豪族系図との照合
下の表は各豪族の世数と天皇系図の世数の対照表である。水色がついているセルの人物はその世数の天皇とほぼ同世代と確認できるものである。
この表より海部氏、大伴氏、吉備氏はすべての世代において天皇家と世代が一致している。これに対して物部氏、出雲氏、三輪氏は応神、仁徳朝における対応人物が見当たらない。大伴氏も一般には大伴武持の子が大伴室屋といわれているが、和泉国神別によるとここに佐彦、山前が存在し、きれいにその前後がつながる。また、景行・成務朝も該当する人物がいない豪族もあるが、この期間は短期間(20年ほど)であるためにありうることと判断する。
履中・反正・允恭朝以降はどの豪族も不自然な箇所なく継続している。
応神・仁徳朝で何系統かの豪族に空白(赤色)が見られるのは神功皇后・応神天皇が大和を制圧したとき、旧大和朝廷側についた豪族が処罰を受け、履中朝までの間中央から遠ざけられていたためではないかと想像する。
世数 | 皇室 | 物部氏 | 海部氏 | 大伴氏 | 出雲氏 | 三輪氏 | 吉備氏 | |
最終代没年 | ||||||||
0 | 布都御魂 | 0 | ||||||
1 | 素盞嗚尊 | 30 | ||||||
2 | 鵜茅草葺不合尊 | 75 | 饒速日命 | 天火明命 | 天穂日 | 大国主命 | ||
3 | 神武 | 121 | 宇麻志麻治命 | 天香語山命 | 道臣命 | 武夷鳥 | 事代主命 | |
4 | 綏靖・安寧・懿徳 | 110 | 彦湯支命 | 天村雲命 | 味日命 | 伊佐我 | 天日方奇日方命 | |
5 | 孝昭 | 144 | 出石心大臣命 | 天忍人命 | 稚日臣命 | (他7世) | 健飯勝命 | |
6 | 孝安 | 175 | 大矢口宿禰 | 天戸目命 | 大日命 | 健甕尻命 | ||
7 | 孝霊・孝元 | 215 | 大綜杵 | 建斗米命 | 角日命 | 飯入根命 | 豊御気主命 | |
8 | 開化 | 245 | 伊香色雄命 | 建宇那比命 | 鵜濡渟命 | 健飯賀田須命 | ||
9 | 崇神 | 279 | 十市根 | 建諸隅命 | 豊日命 | 襲髄命 | 大田田根子 | 五十狭芹彦 |
10 | 垂仁 | 307 | 胆咋 | 倭得玉命 | 武日 | 来目田維穂命 | 若建吉備津彦命 | |
11 | 景行 | 325 | 弟彦命 | 三島足奴命 | 大御気持命 | 御鉏友耳建彦命 | ||
12 | 成務 | 328 | 小縫命 | 吉備建彦命 | ||||
13 | 仲哀 | 331 | 五十琴 | 乎止与命 | 武持 | 意宇足奴命 | 大友主命 | 御友別命 |
14 | 応神 | 394 | 建稲種命 | 佐彦 | 稲速別 | |||
15 | 仁徳 | 427 | 尾綱根命 | 山前 | 饒別彦 | |||
16 | 履中・反正・允恭 | 459 | 伊莒弗 | 弟彦 | 室屋 | 宮向 | 志多留 | 速津彦 |
17 | 安康・雄略 | 485 | 目大連 | 金 | 布奈 | 石床 | 窪屋・前津屋 | |
18 | 清寧・賢宗・仁賢 | 499 | 談 | 布禰 | 身狭 | |||
19 | 武烈・継体 | 531 | 荒山 | 坂合 | 金村 | 意波苦 | 特牛 | 津布子 |
20 | 安閑・宣化・欽明 | 571 | 尾興 | 佐迷 | 阿被比古 | 美許 | 逆 | 香斐 |
21 | 敏達・用明・崇峻・推古 | 628 | 守屋 | 咋子 | 小鷦鷯 | 勝鹿戸 | ||
22 | 聖徳太子 | 622 | 片野田 | 栗原 | 叡屋 | 文屋 | 古瀬 | |
23 | 舒明 | 641 | 薦何見 | 多々見 | 長徳 | 帯許 | 利金 | 鹿瀬男 |
24 | 天智・天武 | 686 | 大隅 | 安麿 | 果安 | 高市麿 | 圀勝 | |
25 | 元明 | 722 | 櫛麻呂 | 旅人 | 広島 | 真備 |
この表から判断して、皇室系図は各豪族の世数との間に整合性が見られ、1世30年程度での年代計算が正しいことを示している。
皇室系図と各豪族系図を重ねてみた。各系図の上部の数値は素盞嗚尊からの世数を表わしている。世数が同じ人物はほぼ同世代と考えても良い。 括弧内の天皇は、記録により判明しているその人物と同世代の天皇である。
推定皇室系図は各豪族系図と世数がほぼ完全に一致していることがわかる。
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おもな豪族系図でも、神武朝と崇神朝の間は7世となっており、皇室系図も7世と思われる。
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