懿徳天皇大日本彦鍬友天皇
書紀 |
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内容 |
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春二月四日、皇太子が皇位に着かれた。 秋八月一目、安寧天皇を、畝傍山の南御蔭井上陵(橿原市吉田町)に葬った。九月、先の皇后を尊んで皇太后とよんだ。この時太歳辛卯。 |
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春一月五日、都を軽の地に移した。これを曲峡宮という。 二月十一日、天豊津媛命を立てて皇后とした。 |
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后は観松彦香殖稲天皇(孝昭天皇)を生まれた。 |
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春二月十二日、観松彦香殖稲尊を立てて皇太子とした。年十八才。 |
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秋九月、天皇は崩御された。翌年冬十月十三日に懿徳天皇を畝傍山の南繊沙船上陵(橿原市大字池尻字丸山)に葬られた。 |