神皇産霊神の正体

 神皇産霊尊に関する伝承

 神皇産霊神は皇居八神殿の第一殿に祭られている神である。皇祖神とされている高皇産霊神が第二殿であるから、神皇産霊神は皇祖神以上に重要な神とも云える。大和朝廷成立に関し非常に重要な関係がある神と思われるが、その正体は全く謎のままである。古代史の復元で判明したことをもとに、この神皇産霊神の正体を推定してみよう。

 まず、神皇産霊神はその系統を見てみることにする。
出雲神話によく登場し少彦名命の父、と言われている。
賀茂氏系図では神皇産霊神→天神玉命→天櫛玉命→鴨建角耳命となっており、神皇産霊神もBC40年頃生誕の人物となる。天神玉命も天櫛玉命も饒速日尊の天孫降臨のメンバーである。

 神皇産霊神は出雲の御祖神とされる神魂命と同神と言われている。『出雲国風土記』では、支佐加比賣命、八尋鉾長依日子命、宇奈加比賣命、天の御鳥命の親神となっている。 楯縫郡の条においては「天の下造らしし大神のために、柱は高く板は厚く、十分にととのった宮殿を造り奉れ」と詔し、天御鳥命を天降りさせる。 また、神魂命は大国主神の危難を救った神として、出雲大社本殿では客神として、境外社・神魂伊能知奴志神社(命主神社)では祭神として祀られているが、出雲の御祖神でありながらなぜか 現在の出雲において主祭神一、配祀八、境内(外)社三と祀られている社は意外に少ない。唯一主祭神として祀られているのが高宮神社(松江市宍道町)である。また、 佐太大神(猿田彦)の祖母が神皇産霊神であると伝えられている。

生馬神社伝承
 八尋鉾長依日子の命は、神魂尊の御子にあらせられ、国土開発経営に際し、殊の外力をいれ拓殖の道を開き給う。 神魂命の子どもである私は、平明かに憤まず(怒らない)」と言ったのでこの土地を生馬(いくま)ということになった

法吉の地名説話
神魂命の御子である宇武加比賣命が法吉鳥(鶯といわれる)になって飛び渡り、ここに静かに坐したからホホキと名づけた。

古事記
 ウムカヒは大蛤のことを表すといい、『古事記』にはオオナムチが兄弟神に迫害され大火傷を負った時、カミムスビがこの神を遣し、 貝殻の粉を集め蛤の汁で溶いて塗り治療したと、古代火傷の民間治療法の説話を残す。

 大国主神の国土経営の際、御子・少名毘古那神を派遣して 「神産巣日神の御子少名毘古那神なりと答白しき。故に爾に神産巣日御祖命に白し上げしかば、此は実に我が子なり。 子の中に、我が手俣よりくきし子なり。故れ汝葦原色許男命と兄弟と為りて、その国を作り堅めよとのたまひき」

出雲風土記
『神魂命が「所造天下大神(大穴持命)のために、高天原風の大きさ・構えで立派な宮殿を造れ」と詔し、子神の天の御鳥命を武器の楯を造る氏人として天降りさせ、大穴持命の宮におさめる調度品の楯を造り始め、今に至っても楯・木牟をつくって奉っているので楯縫という』。

 これら伝承をまとめてみると、神皇産霊神は素盞嗚尊の影が色濃い。神皇産霊神=素盞嗚尊かとも思える。しかし、常世国から渡ってきた少彦名命が神皇産霊神の子である。また、母神(女神)であると伝わっていることや、佐太大神(猿田彦)の祖母であるので、素盞嗚尊と同世代の別人物とも考えられる。

 神皇産霊尊関係の各豪族の系図をまとめると下のようになる。

神皇産霊神の関係系図

      ┏━少彦名命
      ┃
      ┣━天御鳥命━━━━天道根命・・・紀氏
      ┃
      ┣━天神玉命━━━━天櫛玉命━━賀茂建角身命・・・賀茂氏
      ┃ 
      ┣━天津久米命━━━天多祁箇命━大久米命・・・久米氏
      ┃ 
      ┃ 伊弉諾尊━━━━矢倉姫━━┓
      ┃              ┣━━大麻彦━━━由布津主・・忌部氏
神皇産霊尊━╋━天背男命━┳━━天日鷲命━┛
      ┃      ┃
      ┃      ┗━天比理刀咩命┓┏天櫛耳命━━天富命・・(安房国)
      ┃              ┣┫
      ┃ 高皇産霊神━━━天太玉命━┛┗天細女命┓
      ┃                    ┃
      ┗━支佐加比姫━┓            ┣・・・・・猿女君
              ┣━猿田彦命━━━━━━━┛
素盞嗚尊━━━━饒速日尊━━┛

 神皇産霊尊を祀っている神社は出雲が圧倒的に多い。出雲の祖神と言われている面がある。しかし、その御子たちを出雲に降臨させているという伝承が多く、神皇産霊尊の本拠地は出雲以外にあるということになる。

賀茂氏との関係

 賀茂氏の系図は2系統ある。

①高魂命-伊久魂命-天押立命-陶津耳命-玉依彦命
      (生魂命) (神櫛玉命)(建角身命)        
                    (三島溝杭耳命)
                                 ┌鴨建玉依彦命
②神皇産霊尊-天神玉命-天櫛玉命-鴨建角身命┤
                          (八咫烏) └玉依姫─賀茂別雷命

 この2系統をつなぐものとして鴨氏始祖伝がある。

高皇産霊尊   ┌高皇産霊神――天太玉命――天石戸別命――天富命
   ├――――┤
神皇産霊尊   └天神玉命―――天櫛玉命――天神魂命――櫛玉命――天八咫烏

 両者をつなぐと次のように推定される。

高皇産霊尊   ┌高皇産霊神――天太玉命――天石戸別命――天富命
   ├――――┤
神皇産霊尊   └天神玉命―――天櫛玉命――天八咫烏
            (天活玉命・神魂命)      (鴨建角身命)

ここで、天神玉命=神魂命=神皇産霊尊と考えられる。賀茂氏は飛騨王朝と関係していると想定しており、賀茂氏の祖が神皇産霊神ということは神皇産霊尊は飛騨王朝と関係があるということになる。そこで、賀茂氏の系図とウガヤ王朝(飛騨国)系図とつなぐと次のようになる。 


                      
                                               
          (出雲朝4代)   (出雲朝5代)  (出雲朝6代)
         ┏淤美豆神━━━━━━天之冬衣神━━━大己貴命
         ┃                                       ┏積羽八重事代主命(出雲へ)
         ┃        素盞嗚尊━┓                         ┃
         ┃             ┣━━━━━饒速日尊━━━━━━━━━━━━━━┓ ┣春日建櫛甕玉━┓┏賀茂別雷命(天日方奇日方命)
         ┃       ┏神大市姫━┛                       ┣━┫(事代主)  ┃┃(72代)
  (出雲朝3代) ┃       ┃                 ┏━━━━━矢野姫━━━┛ ┗下照姫    ┣┫ 
    豊葦原大彦┫       ┃                 ┃ (天知迦流美豆比売)    (若彦妻) ┃┗五十鈴姫━┓
(深淵之水夜禮花)┃(神皇産霊尊)┃                 ┃             ┏━鴨建玉依彦 ┃      ┃
         ┗天津豊日足媛┓┃         ┏68代宗像彦天皇╋━69代神足別豊鋤天皇━━━┫    (70代)┃        ┃
         (伊弉冊尊) ┣┫         ┃ (大山祇命)┃(鴨建角身命・味耜高彦根命)┗━活玉依姫━━┛       ┣綏靖天皇
     66代豊柏木幸手男彦天皇┛┃  (天神玉命)  ┃ (天櫛玉命)┃               (71代)         ┃(74代)
    (伊弉諾尊・高皇産霊尊) ┣67代春建日姫天皇┓┃       ┣━天津国玉━━━━━━━━━━御中若彦         ┃
                 ┃        ┣┫       ┃               (天若彦)         ┃
                 ┃        ┃┃       ┗━━━━━━━阿多津姫┓                ┃
                 ┃ ┏━高天原建彦┛┃                   ┣━               ┃
                 ┃ ┃(高皇産霊神)┃           ┏━━━瓊々杵尊┛                ┃
       天浮船乗知・・・━━━━┫       ┃           ┃                        ┃
        (秦徐福)    ┃ ┃       ┗━━━真鳥風━━━━━━━━早草綿守┳━━━━━玉依姫━━┓      ┃
                 ┗━┃━神皇産霊尊┓            ┃ (豊玉彦)┃          ┣━神武天皇━┛
                   ┃      ┣━━━高皇産霊神━━┓ ┣━━━━━━┃━鵜茅草葺不合尊━━┛  (73代) 
                   ┗━高皇産霊尊┛          ┣━┫      ┃                   
                                     ┃ ┃      ┗━━━━━豊玉姫━━┓
                              日向津姫━━━┛ ┃                 ┣━穂高見命
                                       ┗━━━━━━━━━━日子穂々出見尊┛  

 賀茂氏の系図をもとにウガヤ王朝・飛騨伝承と照合すると、神皇産霊神は、出雲から飛騨国に嫁入りした飛騨伝承に伝えられる伊弉冊尊(天津豊日足姫)に該当することになる。その夫が高皇産霊尊なので、高皇産霊尊は飛騨伝承にいうところの伊弉諾尊(66代豊柏木幸手男彦天皇)に該当することになる。

 もし、この仮定のとおりだとすると、神皇産霊神が出雲と関係が深い理由、出雲の始祖と言われながら出雲の外から御子たちを出雲に降臨させている理由が説明できる。

 ただ、伊弉冊尊(天津豊日足姫)の娘ヒルメムチ(第67代春建日姫天皇)も天神玉命=神魂命=神皇産霊尊に該当しており、神皇産霊尊は飛騨王国の系統名とも考えられる。

 飛騨伝承をもとに世代を考慮して神皇産霊尊の系図を修正すると次のようになる。 

神皇産霊神の関係系図

          ┏━天津久米命━━天多祁箇命━━大久米命・・・久米氏
          ┃
          ┣━天御食持命━┳━彦狭知命━━━手置帆負命━天越根命━━天道根命・・・紀氏
          ┃ (天御鳥命)┃
          ┃       ┗━天道日女命┓
          ┃              ┃
          ┃       ┏━少彦名命 ┣━天香語山命━━高倉下命
          ┃       ┃      ┃
          ┃       ┃      ┃       ┏━━玉依彦・・・賀茂氏
          ┃       ┣天櫛玉命━━━賀茂建角身命━┫
          ┃       ┃      ┃       ┗━活玉依姫━┓┏賀茂別雷命 
          ┃       ┃      ┃              ┣┫
          ┃       ┃ 饒速日尊━┻━━━━━━━━━事代主命━┛┗五十鈴姫━┓
          ┃       ┃                            ┣綏靖天皇
          ┃       ┃┏日向津姫━━━━━━━━鵜茅草葺不合尊━━━神武天皇━┛
          ┃  伊弉諾尊━┃┫   
          ┃       ┃┗━━矢倉姫━┓
    神皇産霊尊━╋━天神玉命━━┫       ┣━━━━━━━大麻彦━━━━━由布津主┓
  (天津豊日足姫)┃(神魂・生魂)┃┏━天日鷲命━┛                   ┣阿多々主命・・・忌部氏
  (伊弉冊尊)  ┗━天背男命━━┃┫                     ┏飯長姫━┛
                  ┃┗━天比理刀咩命┓┏━天櫛耳命━━━天富命━┫
                  ┃        ┣┫            ┗弥麻爾支━━阿多々主命
           高皇産霊神━━━━━天太玉命━━┛┗━天細女命┓
                  ┃               ┃
                  ┗支佐加比姫━┓        ┣・・・・・猿女君
                         ┣━猿田彦命━━━┛
           素盞嗚尊━━━━饒速日尊━━┛

 神皇産霊尊の御子とされている人物を同世代の活躍時から分別してみることとする。

①天津久米命

 久米氏の始源の地は北九州糸島半島(福岡県糸島郡志摩町大字野北字久米)、熊本県人吉地方(肥前国球磨郡久米郷:熊本県球磨郡多良木町久米)、鹿児島県一帯(例:南さつま市野間岳東 加世田遺跡付近と三つの説があるが、大久米命がAD25年頃の天孫降臨のメンバーになっていることから、その当時の倭国領域内であると考えられるので、糸島地方か人吉地方であろう。飛騨から九州に派遣されてきていると思われるので、福岡県糸島郡志摩町大字野北字久米の可能性が高いと考えられる。
 大久米命が天孫降臨メンバーなので、AD25年頃活躍していることになる。大久米命は西暦紀元頃の誕生と考えてよいであろう。その祖父にあたる天津久米命はBC40~50年頃生誕となり、素盞嗚尊と同世代と考えられる。

②少彦名命

 少彦名命は大己貴命とともに行動しているので、大己貴命と同世代であり、饒速日尊と同世代となる。

③天御鳥命(天御食持命)

 ひ孫にあたる天道根命が神武天皇(AD58年生誕)と同世代となるので、天御鳥命はその4世代前となり、BC40~AD20年頃の生誕となり、素盞嗚尊と同世代と思われる。

④天神玉命(天活玉命)・天櫛玉命

 天神玉命の子が天櫛玉命であり、天櫛玉命の子が賀茂建角身命であり、賀茂建角身命はAD10年頃生誕と推定しているので、天櫛玉命が饒速日尊と同世代、天神玉命が素盞嗚尊と同世代と考えられる。

⑤天背男命(天手力雄命)

 天孫降臨時に活躍しているが、降臨したのはその子の天日鷲命である。AD25年当時かなりの年齢であったためと考えられる。天日鷲命が饒速日尊と同世代で、天背男命はその一つ上の世代ではないかと考えられる。つまり、素盞嗚尊と同世代である。

⑥支佐加比売命

 出雲時代の饒速日尊の妻となっているので、饒速日尊と同世代と考えられる。

以上の検討から、神皇産霊尊の御子と考えられる人物たちは二世代にわたって存在している。一人の人物が長期にわたって御子を生んだと考えられなくもないが、神皇産霊尊は女性であることを考えるとやはり二世代の名前と考えてよいであろう。

 初代神皇産霊尊(飛騨伝承で伊弉冊尊・ウガヤ王朝で天津豊日足姫)の子が天津久米命・天御鳥命・天神玉命・天背男命であり、神玉=神魂と読めることから、天神玉命が二代目神皇産霊尊であろう。この2代目神皇産霊尊が飛騨伝承におけるヒルメムチでウガヤ王朝における第67代春建日姫天皇となる。

 天津久米命及び天背男命は天孫降臨時に活躍していることから、九州に降臨していることがわかる。

 二代目神皇産霊尊の子と考えられるのが、少彦名命・天櫛玉命・支佐加比売命である。このうち少彦名命と支佐加比売命は出雲に降臨しており、天御鳥命・天櫛玉命は九州に降臨していると思われる。

高皇産霊尊と神皇産霊尊の婚姻関係

 初代の高皇産霊尊が神皇産霊尊を妻としているが、これは、どういうことであろうか。高皇産霊神を徐福系、神皇産霊尊を飛騨系と考えて、その状況を考えてみよう。

 高皇産霊尊はBC30年頃生誕で素盞嗚尊と同世代と考えられ、神皇産霊尊は飛騨伝承では高皇産霊尊と同世代になるのはヒルメムチとなる。飛騨伝承ではヒルメムチの夫は思兼神であり、この神は高皇産霊神の別称となっている。この伝承から考えると神皇産霊尊はヒルメムチに該当することになる。

 ウガヤ王朝の系図ではヒルメムチは第67代春建日姫天皇に該当し、その夫は高天原建彦であり、高天原建彦の父は天浮船乗知で、全国を回った人物という意味のようである。この高天原建彦こそが高皇産霊尊となりうるのである。

 伝承上からそのままつなぐと、高皇産霊尊と神皇産霊尊の婚姻は飛騨王国と徐福系九州王国(高良国)との合併を意味することになり、全体の流れからしてこれはありえないことになる。そこで、この婚姻の意味を可能性のある解釈で行ってみたいと思う。

 飛騨国九州出張所の創設

 神社伝承の中で気になるものが見つかった。

 賀茂神社(うきは市浮羽町山北1)伝承、祭神 神武天皇 賀茂建角身命 賀茂別雷命
「賀茂大神は最初にこの地に天降り鎮座され、神武天皇が日向から大和へ御東遷のみぎり、宇佐から山北へ来られ賀茂大神は八咫烏(やたがらす)となって御東幸を助け奉られたので、今も神武天皇と賀茂大神を奉祀する」

 境内からは縄文土器・縄文系石器が見つかっており、この地に縄文人が住んでいたことを意味している。賀茂氏は飛騨国系であり、同時に縄文系と解釈しているので、この賀茂神社の地に飛騨国からやってきた人々が住んでいたことが推定される。また、神武天皇が訪問した伝承地はこの近くになく、最も近いのが嘉穂郡嘉穂町小野谷の高木神社の地である。神武天皇はここで高皇産霊神を創始している。神武天皇はこの時、わざわざこの地を目指してきたことを意味しており、神武天皇がこの地を訪れることは大和朝廷成立に重要な意味があったことになる。

 古代史の復元ではこの地に飛騨国の九州出張所があったと解釈している。この賀茂神社は大分県日田市の近くである。日田=飛騨につながること、日田市は縄文遺跡が多いことなど、弥生時代にも縄文人が多く住んでいて、その関係で、飛騨国の出張所ができたのではないかと思われる。

 賀茂神社の地に飛騨国の出張所ができたのはいつのことであろうか。天櫛玉命の子の祭神である賀茂建角身命が誕生したのがAD10年頃と思われ、天櫛玉命はBC10年ごろの生誕ではあるまいか。とすれば、高天原建彦と春建日姫との結婚はBC10年頃となる。このことから出張所ができたのはBC10年頃ではないかと考えられる。

 このころは、その20年後素盞嗚尊が北九州統一に乗り出しており、素盞嗚尊以前に九州と飛騨国の同盟関係ができていたことになる。

 飛騨国九州出張所創設の理由

 素盞嗚尊が北九州を統一するまでは、北九州地方は戦乱時代であり、纏まりがなかったようである。この中で高皇産霊尊は高良国王として、奴国・伊都国連合と戦闘状態にあったといえる。しかし、高皇産霊尊は徐福の子孫であり、全国に散らばっている同胞の子孫たちと連携を持っており、当然ながら飛騨国の存在は知っていたことであろう。

 高皇産霊尊は戦乱状態にある北九州を統一し、その後飛騨国の協力を得て日本列島を平和統一しようとしていたのではあるまいか。奇しくも素盞嗚尊が平和統一をしようと図ったのと同じころである。素盞嗚尊自身出雲国建国後新技術を得るために朝鮮半島にわたっているが、この時に北九州で高皇産霊神にあっているのではないだろうか。この時に両者は日本列島平和統一意思確認をしているのではないだろうか。高皇産霊尊と素盞嗚尊の平和統一への始まりの時期がほぼ一致しているのでこのように思えるのである。そのとき、素盞嗚尊は飛騨国と出雲国が結婚により同盟関係になったことを高皇産霊神に話しており、高皇産霊神自身、その情報を独自の情報網で得ていたと思われる。その結果、平和統一には飛騨国との関係が重要であることを知っていたと思われる。北九州が統一されたとき、この北九州も飛騨国との血縁関係を作っておく必要を感じたのではあるまいか。そのために、高皇産霊尊自身が飛騨国に赴き、婚姻関係を結ぼうと図ったのではないかと思われる。

 この時、飛騨国王は第67代春建日姫天皇(ヒルメムチ)であった。春建日姫の方も縄文連絡網を持っていたので、北九州が統一されたことを知っており、これが核になって日本列島統一の流れになることもわかっていたであろう。飛騨国もこれに関わっていないと、飛騨国が滅亡してしまうことが明らかであった。そのために、飛騨国の方も協力的だったと思われる。

 しかし、互いの王同士の婚姻は余程のことがないと実現すると思われず、互いの弟・妹(或いはそれに近い人物)を出し合って、婚姻関係をつくることにしたのではあるまいか。高皇産霊尊から派遣された高天原建彦が春建日姫の夫になり、飛騨国から神皇産霊尊(個人名不詳)が高皇産霊尊の妻になったのではないだろうか。

 九州の高皇産霊神と飛騨の神皇産霊尊の条約が成立したので、BC10年頃、天津久米命、天背男命が高皇産霊尊の妻となった神皇産霊尊(氏名不詳)を引き連れて飛騨国から賀茂神社の地に降臨し、AD10年頃、天御鳥命、天櫛玉命が同じ地に降臨したのであろう。

この、高皇産霊尊と神皇産霊尊との間に生まれたのが天太玉命,三穂津姫,天忍日命,思兼命となる。 

 逆に初代高皇産霊神の弟と思われる高天原建彦(ウガヤ朝名)が第67代春建日姫天皇(ヒルメムチ)の夫となるべく飛騨国に旅立ったのであろう。

 これにより、九州の高皇産霊神と飛騨国の神皇産霊神は互いに協力(むすぶ)ことにより日本列島を平和統一するための基礎ができたのである。そのため、後世、この両者を皇産霊神(ムスビノカミ)と呼ぶようになったと推定している。

 

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飛騨国と出雲国の接近