、賀茂健角身命はここには来ていないようである。賀茂健角身命が磯長国の統一をしていた時と同じ時期ではあるまいか。饒速日尊が甲斐国を統一したのはAD41年ごろと推定する。
饒速日尊の名で祭られている神社は少なくほとんどは大国主命あるいは大己貴命である。他の地域でも同様で、饒速日尊はヒノモト(大国)の国王(主)であるために、大国主命と呼ばれていたようである。倭国王の大己貴命も同様に大国主命である。
甲斐国にはこの当時巨大な湖があったようである。湖の周辺地は農地に向いた土地であり、その周辺地を灌漑をすることにより作物の収量を上げたことが考えられる。饒速日尊は人々にその計画を指示したのであろう。
これらの伝承地は、ほとんどが湖の湖畔と思われる地である。そのほかの地域には山岳部を除いて存在していない。饒速日尊は湖周辺の開拓の指示のみ行い、賀茂健角身命がまとめていた磯長国へ移動したのではあるまいか。
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