神皇産霊神の正体
神皇産霊尊に関する伝承
神皇産霊神は皇居八神殿の第一殿に祭られている神である。皇祖神とされている高皇産霊神が第二殿であるから、神皇産霊神は皇祖神以上に重要な神とも云える。大和朝廷成立に関し非常に重要な関係がある神と思われるが、その正体は全く謎のままである。古代史の復元で判明したことをもとに、この神皇産霊神の正体を推定してみよう。
まず、神皇産霊神はその系統を見てみることにする。
出雲神話によく登場し少彦名命の父、と言われている。
賀茂氏系図では神皇産霊神→天神玉命→天櫛玉命→鴨建角耳命となっており、神皇産霊神もBC40年頃生誕の人物となる。天神玉命も天櫛玉命も饒速日尊の天孫降臨のメンバーである。
神皇産霊神は出雲の御祖神とされる神魂命と同神と言われている。『出雲国風土記』では、支佐加比賣命、八尋鉾長依日子命、宇奈加比賣命、天の御鳥命の親神となっている。 楯縫郡の条においては「天の下造らしし大神のために、柱は高く板は厚く、十分にととのった宮殿を造り奉れ」と詔し、天御鳥命を天降りさせる。 また、神魂命は大国主神の危難を救った神として、出雲大社本殿では客神として、境外社・神魂伊能知奴志神社(命主神社)では祭神として祀られているが、出雲の御祖神でありながらなぜか 現在の出雲において主祭神一、配祀八、境内(外)社三と祀られている社は意外に少ない。唯一主祭神として祀られているのが高宮神社(松江市宍道町)である。また、 佐太大神(猿田彦)の祖母が神皇産霊神であると伝えられている。
生馬神社伝承
八尋鉾長依日子の命は、神魂尊の御子にあらせられ、国土開発経営に際し、殊の外力をいれ拓殖の道を開き給う。 神魂命の子どもである私は、平明かに憤まず(怒らない)」と言ったのでこの土地を生馬(いくま)ということになった
法吉の地名説話
神魂命の御子である宇武加比賣命が法吉鳥(鶯といわれる)になって飛び渡り、ここに静かに坐したからホホキと名づけた。
古事記
ウムカヒは大蛤のことを表すといい、『古事記』には大己貴命が兄弟神に迫害され大火傷を負った時、神皇産霊神がこの神を遣し、 貝殻の粉を集め蛤の汁で溶いて塗り治療したと、古代火傷の民間治療法の説話を残す。
大国主神の国土経営の際、御子・少名毘古那神を派遣して 「神産巣日神の御子少名毘古那神なりと答白しき。故に爾に神産巣日御祖命に白し上げしかば、此は実に我が子なり。 子の中に、我が手俣よりくきし子なり。故れ汝葦原色許男命と兄弟と為りて、その国を作り堅めよとのたまひき」
出雲風土記
『神魂命が「所造天下大神(大穴持命)のために、高天原風の大きさ・構えで立派な宮殿を造れ」と詔し、子神の天の御鳥命を武器の楯を造る氏人として天降りさせ、大穴持命の宮におさめる調度品の楯を造り始め、今に至っても楯・木牟をつくって奉っているので楯縫という』。
これら伝承をまとめてみると、神皇産霊神は素盞嗚尊の影が色濃い。神皇産霊神=素盞嗚尊かとも思える。しかし、常世国から渡ってきた少彦名命が神皇産霊神の子である。また、母神(女神)であると伝わっていることや、佐太大神(猿田彦)の祖母であるので、素盞嗚尊と同世代の別人物とも考えられる。
神皇産霊尊から数多くの豪族が分かれている。その系図をまとめると下のようになる。
神皇産霊神の関係系図 ┏━少彦名命 ┃ ┣━天御鳥命━━━━天道根命・・・紀氏 ┃ ┣━天神玉命━━━━天櫛玉命━━賀茂建角身命・・・賀茂氏 ┃ ┣━天津久米命━━━天多祁箇命━大久米命・・・久米氏 ┃ ┃ 伊弉諾尊━━━━矢倉姫━━┓ ┃ ┣━━大麻彦━━━由布津主・・忌部氏 神皇産霊尊━╋━天背男命━┳━━天日鷲命━┛ ┃ ┃ ┃ ┗━天比理刀咩命┓┏天櫛耳命━━天富命・・(安房国) ┃ ┣┫ ┃ 高皇産霊神━━━天太玉命━┛┗天細女命┓ ┃ ┃ ┗━支佐加比姫━┓ ┣・・・・・猿女君 ┣━猿田彦命━━━━━━━┛ 素盞嗚尊━━━━饒速日尊━━┛ |
神皇産霊尊を祀っている神社は出雲が圧倒的に多い。出雲の祖神と言われている面がある。しかし、その御子たちを出雲に降臨させているという伝承が多く、神皇産霊尊の本拠地は出雲以外にあるということになる。
賀茂氏との関係
賀茂氏の系図は2系統ある。
①高魂命-伊久魂命-天押立命-陶津耳命-玉依彦命 (生魂命) (神櫛玉命)(建角身命) (三島溝杭耳命) |
┌鴨建玉依彦命 ②神皇産霊尊-天神玉命-天櫛玉命-鴨建角身命┤ (八咫烏)└玉依姫─賀茂別雷命 |
この2系統をつなぐものとして鴨氏始祖伝がある。
高皇産霊尊 ┌高皇産霊神――天太玉命――天石戸別命――天富命 ├――――┤ 神皇産霊尊 └天神玉命―――天櫛玉命――天神魂命――櫛玉命――天八咫烏 |
両者をつなぐと次のように推定される。
高皇産霊尊 ┌高皇産霊神――天太玉命――天石戸別命――天富命 ├――――┤ 神皇産霊尊 └天神玉命―――天櫛玉命――天八咫烏 (天活玉命・神魂命) (鴨建角身命) |
ここで、天神玉命=神魂命=神皇産霊尊と考えられる。賀茂氏は飛騨王朝と関係していると想定しており、賀茂氏の祖が神皇産霊神ということは神皇産霊尊は飛騨王朝と関係があるということになる。そこで、出雲王朝・賀茂氏の系図とウガヤ王朝(飛騨国)系図とつなぐと次のようになる。
(出雲朝4代) (出雲朝5代) (出雲朝6代) ┏淤美豆神━━━━━━天之冬衣神━━━大己貴命 ┃ ┏積羽八重事代主命(出雲へ) ┃ 素盞嗚尊━┓ ┃ ┃ ┣━━━━━饒速日尊━━━━━━━━━━━━━━┓ ┣春日建櫛甕玉━┓┏賀茂別雷命(天日方奇日方命) ┃ ┏神大市姫━┛ ┣━┫(事代主) ┃┃(72代) (出雲朝3代) ┃ ┃ ┏━━━━矢野姫━━━┛ ┗下照姫 ┣┫ 豊葦原大彦┫ ┃ ┃ (天知迦流美豆比売) (若彦妻) ┃┗五十鈴姫━┓ (深淵之水夜禮花)┃(神皇産霊尊)┃ ┃ ┏━鴨建玉依彦┃ ┃ ┗天津豊日足媛┓┃ ┏68代宗像彦天皇┳╋━69代神足別豊鋤天皇━━━┫ 70代)┃ ┃ (伊弉冊尊) ┣┫ ┃ (大山祇命)┃┃(鴨建角身命・味耜高彦根命)┗━活玉依姫━┛ ┣綏靖天皇 66代豊柏木幸手男彦天皇┛┃ (天神玉命) ┃ (天櫛玉命)┃┃ (71代) ┃(74代) (伊弉諾尊・高皇産霊尊) ┗67代春建日姫天皇┓┃ ┃┣━天津国玉━━━━━━━━━━御中若彦 ┃ ┣┫ ┃┃ (天若彦) ┃ ┃┃ ┃┗━━━━━━━阿多津姫┓ ┃ 天浮船乗知━━━━━━高天原建彦┛┃ ┃ ┣━ ┃ (高皇産霊神)┃ ┃ ┏━━━瓊々杵尊┛ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗━━━真鳥風━━━━━━━━━早草綿守┳━━━━━玉依姫━┓ ┃ ┣━━━━┫ (豊玉彦)┃ ┣━神武天皇━┛ ┃ ┣━━━━━━━鵜茅草葺不合尊━━┛ (73代) 日向津姫━━┛ ┃ ┃ ┃ ┗━━━━━豊玉姫━━┓ ┃ ┣━穂高見命 ┗━━━━━━━━━━日子穂々出見尊┛ |
賀茂氏の系図をもとにウガヤ王朝・飛騨伝承と照合すると、神皇産霊神は、出雲から飛騨国に嫁入りした飛騨伝承に伝えられる伊弉冊尊(天津豊日足姫)に該当することになる。その夫が高皇産霊尊なので、高皇産霊尊は飛騨伝承にいうところの伊弉諾尊(66代豊柏木幸手男彦天皇)に該当することになる。
この仮定のとおりだとすると、神皇産霊神が出雲と関係が深い理由、出雲の始祖と言われながら出雲の外から御子たちを出雲に降臨させている理由が説明できる。
ただ、伊弉冊尊(天津豊日足姫)の娘ヒルメムチ(第67代春建日姫天皇)も天神玉命=神魂命=神皇産霊尊に該当しており、神皇産霊尊は飛騨王国の系統名とも考えられる。
飛騨伝承をもとに世代を考慮して神皇産霊尊の系図を修正すると次のようになる。
神皇産霊神の関係系図 ┏━天津久米命━━天多祁箇命━━大久米命・・・久米氏 ┃ ┣━天御食持命━┳━彦狭知命━━━手置帆負命━天越根命━━天道根命・・・紀氏 ┃ (天御鳥命)┃ ┃ ┗━天道日女命┓ ┃ ┃ ┃ ┏━少彦名命 ┣━天香語山命━━高倉下命 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┏━━玉依彦・・・賀茂氏 ┃ ┣天櫛玉命━━━賀茂建角身命━┫ ┃ ┃ ┃ ┗━活玉依姫━┓┏賀茂別雷命 ┃ ┃ ┃ ┣┫ ┃ ┃ 饒速日尊━┻━━━━━━━━━事代主命━┛┗五十鈴姫━┓ ┃ ┃ ┣綏靖天皇 ┃ ┃┏日向津姫━━━━━━━━鵜茅草葺不合尊━━━神武天皇━┛ ┃ 伊弉諾尊━┃┫ ┃ ┃┗━━矢倉姫━┓ 神皇産霊尊━╋━天神玉命━━┫ ┣━━━━━━━大麻彦━━━━━由布津主┓ (天津豊日足姫)┃(神魂・生魂)┃┏━天日鷲命━┛ ┣阿多々主命・・・忌部氏 (伊弉冊尊) ┗━天背男命━━┃┫ ┏飯長姫━┛ ┃┗━天比理刀咩命┓┏━天櫛耳命━━━天富命━┫ ┃ ┣┫ ┗弥麻爾支━━阿多々主命 高皇産霊神━━━━━天太玉命━━┛┗━天細女命┓ ┃ ┃ ┗支佐加比姫━┓ ┣・・・・・猿女君 ┣━猿田彦命━━━┛ 素盞嗚尊━━━━饒速日尊━━┛ |
神皇産霊尊の御子とされている人物の詳しい系図が見つかった。以下のようなものである。
大伴氏と久米氏の系図 ┏━天雷命━━天石門別安国玉主命━━天押日命━━天押人命━━天日咋命━━刺田比古命━━道臣命・・・大伴氏 ┏━香都知命━┫ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗━多久豆魂命 ┃ 高皇産霊神━━安牟須比命━┫ ┃ (綏靖) ┃ ┏━天津久米命━天多祁箇命━大久米命━布理禰命━佐久刀禰命━味耳命━━・・・久米氏 ┃ ┃ ┃ ┃ ┏━天日鷲翔矢命━大麻比古命━由布津主命・・・斎部氏 ┃ ┃ ┏━天背尾命━┫ ┃ ┃ ┃ ┗━櫛明玉命・・・・玉祖氏 ┗━麻戸明主命━╋━角凝魂命━伊佐布魂命━天底立命━┫ ┃ ┗━天嗣杵命━天鈴杵命━天御雲命━天牟良雲命・・・度会氏 ┃ ┃ ┏━彦狭知命━手置帆負命━天越根命━比古麻命━天道根命 ┗━天御食持命━┫ ┗━天道日女 紀国造直系譜 ┏━大矢女命━┓ ┃ ┣━五十猛命 ┃ ┃ ┃ 素盞嗚尊━┻━━地道女━┓ ┃ ┣━天道根命 神魂霊神━香都知命━多久豆魂命━┫ ┃ ┃ ┏━天御鳥命┛ ┗━手置帆負命━┫ ┗━天道日女 姓氏類別大観準拠系図 神皇産霊神┳━少彦名命 ┃ ┣━天御食持命 ┃ ┣━天神玉命・・・賀茂氏 ┃ ┏━天日鷲翔矢命━大麻比古命━由布津主命・・・斎部氏 ┃ ┏━天背尾命━┫ ┃ ┃ ┗━櫛明玉命・・・・玉祖氏 ┣━角凝魂命━伊佐布魂命━天底立命━┫ ┃ ┗━天嗣杵命━天鈴杵命━天御雲命━天牟良雲命・・・度会氏 ┃ ┃ ┏━彦狭知命━手置帆負命━天越根命━比古麻命━天道根命 ┗━天津久米命━┫ ┗━天道日女 |
これらの系図は年代が一致していないのである。饒速日尊の天孫降臨に同行したメンバーは当然ながら饒速日尊と同世代のはずであり、神武天皇と同世代の人物が系図上ではずれているのである。そこで、この系図を同世代と思われる人物が同じ位置に来るように調整したのが下の系図である。
各系図間のずれ <皇室> 高天原建彦━━高皇産霊神━┓ (大山祇命)┣鵜茅草葺不合尊━神武天皇 伊弉諾尊━━━日向津姫━━┛ <賀茂氏> ┏玉依彦 大山祇命━━━賀茂健角身命┫ ┗活玉依姫━━━━五十鈴姫 <素盞嗚尊系> 素盞嗚尊━━━饒速日尊━━━事代主命 <出雲王朝> 八島士奴美布━━母遅久奴須奴━━━深淵之水夜禮花━淤美豆神━━━━天之冬衣神━━大国主 <ウガヤ朝> 65 ┏━勝勝雄之男 60 61 62 63 64 ┃ 櫛豊姫━━━━━豊足日明媛━━━豊足別彦━━━━事代国守高彦━━━豊日豊足彦━╋━天浮船乗知━━━高天原建彦━┓68 69 ┃ 66 67 ┣宗像彦━━━━神足別豊鋤 ┗━豊柏木幸手男彦━春建日媛━━┛ <大伴氏> 高皇産霊神━━━安牟須比命━━━香都知命━━━━━天雷命━━━━━安国玉主命━━━天押日命━━━━天押人命━━━天日咋命━━━刺田比古命━━━道臣命・・・大伴氏 香都知命━━━━━多久豆魂命 <久米氏> 麻戸明主命━━━━━━━━━━━━天津久米命━━━天多祁箇命━━━大久米命━━━布理禰命━━━佐久刀禰命━━━味耳命・・久米氏 <忌部氏> 安牟須比命━━━麻戸明主命━━━━角凝魂命━━━━伊佐布魂命━━━天底立命━━━━天背尾命━━━天日鷲翔矢命━大麻比古命━━━由布津主命・・・斎部氏 <紀氏> 天御食持命━━━彦狭知命━━━━手置帆負命━━天越根命━━━比古麻命━━━━天道根命 <紀国造直系譜> ┏━大矢女命━━┓ ┃ ┣━五十猛命 ┃ ┃ ┃ 素盞嗚尊━━┻━地道女━━┓ ┃ ┣━天道根命 神魂霊神━━━━香都知命━━━━━多久豆魂命━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ ┃ ┏天御鳥命━┛ ┗━手置帆負命━━┫ ┗天道日女━┓ ┣━天香語山命 饒速日尊━┛ <姓氏類別大観準拠系図> 神皇産霊神┳━ 少彦名命 ┃ ┣━ 天御食持命 ┃ ┣━ 天神玉命━━━━天櫛玉命━━━賀茂健角身命 ┃ ┃ ┏━天日鷲翔矢命━大麻比古命━━由布津主命・・・斎部氏 ┃ ┏━天背尾命━┫ ┃ ┃ ┗━櫛明玉命・・・・玉祖氏 ┣━ 角凝魂命━━━━伊佐布魂命━━━天底立命━━┫ ┃ ┗━天嗣杵命━━━天鈴杵命━━━天御雲命━━━天牟良雲命・・・度会氏 ┃ ┗━ 彦狭知命━━━━手置帆負命━━天越根命━━━比古麻命━━━天道根命 |
上記豪族はいずれも神皇産霊神を祖としているが、同世代と思われる人物を同じ位置に移動させてみると、その始祖の位置がばらばらになるのである。これは、同一人物から分離したのではないことを意味し、神皇産霊神は数世代にわたる系統名であることを意味している。この神皇産霊神の系統こそ、ウガヤ王朝であると推定している。
これらの系図をウガヤ王朝につなぐことを考えてみようと思う。ウガヤ王朝(飛騨王朝)は、BC2000年からAD50年ごろまでの2050年ほど続いた王朝ということになる。外敵がいなかったために長く続くことができたのであろうが、王朝を支えるには豪族団が必要なはずであるが、それらの存在は全く伝えられていない。ただ、ウガヤ王朝の系図には同系統のみでつながっており、数世代離れて夫婦になっているなど不自然な点が多く、それらは、豪族団との婚姻関係と思われるが、すべてを同系統につないだのがウガヤ系図と推定している。
高皇産霊神と神皇産霊神の関係
豪族系図の中で最も長いのが大伴氏である。大伴氏は高皇産霊神を祖としている。「古屋系譜」が最も古い系統を伝えているが、高皇産霊神の子が安牟須比命であるが、「紀国造直系譜」によると、この人物の位置に該当する人物が「神魂霊神」となっており、これは、神皇産霊神ではないだろうか、高皇産霊神の子が神皇産霊神と伝えられている系譜も存在しているので、安牟須比命=神皇産霊神と考えることができる。
高皇産霊神と神皇産霊神との関係は、親子であるという系譜も、夫婦であるという系譜も、兄弟であるという系譜も存在している。そこで、高皇産霊神をウガヤ王朝の男帝、及び女帝の配偶者、神皇産霊神をウガヤ王朝の女帝及び男帝の配偶者と考えれば、これらの系譜はすべて説明ができる。
そうすれば、安牟須比命と同世代となるのが第61代ウガヤ王豊足日明媛が神皇産霊神に該当することになる。そして、高皇産霊神は第60代櫛豊姫の夫となる人物(現段階で氏名不詳)となる。
大伴氏の謎
記紀においては、高皇産霊神の子が天忍日命であり、この人物が天孫降臨している。しかし、神武東遷に同行した道臣命が神武天皇と同世代であり、天孫降臨はその2世代前なので、天孫降臨をした人物は天日咋命が該当する。天忍日命に該当すると思われる天押日命はその2世代前である。さらに、この系図では大伴氏は他の豪族と同様に神皇産霊神の子孫となるのである。
これらの事実を説明できる仮説が以下のようなものである。
天押日命は第66代豊柏木幸手男彦と同世代で、出雲王朝と政略結婚した時期と重なっている。この時期は日本列島統一意識が高くなっていた時期と考えられる。当時、日本列島統一のために対処する必要がある国は出雲王朝と秦徐福の後継である吉野ケ里遺跡である。飛騨王朝としては出雲王朝と政略結婚によって、協力関係になることができたのであるから、次の目標は吉野ケ里遺跡になると思われる。そこで、天押日命を飛騨から吉野ケ里遺跡にマレビトとして送り込んだのではないだろうか。後に高皇産霊神とされる高天原建彦が九州に降臨したとき、マレビトであった天押日命の孫である天日咋命が天孫降臨したと考えると、その関係で降臨したのが天押日命となり、天日咋命と入れ替わることも考えられる。
久米氏の謎
久米氏は神皇産霊神の子である、天津久米命が始祖で、この人物が天孫降臨し、その孫の大久米命が神武天皇と同世代とされている。しかし、この系図では安牟須比命の子である麻戸明主命の子とされている。大伴氏の系図に合わせると、天津久米命は天押日命の2世代前の人物となり、世代が合わないのである。
また、孫の大久米命が神武天皇と同世代とされているが、その三世後の味耳命が綏靖天皇と同世代になる。このように複数個所で世代が他の系図と合わないのである。そこで、味耳命が綏靖天皇と同世代というのを起点として世代をずらすと、大久米命が天孫降臨した人物となり、天津久米命が天押日命と同世代となる。天津久米命が天孫降臨したと伝わったのは天押日命と同じく飛騨から九州にマレビトとして降臨したためではないだろうか。
そうすると、麻戸明主命と天津久米命の間が2世代ほど空くことになる。何か人物が隠れているのではないかと、色々な系図を探ったがこの間の人物は見当たらなかった。失われてしまった可能性も考えるのであるが、大伴氏から分離したという伝承を重視して、麻戸明主命の系統の忌部氏から分離したと判断することにした。
久米氏の始源の地は北九州糸島半島(福岡県糸島郡志摩町大字野北字久米)、熊本県人吉地方(肥前国球磨郡久米郷:熊本県球磨郡多良木町久米)、鹿児島県一帯(例:南さつま市野間岳東 加世田遺跡付近と三つの説があるが、大久米命がAD25年頃の天孫降臨のメンバーになっていることから、その当時の倭国領域内であると考えられるので、糸島地方か人吉地方であろう。飛騨から九州に派遣されてきていると思われるので、福岡県糸島郡志摩町大字野北字久米の可能性が高いと考えられる。
紀氏の謎
紀氏は一般に「神皇産霊神━天御食持命━彦狭知命━手置帆負命━天越根命━比古麻命━天道根命」と言われているが、別名とされている人物が多く、系図の復元が複雑である。 紀国造直系譜では、「神魂霊神━香都知命━多久豆魂命━手置帆負命━天御鳥命━天道根命」となっている。
世代を合わせると、天御鳥命の妹が天道日女命で饒速日尊の妻となっている。天道根命は神武天皇と同世代なので、両者の間に1世代存在することになり、「手置帆負命━天越根命━比古麻命━天道根命」が正しいとなる。そして、天越根命=天御鳥命となる。
紀国造直系譜の中の香都知命は大伴氏系図の香都知命と同名なので同一人物と考えられる。そうすると、香都知命と手置帆負命の間に3世代ほど必要となる。この3世代の候補としては両系図から判断して、天御食持命、彦狭知命、多久豆魂命が考えられる。他の複数の系図で「香都知命━多久豆魂命」と「天御食持命━彦狭知命━手置帆負命」の系図が見えるので両者をつなぐと、「香都知命━多久豆魂命━天御食持命━彦狭知命━手置帆負命」が見えてくる。
忌部氏の謎
忌部氏は一般に「神皇産霊神━天背尾命━天日鷲命━大麻彦命━由布津主命」と言われている。天日鷲命が天孫降臨し、由布津主命が神武天皇と同世代となる。そうすると、この神皇産霊神は出雲王朝から嫁入りした天津豊日明媛となるが、詳しい系図も伝わっている。
「麻戸明主命━角凝魂命━伊佐布魂命━天底立命━天背尾命━天日鷲翔矢命━大麻比古命━由布津主命」の系図が伝わっている。この系図の最初の麻戸明主命は安牟須比命の異なっており、また、系図の世代は大伴氏と完全に一致しているのでこの系図が正しいと判断する。
少彦名命について
少彦名命は大己貴命とともに行動しているので、大己貴命と同世代であり、饒速日尊と同世代となる。神皇産霊神の子とされているので、該当する神皇産霊神は春建日姫となる。違うかもしれないが、それを決定づける伝承はない。少彦名命は倭国との関係を重視するために派遣された人物のようで、いずれにしても飛騨王朝内の重要人物であったことは間違いないといえる。
支佐加比売命について
出雲時代の饒速日尊の妻となっているので、饒速日尊と同世代と考えられる。神皇産霊神の子とされているので、該当する神皇産霊神は支佐加比売命も春建日姫となる。饒速日尊は出雲国の後継者と意識されていたと思われるので、おそらく、本当に春建日姫の娘ではないかと考えられる。
この図を基に同世代が重なるように系図を変更したものが次の図である。神皇産霊神が飛騨王であるとの仮説のもとに組み合わせてある。
各系図間のずれの修正系図 八島士奴美━━━母遅久奴須奴━━━深淵之水夜禮花━┳淤美豆神━━━━天之冬衣神━━大国主命━━鳥鳴海命━━━━━━━━┓ ┃ ┣国忍富・・出雲王朝 ┃ ┏伊許知邇━┛ ┃ ┏━━━━━┓ ┃ ┃ ┃ ┣━天穂日命━━┻武日名照命・・・・・・出雲国造家 ┗天津豊日足媛┓67 ┃ 日向津姫┫ 72 66 ┣春建日媛━┓┃ ┣━━━━鵜茅草葺不合尊━━━神武天皇┓ ┏━豊柏木幸手男彦┛ ┃┃ 68 ┃ 69 ┣綏靖天皇 60 61 62 63 64 ┃ ┣━━宗像彦━┫┏神足別豊鋤━┳活玉依姫┓ ┃ 櫛豊姫━豊足日明媛━┳━豊足別彦━━━━事代国守高彦━━━豊日豊足彦━╋━天浮船乗知━━━高天原建彦┛┃大山祇命 ┗┫賀茂健角身 ┃ ┃┏五十鈴姫┛ 安牟須比命 ┃ ┃ ┃ ┗━市杵島姫┓┃ ┣┫71 神魂霊神 ┃ ┃ 65 ┃ ┣━事代主命┛┗賀茂別雷 ┃ ┗━勝勝雄之男 ┃ ┏━━━━━┛┃70 ┃ ┃ ┃ ┗玉依彦・・・・・・・・賀茂氏 ┃ 布都御魂━━━━素盞嗚尊━━┻━饒速日尊━┫ ┃ ┣━━天香語山命・・・・・・・・・・海部氏 ┃ ┏━天道日女━┛ ┃ ┃ ┃ ┏━多久豆魂命━━━━天御食持命━━━彦狭知命━━━━手置帆負命━┻━天御鳥命━━━━比古麻命━━━━━天道根命・・・紀氏 ┃ ┃ (天越根命) ┣━香都知命━━┻━天雷命━━━━━━安国玉主命━━━天押日命━━━━天押人命━━━━天日咋命━━━━刺田比古命━━━━道臣命・・・大伴氏 ┃ ┃ ┃ ┏━天津久米命━━━天多祁箇命━━━大久米命━━━━布理禰命━━━━━佐久刀禰命━━味耳命・・久米氏 ┃ ┃ ┗━麻戸明主命━━━角凝魂命━━━━━伊佐布魂命━┻━天底立命━━┳━天背尾命━━┳━天日鷲翔矢命━━大麻比古命━━━━由布津主命・・・斎部氏 ┃ ┃ ┃ ┗━櫛明玉命・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・玉祖氏 ┃ ┗━天嗣杵命━━━━天鈴杵命━━━━天御雲命━━━━━天牟良雲命・・・度会氏 |
飛騨国九州出張所の創設
神社伝承の中で気になるものが見つかった。
賀茂神社(うきは市浮羽町山北1)伝承、祭神 神武天皇 賀茂建角身命 賀茂別雷命
「賀茂大神は最初にこの地に天降り鎮座され、神武天皇が日向から大和へ御東遷のみぎり、宇佐から山北へ来られ賀茂大神は八咫烏(やたがらす)となって御東幸を助け奉られたので、今も神武天皇と賀茂大神を奉祀する」
境内からは縄文土器・縄文系石器が見つかっており、この地に縄文人が住んでいたことを意味している。賀茂氏は飛騨国系であり、同時に縄文系と解釈しているので、この賀茂神社の地に飛騨国からやってきた人々が住んでいたことが推定される。また、神武天皇が訪問した伝承地はこの近くになく、最も近いのが嘉穂郡嘉穂町小野谷の高木神社の地である。神武天皇はここで高皇産霊神を創始している。神武天皇はこの時、わざわざこの地を目指してきたことを意味しており、神武天皇がこの地を訪れることは大和朝廷成立に重要な意味があったことになる。
古代史の復元ではこの地に飛騨国の九州出張所があったと解釈している。この賀茂神社は大分県日田市の近くである。日田=飛騨につながること、日田市は縄文遺跡が多いことなど、弥生時代にも縄文人が多く住んでいて、その関係で、飛騨国の出張所ができたのではないかと思われる。
賀茂神社の地に飛騨国の出張所ができたのはいつのことであろうか。天櫛玉命の子の祭神である賀茂建角身命が誕生したのがAD10年頃と思われ、天櫛玉命はBC10年ごろの生誕ではあるまいか。とすれば、高天原建彦と春建日姫との結婚はBC20年頃となる。このことから出張所ができたのはBC10年頃ではないかと考えられる。
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