推定年表

時代
区分
年代 出来事 考古学的変化 出典
弥生
中期
BC473 中国大陸で呉滅亡、王子「忌」熊本平野に上陸。球磨国を建国。
イザナギ一族南九州に上陸し、後に日向国を建国
魏志倭人伝
「呉の太伯の子孫」
BC209 秦徐福佐賀平野上陸
BC200年頃 球磨国からイザナギ一族が別れ、幣立宮の地に移る。
BC100年頃 イザナギ一族幣立宮の地から高千穂に移動
BC37 朝鮮半島で布流国滅亡 国王一族のフツ日本列島へ上陸 三国史記
BC35頃 フツを父としてスサノオ誕生 古代日本正史
BC20頃 スサノオ、ヤマタノオロチを退治する。
スサノオ出雲国を建国。周辺小国が出雲国に次々と加盟。
高千穂のイザナギ一族、宮崎へ移動。
古代日本正史
八重垣神社
須我神社
BC10頃 スサノオ、日本列島統一を決心する。
スサノオ、対馬を統一する。
スサノオ一族、大陸の新技術を学ぶため、朝鮮半島を訪問する。
消された覇王
嶋頭神社
日本書紀
BC5頃 スサノオ新技術を携えて帰国し瀬戸内海沿岸地方を訪問
大己貴命誕生
瀬戸内地域で北九州と違う形式の槍鉋出土 消された覇王
紀元前後 瀬戸内地方が出雲国に加盟し、その連合国を倭(環)と呼ぶようになった。
スサノオ、鞆の浦を拠点として倭国を治める。
銅剣祭祀を始める。
高度な異物が瀬戸内全域でまばらに出土する。
瀬戸内で銅剣祭祀の始まり
芦田川流域に出雲系土器の出土
漢書「地理誌」
AD10頃 スサノオ宇佐に上陸し北九州統一の拠点とする。
スサノオ一族、銅矛をシンボルとして北九州周辺地方に技術を伝える。
秦徐福の子孫高皇産霊神、大歳命に協力し北九州地方が統一される。
伊都国を除く北九州地方が統一され、倭に加盟する。
球磨国、倭国加盟を拒否独立を保つ
大己貴命出雲国の国土開発を推進する。
大己貴命因幡国の八上姫と結婚
甕棺王墓の衰退。
銅矛祭祀の始まり(中心域以外)
銅矛の巨大化
瀬戸内系土器の出土
特定王墓に集中出土していた遺物が広域分布。
武器出土が激減する
北九州系土器の衰退
銅矛集中出土地とスサノオ伝承地の一致
古事記・日本書紀
稲佐神社
AD15頃 スサノオ、イザナギ一族の協力を得て、南九州を統一
スサノオ、ムカツヒメと結婚し国分地方を統一。南九州政庁を設ける。
素盞嗚尊、イザナギ・イザナミを率いて紀伊国を統一。
AD20頃 イザナギ淡路島に留まり、イザナミ出雲訪問、奥出雲で生活(出雲への製鉄技術導入?)。
スサノオ、ムカツヒメと安心院で新婚生活をする。
三女神誕生。
オオトシ、琴平で瀬戸内地方を治める。
大己貴命越八口平定。
越国で建御名方命誕生
南九州地域に瀬戸内系土器の出土が始まる
出雲地方で鉄器の出土が始まる。
出雲地方で遺跡急増
讃岐(琴平周辺)で平形銅剣祭祀が始まる
鹿児島神宮
石体社
日野郡誌
金刀比羅宮
島根県口碑伝説集
AD25頃 イザナミ殿之奥で亡くなり御墓山に葬られる。
スサノオの要請により、サルタヒコ春日(福岡県)で北九州を統治する。
スサノオ出雲帰還、佐田の地で隠棲する。ムカツヒメたびたび訪問
ムカツヒメ西臼杵郡高千穂に滞在、瓊々杵尊誕生
大己貴命、スセリ姫と結婚し第二代倭国王となる。
少彦名命出雲に漂着。大己貴命と出会う。
大己貴命・少彦名命は出雲国→安芸国→周防国→長門国→筑紫国→豊国と国土開発事業を行う。
スサノオ、オオトシに東日本地方統一を要請
大歳、北九州でマレビトを集め大和に降臨した。
大歳、長髄彦の娘ミカシヤ姫と結婚しウマシマジ誕生。以降饒速日尊と名乗る。
河内地方に瀬戸内系土器の出土が始まる
出雲地方で鉄器が急速に普及する。
佐田神社
聖地古日向
  (昭和15年鉄道省)
雲陽誌
先代旧事本紀
AD30頃 饒速日尊、河内地方を統一
素盞嗚尊唐川に居住し製鉄事業を始める。
スサノオ唐川で亡くなり、葬られる。
大己貴命出雲帰還
ムカツヒメ東霧島に宮居す。
大己貴命・少彦名命は伯耆国→因幡国→播磨国→讃岐国→伊予国と国土開発
この頃朝鮮半島より天日槍命来日。
大和に瀬戸内系土器の出土が始まる。
唐古・鍵遺跡の巨大化
銅鐸の祭器化=外縁付紐式銅鐸
銅鐸・大阪湾型銅戈に鋸歯紋が入る。
平形銅剣に鋸歯紋が入る
先代旧事本紀
東霧島神社
AD35頃 饒速日尊葛城一族の娘高照姫と結婚し事代主命誕生
饒速日尊大和を統一し日本(ヒノモト)と命名する。
三輪山山頂から昇る太陽の姿(鋸歯紋)を日本のシンボルとする。
銅鐸を三輪山から昇る太陽の姿として祭器化する
少彦名命伊予国で水死
大己貴命筑紫国に赴き、三女神の1人多伎都姫と結婚し味耜高彦根命誕生
弥生
後期
前葉
AD40頃 オシホミミ、田川(福岡県)のタカミムスビの娘と結婚
タカミムスビ、ムカツヒメとともに倭国統治に参加する
大己貴命、日向国にて国土開拓をする。
ニギハヤヒ近畿一帯の人々を連れて近江国→東海地方→関東地方と開拓し日本国に所属させる。
英彦山神社
AD45頃 ニギハヤヒ青銅不足によりサルタヒコに銅鐸製作を依頼
オオクニヌシ亡くなる。第三代倭国王の相続問題が起こる。
高皇産霊神出雲で国譲会議を開く。
ホヒを出雲に派遣、倭国分割の根回しをする。
国譲会議によって越国、紀伊国は日本国に所属するようになる。
縄文国家飛騨国日本国に加盟する。
饒速日尊長子高倉下命紀伊国に派遣される。
方形周溝墓が東日本一帯に一挙に広まる。
近畿地方の多くの遺跡が瓦解する。
北九州地方で銅鐸生産始まる。
大国魂神社
鳥見神社
AD50頃 ニニギ、サルタヒコと交渉しサルタヒコ出雲帰還。
サルタヒコ青銅祭器を出雲に持ち込む
ニニギ、北九州を統治する。
ニニギ、南九州政庁を急襲(高千穂旗揚げ)
饒速日尊事代主建御名方命らと信濃国開拓、日本国に所属。
倭国、東倭と西倭に分裂
サルタヒコ神魂神社の地を都とし東倭を統治
熊野大社を中心としてスサノオ祭祀が大々的に始まる。
ムカツヒメ第三代倭国王に就任し、南九州政庁に遷都。西倭を統治する
饒速日尊、出羽国を統一
北九州での銅鐸生産終わる。
外縁付紐式銅鐸が西日本に偏った分布をしている。
南九州から瀬戸内系土器が消滅
神魂神社
熊野大社
熊野の大神様
荒穂神社
AD55頃 ヒコホホデミ対馬のトヨタマヒメと結婚し対馬の統治権を東倭から譲り受ける。
ウガヤフキアエズ宇都で宮崎県南部地方を統治
ニニギ、宮崎県北部地方を統一
ウガヤフキアエズ種子島を統一
饒速日尊、陸奥国南部統一、大和帰還
事代主命、瀬戸内海交流権益を確保
佐野神社
和多都美神社
浦田神社
AD57 ヒコホホデミ後漢の技術導入をはかる。
ヒコホホデミ、後漢から金印「漢委奴国王」を授かり帰国。
後漢の使者、日向国を訪問。日向国王ムカツヒメに玉璧を授ける。
志賀島「金印」
王の山「玉璧」
 後漢書「東夷伝」
AD58 宇都にて狭野命(後の神武天皇)誕生 狭野神社
聖地古日向
日吉神社(現王島)
AD60頃 ヒコホホデミ、金印を携えて伊都国の統一に着手
伊都国、西倭に加盟し、北九州全域が西倭に所属
事代主命倭国日本国大合併を意識して第二代日本国王を娘イスケヨリ姫とする。
事代主命、猿田彦命に変わり出雲国王となる。
猿田彦伊勢地方開拓をする。
ニギハヤヒ亡くなり、三輪山に葬られる。
イスケヨリヒメ幼少のためウマシマヂが日本国を代行統治
伊都国ではほとんど銅矛祭祀が行われていない。
金印が志賀島から出土
高祖神社
志登神社
細石神社
大三輪神社
AD64 高千穂大噴火し狭野命都島に移動 都島狭野神社
AD65頃 ムカツヒメ、ニニギを北薩地方統一のため加世田に派遣(笠沙宮)
ウガヤフキアエズを大隈半島統一のため吾平に派遣
ヒコホホデミを曽於国を統一のため串間へ派遣、ムカツヒメも串間へ
狭野命宮崎(皇宮屋)で他地域との貿易の管理をする。
ウガヤフキアエズ第4代倭国王に就任
王の山から玉璧が出土 桜迫神社
串間神社
聖地古日向
皇祖発祥聖蹟
AD70頃 ムカツヒメこの頃串間で亡くなり、王の山(串間)に葬られる。
ヒコホホデミ、鹿児島神宮に宮居す

鹿児島神宮
石体社
AD75頃 東倭は大合併に参加しない意向を示す。
ウガヤフキアエズ亡くなり、狭野命が第五代倭国王に就任。
狭野命、串良で大隈半島部統一事業を引き継ぐ
日向国は朝廷成立後の特別地域となることが決定する。
新日本国の都は大和に、初代国王(天皇)に狭野命が就任することに決定
東倭(中国地方)に方形周溝墓が出現しない。
南九州地方にも方形周溝墓が出現しない。
吾平山陵(鹿児島県吾平町)
聖地古日向
神武天皇聖蹟誌
方形周溝墓
AD79 狭野命、第5代倭国王を退位し、ヒコホホデミに王位を譲る。
ヒコホホデミ第6代倭国王に就任し南九州政庁を都とする。
狭野命、ヒコホホデミに挨拶をし、柏原より、出航する。
狭野命、王の山に参拝後、宮崎で挨拶の後、美々津より日向国を出航する。
高屋山陵(鹿児島県溝口町) 鹿児島神宮
宮浦神社
皇祖発祥聖蹟
聖地古日向
古代日本正史
AD80頃 狭野命、宇佐より市杵島姫を伴い、安芸国に滞在
出雲のコトシロヌシと交渉し、安芸国(備後を含む)を新日本国に譲り受ける。
安芸国の人々に周知するため、国内で祭祀を行う。高嶋宮に滞在。
狭野命一行、日下より大和に入ろうとしたが、ナガスネヒコに追い返される。
イツセ、和歌山にて矢傷がもとで死亡。
狭野命、紀伊半島を迂回して東から大和に入ろうとするが、熊野灘で遭難。
ヤタガラスの案内で熊野山中に分け入る。
ウマシマヂナガスネヒコを殺害し狭野命を向入れる。
ニニギ、川内地方統一のため川内へ移動
広島県下に大分系土器が出土する。
広島県下に九州系鉄器が出土する。
広島県下から出雲系土器が消滅する。
広島県下に畿内系土器の出土が始まる。
可愛山陵(鹿児島県川内市)
神武天皇聖蹟誌
厳島神社
真説「日本の始まり」
古代日本正史
広島古代史の謎
皇祖発祥聖蹟
後期
中葉
AD83 西倭と日本との平和的合併で大和朝廷が誕生する。
狭野命はイスケヨリヒメと結婚し、初代神武天皇として即位
東海地方にスサノオ祭祀を広める
伊都国周辺で畿内系土器の集中出土が始まる。
鉄剣・銅鏡(漢式4期以降)の全国分布が始まる。
方形周溝墓が北九州・四国地方に出現する。
九州に有茎鉄鏃(畿内系)が広まる。
古事記・日本書紀
三島神社
猿田彦神社(伊勢)
旧唐書
新唐書
AD100頃 神武天皇退位。
第二代綏靖天皇・第三代安寧天皇・第四代懿徳天皇と順次即位
上代日本正史
AD107 第4代懿徳天皇(倭国王帥升等)、後漢に生口160人を献ずる。 西日本各地に生活用畿内系土器の分布
他地方土器に製作技法上の影響を与える
各地の農業・治水技術の向上
後漢書
AD110頃 第五代孝昭天皇即位 古事記・日本書紀
AD121 初代神武天皇崩御、タギシミミの乱起こる。第五代孝昭天皇鎮圧 古事記・日本書紀
AD144頃 第五代孝昭天皇崩御。
第六代孝安天皇即位
鴨都波遺跡(孝昭天皇陵横) 古事記・日本書紀
AD149 楽楽福命(後の孝霊天皇)誕生
弥生
後期
後葉
AD165頃 東倭各地に略奪集団(鬼)横行、出雲は祭礼強化によって乗り切ろうとする。 高地性集落の分布
AD171 楽楽福命、伯耆国へ向け大和出発
因幡国霊石山で鬼退治
隠岐国で黄魃鬼退治
日吉津より、伯耆国訪問 (第一次・孝霊45年)
高杉神社の地に宮を作る。
妻木の朝妻姫を妻とし鶯王が誕生。
倭迹迹日百襲姫(3歳)讃岐国に派遣される。
青谷上寺地遺跡(戦乱の後)
中国地方に小型鉄鏃の出土が増える
日野郡誌
鬼住山ものがたり
水主神社
高杉神社
AD172 朝廷出雲の神宝を検校する(孝霊46年)。
サルタヒコの持ち込んだ青銅祭器を荒神谷に隠匿する
以後出雲とさまざまに交渉を行なう。
荒神谷遺跡(銅矛と銅鐸の供出) 日本書紀
出雲国風土記
AD177頃 第6代孝安天皇崩御
楽楽福命大和に帰国し第7代孝霊天皇として即位。
AD179頃 略奪集団(鬼)活発化。(倭の大乱勃発)
吉備津彦兄弟(稚武彦、弟稚武彦)を吉備讃岐へ派遣
孝霊天皇自身も備中国へ進軍。
孝霊天皇、吉備津彦とともに石蟹武荒仁を破り伯耆国へ進入。
日野川を下るも鬼住山の出雲軍に阻まれ、長期戦となる。
宮原の笹苞山及び楽楽福神社の地に前線基地を作る。
妻の細姫、孝霊帝を追って、伯耆国へ来る。
孝霊帝、菅福神社の地に妻と滞在。
しばらく後、滞在地を宮内の西楽楽神社の地に移す。
古事記
岡山桃太郎
楽楽福神社
日野郡誌
日野川の伝説
吉備津彦の正体
AD185 細姫、宮内にて亡くなる。崩御山に葬る。(孝霊71年)
弟稚武彦、吉備国を平定完了(孝霊72年)。
この頃、鶯王を総大将として鬼住山に総攻撃を仕掛けるも敗退。
鶯王鬼住山にて戦死。
弟稚武彦を宮内に呼び寄せる
楽楽福神社
鬼住山物語
日野郡誌
片山神社
吉備津彦の正体
AD186 孝霊帝、御墓山を参拝
阿毘縁関を破り、出雲国に侵入
弟稚武彦、粟谷(三刀屋町)に陣を構える。
孝霊帝、稚武彦と殿之奥(比太神社)でイザナミ祭祀
孝霊帝、佐々布久神社の地に陣を構え、出雲軍能義政庁を急襲
弟稚武彦、木次で出雲軍と衝突し出雲振根を討ち取る(孝霊73年)
孝霊帝、熊野大社に参内するもコトシロヌシとの交渉に失敗
孝霊帝出雲軍の追撃を受け、黄泉津比良坂で対峙する。
戦いは膠着状態になる。
日野郡誌
タイムトラベル横田町
粟谷神社
比太神社
神社の神々・山陰編
古事記・日本書紀
吉備津彦の正体
AD187 倭迹迹日百襲姫、和平提案をし和平交渉をすることになる。
東倭は朝廷と講和条約を結び、朝廷支配下に下る
スサノオ祭祀を全国に広める。
(倭の大乱終結・孝霊76年)
孝霊天皇退位、第八代孝元天皇即位
倭迹迹日百襲姫は大物主神の妻(卑弥呼)となる。
出雲地方に方形周溝墓が出現する。
出雲系土器がこの時期全国分布するようになる。
上代日本正史
菊理神社
大神山神社
南宮神社
古事記・日本書紀
AD190頃 倭の大乱の講和条件により稚武彦が吉備国を中心として
新しい祭礼形態の試行錯誤を始める。
スサノオ祭祀者の墓が前方後方墳(方墳)
朝廷中央集権の強化
楯築遺跡・黒宮大塚・西谷四隅突出型墳丘墓
纏向石塚は立春の日に三輪山山頂から太陽が昇る位置
吉備国に特殊器台が広まる。鋸歯紋・巴の透かしあり
上東遺跡に各地の土器が出土する
総社市三輪に宮山遺跡(吉備にニギハヤヒ祭祀)
前方後円墳の出現
東海地方に前方後方墳が多い
三角縁神獣鏡(三角=朝廷のシンボル)の出現
纏向遺跡の集中=畿内他遺跡の消滅
祭祀から見た古代吉備
吉備中山と古代吉備
弥生
終末
AD220 球磨国(狗奴国)と朝廷との戦いが始まる(熊襲は八代へ退却)。
吉備武彦、球磨国との戦いに参戦(開化10年)
地方統治の強化(国造の派遣=前方後円墳の出現)
熊本県北部(無茎)・大分県下(有茎)に鉄鏃の増加 広島県神社誌
AD248 日食(天岩戸)あり、八咫の鏡を作る。(崇神6年) 248年9月5日早朝皆既日食 古語拾遺
日本書紀
AD250 武埴安彦の乱
五十狭芹彦(大吉備津彦=男弟)吉備国に派遣
倭迹迹日百襲姫崩ずる。(崇神10年)
吉備国に箸墓と相似形の古墳の出現 吉備津神社
日本書紀
古墳
前期
AD251 魏の使者張政等来朝、箸墓築造開始。(崇神11年) 魏志倭人伝
AD266 箸墓完成、張政等晋へ帰る。
この頃青銅不足により青銅祭器を没収・鏡祭祀に統一
青銅祭器が全国的に埋められる。 晋書「武帝紀」
AD312 第12代景行天皇熊襲征伐。(熊襲は人吉盆地へ退却・景行12年) 日本書紀
日本上代の実年代
AD318 日本武尊東国征伐(景行25年) 日本上代の実年代
AD331 第14代仲哀天皇熊襲征伐(球磨国、朝廷に所属)
神功皇后三韓進攻
日本上代の実年代
上代日本正史
AD342頃 忍熊・香坂王の乱(神功皇后大和制圧)
鏡作一族が処分される。
上代日本正史
AD371 神功皇后崩 古墳出土鏡に踏み返し鏡が多くなる
古墳
中期
AD394 第15代応神天皇崩 日本上代の実年代
AD427 第16代仁徳天皇崩(倭王讃) 日本上代の実年代
AD432 第17代履中天皇崩(倭王隋) 日本上代の実年代
AD437 第18代反正天皇崩(倭王珍) 日本上代の実年代
AD459 第19代允恭天皇崩(倭王済) 日本上代の実年代