飛騨国と出雲国の接近

 飛騨国34代上方様(伊弉諾尊=ウガヤ朝第66代豊柏木幸手男天皇)の時代

 BC472年、呉の太白の子孫「忌」が九州有明海沿岸に上陸し狗奴国を建国、BC208年、秦徐福が同じく有明海沿岸に上陸し高良国を建国、国としての体制固めを徐々に行ってきた。BC100年頃には、出雲に朝鮮半島北部から八島命が上陸して出雲王朝を建てた。

 神戸市新方遺跡で石鏃が多数撃ち込まれた縄文系の人骨が出土した。弥生前期末(BC200年頃)のものと推定されている。それまでの縄文遺跡には戦闘の痕跡はほとんど見られなかったのであるが、この頃より戦いの痕跡が見つかるようになる。縄文人の集落周辺に弥生集団が上陸して、弥生人と縄文人との戦いが起こったものと考えられる。

 BC200年頃、大阪湾岸に渡来人の集団が上陸した。在地の縄文人との間で戦いが起こり、縄文人側が一方的に敗北するという事態となった。近畿地方に上陸した弥生人集団はさらに東に広がり、飛騨国に近い濃尾平野まで進出してきた。しかし、弥生集落の広がりは濃尾平野で200年ほど停滞状態となり、そこから東には広がらなかった。

 飛騨国としてはこれは大変な出来事である。国の存亡がかかった事態である。渡来人と戦って勝てる見込みがなく、このままいくと滅亡の危機がやってくるのは間違いないであろう。まず、東日本一帯の縄文集団に働きかけ、弥生人の集団の移動を阻止したのである。この状態が200年前後続いて34代上方様の時代がやってきた。

 34代上方様(ウガヤ朝66代豊柏木幸手男彦天皇)は、渡来人集団と対立関係にあったのでは何れ飛騨を中心とした縄文情報網は破壊され、飛騨国は滅亡するのは明らかであるので、弥生人との共存を探ろうとしたと思われる。それが、出雲王朝の王の娘との政略結婚である。

 出雲王朝初代八島士奴美はBC100年頃の活躍年代から推定して、おそらく漢武帝に滅ぼされた衛氏朝鮮最期の王右渠の関係者(子?)であろうと思われる。八島士奴美は朝鮮半島から出雲に流れ着いて、出雲に住んでいた縄文人大山津見の娘木花知流姫と結婚した。大山津見が飛騨から派遣されていた縄文人だったのであろう。

 出雲王には縄文人の血が入っているので、出雲王朝と連合して対処できるのではないかとの希望を持って、出雲と交渉を持つことになった。

                              布都御魂━━━━素盞嗚尊━━━━須勢理姫┓
                             (布流国関係者?)            ┣子なし
大山津見━木花知流比賣┓                 ┏淤美豆神━━━━天之冬衣神━━━大己貴命┛
(縄文人)      ┣布波能母遅久奴須奴━深淵之水夜禮花┫(出雲朝4代) (出雲朝5代) (出雲朝6代)
      八島士奴美┛ (出雲朝2代)   (出雲朝3代)┗伊弉冉尊┓
    (衛氏朝鮮関係者?出雲朝初代)    (豊葦原大彦)    ┣67代春建日姫天皇
                       66代豊柏木幸手男彦天皇┛(天照大神)
                        (伊弉諾尊)

 出雲王朝と飛騨国とのかかわり

 出雲王朝3代深淵之水夜禮花の時代になると、出雲王朝の経営はかなり安定したものとなっていた。出雲王朝は富家伝承によるクナト大神である。出雲大社の周辺を都とし、その支配領域はほぼ島根県全域及び伯耆国にわたっていたと思われる。

 飛騨国の縄文連絡網により、出雲王朝が巨大化していることは逐次飛騨国王に伝えられていた。縄文国家飛騨国としては渡来人国家出雲王朝が気になって仕方なかったことであろう。

 出雲王朝の巨大化のスピードが速く、このまま放置していたのでは、いずれ飛騨国と衝突することになるのは間違いないことであろう。しかし、飛騨国には出雲王朝と戦って勝てるだけの力は持っていないし、多くの人々が亡くなるのは望まない。

 飛騨国王としては出雲王朝との関係をどうすべきかは大きな課題であったことは間違いない。出雲王朝初代八島士奴美は縄文人を妻としているので出雲王朝には縄文人の血が流れている。第二代布波能母遅久奴須奴の妻は淤迦美の娘日河比賣であるが、淤迦美は名から判断して闇龗神、高龗神につながり、縄文系である。おそらく日河比賣も縄文系と思われる。出雲王朝3代深淵之水夜禮花の妻は布怒豆怒の娘天之都度閇知泥神であるが、「天之」とあることから、この妻も縄文系である可能性が高い。

 出雲王朝は安定統治を目指して現地の縄文人を代々妻としていたのではないだろうか。実際出雲王朝初代八島士奴美が日本列島に上陸したとき、同行した人物は数人程度しかいなく、渡来人だけで国を作ることは難しかったのではないだろうか。現地の縄文人の協力を得ることにより出雲王朝は巨大化したのであろう。

 八島士奴美が流れ着いたころ、出雲地域には渡来人もいたであろうが、それぞれの渡来人はばらばらの状態で生活をしていたと思われる。それに対して縄文人は飛騨国の縄文連絡網を形成しており、隅々まで連携を持っていた。そのために八島士奴美は縄文人を妻にすることにより、縄文人集団の協力を得ることができ、出雲王朝を大きくすることができたのである。

 出雲王朝は王の系統こそ渡来人であるが、その実際の経営は縄文人が行っていたと考えられる。このような状況にあったからこそ、飛騨国は出雲王朝との政略結婚を考えることができたのであろう。

 出雲王朝の娘飛騨国に嫁入り

 飛騨口碑によると第34代上方様(伊弉諾尊)は、出雲から妻(伊弉冉尊)を迎えたとされている。この該当人物を探ってみよう。飛騨口碑の伊弉諾尊の娘がヒルメムチ(天照大神)でその同世代が素盞嗚尊である。素盞嗚尊と出雲朝5代天冬衣神が同世代なので、伊弉冉尊は出雲朝4代淤美豆神と同世代となる。飛騨国に嫁入りするのは王家の系統以外考えられないので、おそらく淤美豆神の妹であろう。よって、伊弉冉尊は出雲朝3代深淵之水夜禮花の娘となる。

 これをウガヤ朝の系図に当てはめてみると、第34代上方様(伊弉諾尊)がウガヤ朝第66代豊柏木幸手男彦天皇に該当し、伊弉冉尊がその皇后天津豊日足媛が該当する。そして、その父の豊葦原大彦が出雲朝3代深淵之水夜禮花に該当することになる。ちなみに豊葦原というのは中四国九州地方を指す言葉なので、豊葦原大彦という名は、その地方にいた人物という意味になるのではないだろうか。

 出雲王朝初代八島士奴美は他の渡来人集団と違い、縄文人を妻とした。出雲王朝はその後も代々縄文人を妻にしており、王朝の経営はうまくいっていた。このことが飛騨国と出雲王朝を近づける原動力となったのであろう。飛騨国も渡来人の侵入に対して頭を痛めており、どうすればよいかの妥協点を見いだせないでいた。このままでは間違いなく飛騨国の滅亡につながるのである。

 飛騨国は出雲王朝の経営方法を見て、渡来人と縄文人とが共存する世界を夢見ることができたのであろう。渡来人と縄文人が共存できれば、飛騨国としてはこれほど望ましいことはないのである。この時点で出雲王朝と縄文一般人とが結婚しているが、互いの王家につながる者同士が結婚できれば、互いの国の共存が実現できるのではないかと考えた。

 第66代ウガヤ王豊柏木幸手男彦天皇(飛騨口碑における第34代上方様=伊弉諾尊)は、政略結婚によって渡来人(弥生人)と縄文人が結婚し、混血することによってこそ、縄文人集団の生活を守ることができる唯一の方法と考えたのであろう。

 世界史において、ある地域に外部勢力が侵入した時、悲惨な争いが起き、追い出されるか、ほぼ滅亡するというようなことがよく起こっているが、日本列島内では渡来人と縄文人はほぼ完全に混血するという世界史上においてほとんど例のない奇跡的なことが起こっている。これは、豊柏木幸手男彦天皇の功績によるものと考えることができる。

 豊柏木幸手男彦天皇は早速、出雲王朝第三代深淵之水夜禮花(ウガヤ系図の豊葦原大彦)に娘を飛騨国に嫁入りさせることを提案した。出雲王朝も縄文人の血が入っている上に、王朝発足後間もない時期であり、不安定だったので飛騨国に嫁入りできれば、周辺の縄文人の協力が得られるということで承諾した。出雲朝第4代淤美豆神の妹と思われるこの娘(ウガヤ系図の天津豊日足媛=飛騨口碑の伊弉冉尊=神皇産霊尊)が飛騨国王に嫁いだ。

 これにより、出雲朝第4代淤美豆神と飛騨国の関係が深くなり、淤美豆神が北陸地方を訪問しその文化を取り入れるということができるようになった。これが淤美豆神の国引き神話の元になったと考えられる。また、この時後に八岐大蛇とされる人物も越から出雲に移住したのであろう。

出雲王朝・ウガヤ朝・飛騨口碑・賀茂系図をつないだ系図

                        呉太白・・・・・・・・・・・・・・ 伊弉諾尊━━━日向津姫┓       ┏武日名照命・・・・(出雲国造家)      
                                                     ┣━天穂日命━━┫        
                                                ┏━━━━┛       ┗日名照額田毘道男伊許知邇┓
                                                ┃┏五十猛命━鳥耳命━┓              ┃(出雲朝8代)
                        布流国 ・・・ 布都御魂━━━━━━素盞嗚尊━━┻┫(八島牟遅)    ┃(出雲朝7代)        ┣国忍富・・・(出雲王朝)
                                                 ┗須勢理姫━┓   ┣━━━━鳥鳴海━━━━━━━┛
                                                       ┃   ┃
                                (出雲朝4代)   (出雲朝5代)(出雲朝6代) ┃   ┃
       (出雲朝初代)                 ┏淤美豆神━━━━━━天之冬衣神━━━大己貴命━┻━━━┛    
衛氏朝鮮・・・八島士奴美━┓ (出雲朝2代)   (出雲朝3代) ┃          
             ┣布波能母遅久奴須奴━深淵之水夜禮花┫        (高皇産霊神)         
       木花知流比賣┛          (豊葦原大彦)┃          高天原建彦┓        
                               ┗天津豊日足媛┓  (神玉命) ┣━68代宗像彦天皇━69代神足別豊鋤天皇・・・・・・・(賀茂氏)
                          (伊弉冉尊・神皇産霊尊)┣67代春建日姫天皇┛  (大山祇命) (鴨建角身命・味耜高彦根命)
              飛騨国(ウガヤ朝)・・・ 66代豊柏木幸手男彦天皇┛  (天照大御神)   (天活玉命)
                               (伊弉諾尊)                  
                                 

天照大神の誕生

 飛騨国では、BC30年頃、ウガヤ朝66代豊柏木幸手男彦天皇(伊弉諾尊)と出雲から迎えた天津豊日足媛(伊弉冉尊)の間に春建日姫が生まれた。飛騨口碑ではヒルメムチと呼ばれているこの女性は一般に天照大神といわれ、大変能力の高い人物であり、第67代ウガヤ王として即位した。素盞嗚尊と同世代である。この天照大神の称号が後の時代饒速日尊や日向津姫に贈られることになるが、本来は飛騨国の女王の称号である。

 この娘がのちに第35代上方様になる天照大神(ヒルメムチ)と呼ばれている人物で、ウガヤ王朝では春建日媛とよばれており、飛騨国の大改革を行った人物である。

 飛騨口碑では素盞嗚尊は飛騨から出雲に派遣されたことになっているが、これを裏付ける他の伝承が存在しないことと、素盞嗚尊が八岐大蛇退治する時布都御魂剣を持っていたことなどから、ここは、神社伝承を優先して朝鮮半島から流れてきた人物と判断する。

高天原建彦の出自

 成長した春建日姫は高天原建彦を夫に迎え、第67代ウガヤ王(飛騨国王)を継承した。飛騨口碑では第35代上方様に該当する人物である。この高天原建彦は飛騨口碑では高皇産霊神(思兼神)と呼ばれている人物である。第64代ウガヤ王豊日豊足彦天皇の子天浮船乗知の子である。共に後付けされた名と思われるが名がその人物の特徴を表していると考えてよいであろう。高天原建彦の父は天浮船乗知で、これは、全国を巡回した人物と取れる。高天原建彦は、高天原(飛騨国)を再建した人物という意味にとれる。神話でいう高皇産霊神と同じく飛騨国の知恵袋だったのではないかと考えられる。

 高皇産霊神は徐福の子孫を意味している。天浮船乗知という名は船に乗ってやってきた人物という意味となり、高皇産霊神の先祖ということと突き合わせて考えると天浮船乗知は秦徐福を意味することとなる。

  

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神皇産霊神の正体
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国の位置

ウガヤ王朝の正体