御墓山登山日記

H17.04.09

 待ちに待った御墓山登山の日である。御墓山の位置が分からなかったり、登山道が分からなかったりでなかなか予定が立たなかった。また、草木が深いので、草の少ない春先を利用して登山することにした。登山道も怪しいようなので、ハンディGPSをこのたび初めて導入した。購入したのはGPSmap60CSである。数少ないカラー画面のGPSである。

鳥取県日南町阿毘縁の大菅峠のすぐ西にある登山道入り口である。ここには石碑が立っていた。GPSはPCにて山頂の座標をあらかじめインプットしてある。ここはAM11.09、標高598m、目的地は真北へ直線756m先となっている。正常である。AM11:14出発

御墓山登山道

御墓山山頂は標高758.3mである。GPSを頼りに登山道を進んだ。

方向指示画面 地図画面

 状況によって、方向指示画面にしたり地図画面にしたり、初めての道でも迷うことはまったくなかった。目的地がはっきりと認識するのであせることもなく、落ち着いた登山ができた。ただし、矢印の示す方向に進もうとするため、急傾斜の道を選ぶ傾向があることが分かった。ヘアピンになっている道が緩やかなのであるが、その道は別の方向になっていることが多く、何箇所かで直登してしまった。周りの地形を見ながら落ち着いて道を選ばなければならないと思った。

登山道の最初は緩やかな広い道 途中からは川に沿って

AM11.38山頂に到着GPSの到着予想時間より3分遅かった。GPSの指し示す標高は758mであった。地図上では758.3mであるから、GPSの指し示す標高は思ったより正確であった。

山頂の樹木 山頂名を書いた板切れ

山頂は1アールほどで、1本の低い樹木が山頂部を占領していた。山頂には御墓山と書かれた板切れが転がっていた。

しばらく山頂でのんびりしながら、おかしなことに気付いた。
 @ 御墓山山頂から、比太神社が見えなければならない。
 A 山頂にはイザナミ御陵があるはず。
 B 戦前まで大々的に祭祀が行なわれていたはずであるから、その痕跡があるはず。

この山は板切れがあることから間違いなく御墓山山頂であり、GPSも標高758mを指し示している。では何故、推定された山頂の様子と異なるのか?大きな疑問がわいた。ひょっとして山頂が違うのでは?と思ったが確認するすべもなく下山をした。

 家に帰ってから、御墓山に登山をする参考にした「鳥取県100名山」を見直してみると、確かに登った山頂が御墓山山頂である。納得できないので、HPに書き込んでいる広瀬町の案内書を見た。御墓山の標高が769mとなっていた。「山頂が違う」国土地理院の2万5千分の一の地図を開いてみると、御墓山山頂の西北西400mのところに772mの標高の山頂部があるのに気付いた。地図で確認すると、こちらの山頂部は少し広そうである。ほかに769mの標高を示す山は周辺に存在しない。たぶんここがイザナミ御陵のある御墓山山頂であろう。ここならば、比太神社からよく見えそうである。

 大菅峠から真北に見えていた山頂は御墓山かもしれないがイザナミ御陵のある御墓山山頂ではないことが分かった。登山道は確認でき、途中までは同じ道でよさそうなので、いずれ本当の御墓山に登山しなければならないと思った。今回はGPSのテスト使用の登山になってしまった。

 御墓山西北の峰(772m)を目指して

H17.04.16

 御墓山登頂1週間後、前回の課題として残った西北の峰を目指すことにした。

 正規の御墓山山頂への登山道をそのまま登り沢沿いから峰に出た。ここから右に方向をとれば御墓山。左に方向をとれば西北の峰である。さあ、西北の峰を目指そうと思ったら・・・。道がない!!上の写真のようにまったく人が歩いた痕跡がない。木を掻き分けながら進むしかない。ナビでは直線386mである。これなら何とかなると思って突き進んだ。

 木々の間から西北の峰が見えた。あそこにイザナミ御陵があるのか?と思いながら進んだ。

やっとのことでたどり着いた山頂部。山頂には名前が分からないが木が占拠していた。ナビでは標高772mとなっている。地図どおりぴったりである。しかし、イザナミ御陵とは思えなかった。二度とくることはないであろうと山頂部を後にした。イザナミ御陵はどこにあるのだろうか?また分からなくなってしまった。広瀬町の冊子には769mの山頂部に御陵があると書かれており、人工的な痕跡もあるそうである。また、昭和16年ごろ山陵祭が行なわれていたそうなので、それなりの施設はあるはずなのである。日野郡誌に山頂部の写真が載っていた。大変不鮮明でありながら、鳥居がいくつか存在しているのが確認できた。この場所はどこなのであろうか?
 西北の峰からは比太神社の森がよく見えた。比太神社から見える御墓山の峰はこの西北の峰に間違いない。西北の峰の北側に出っ張りがあった。平坦地があり道のようなものも存在している。ここなのだろうか?降りて見ようにも戻るための体力がなくなりそうなのであきらめた。
 イザナミ御陵の正体については、また、別の方面から調査してみたいと思う。