地御前神社
 神武天皇上陸地

H17.04.30 

神社拝殿 広田神社から見た上陸地(右の小山)
左の山は宮島

 宮島に滞在していた神武天皇は宮島から始めて安芸国本土に上陸した。その地が地御前神社の地といわれている。この当時今よりも海面が10mほど高かったので、この丘陵の中腹あたりに着岸したことになる。この小山は当時は島であったと思われる。この島で休息後すぐに次の広田神社の地に移動したものと思われる。

広田神社
 神武天皇宮址

H17.04.30

神社入り口 神社拝殿

 この神社は少し丘陵になっている。神社の地は標高17mであった。この神社の階段の途中あたりに上陸したのではないだろうか。神武天皇はこの丘陵のふもとにしばらく滞在したそうである。

宮内天王社
 神武天皇宮址

H17.04.30

神社正面 神社拝殿

 広田神社にしばらく滞在していた神武天皇は御手洗川に沿って船を進め、的場に再び上陸し、ここでもしばらく滞在した。このあたりは神武天皇が宮を造った故事により宮内という。現廿日市市宮内町で標高20mの場所である。

井口大歳神社
広島市井口 
神武天皇上陸地

H17.04.30

神社拝殿 神社前は傾斜地

 この神社の前に神武天皇は船をつなぎとめたそうである。この神社はそれを記念して建てられたと伝えられている。傾斜地であり長期にわたって住む場所ではないと思われ、宮内の天王社を出発した天皇が休息のため立ち寄ったものと考えられる。標高20mの場所である。

草津八幡宮
広島市佐伯区古田 
神武天皇宮址

H17.04.30

仮宮のあったところ 正面の崖上に神社がある

 当時この神社の近くまで入り江があったそうで、神社のある丘陵の西側に神武天皇の仮宮があったそうである。標高10mと少しの場所である。右の写真は新宮神社から撮ったものである。

新宮神社
広島市佐伯区古田 
神武天皇上陸地

H17.04.30

神社拝殿 神社側の岩

この神社も神武天皇上陸伝説がある。ここも丘陵地であり標高は10mと少しである。草津八幡宮から2kmほどもない非常に近い位置でありかつ草津八幡宮の東側である。草津八幡宮を出港した船が着船するにはあまりに近すぎる。神武天皇は江田島に宮を作った後、府中の多家神社に移っているので、この途中に立ち寄ったものかとも思える。

臼山神社
 広島市佐伯区石内
 神武天皇滞在地

H17.04.30

神社拝殿 神社前の風景

神武天皇が立ち寄ったという伝承がある。しかし、今までの海岸地帯とは異なりかなり奥地である。草津八幡宮から奥地に入ると到着できるので、神武天皇が草津八幡宮に滞在しているときにこの地にやってきたのではないだろうか?

 天王神社
 広島市安佐北区可部
神武天皇滞在地

H17.05.01

天王神社 神社は遊園地になっている

 

 船山
広島市安佐北区可部
神武天皇上陸地

H17.05.01

船山 船山の麓(このあたりに上陸か?)

 この船山は神武天皇が船を止めたためにこの名がついたと伝えられているが、この地は標高20mほどで、神武天皇の頃といえども海ではない。伝承によるとこのすぐそばに帆待川という川がありこの川を伝って船山に達したという。多家神社を出発した神武天皇は広島湾を奥地に入り、太田川に沿ってこの可部の地まで訪れた。そして、帆待川に入り込み、この船山に達したと考えられる。
 船山に着いた神武天皇は、この地に滞在し螺山に登山し、惠坂まで足を伸ばしたと伝えられる。
 天皇はさらに奥地に入り吉田町宮之城をに滞在後、庄原市の葦嶽山で祭祀を行い、出雲に通ったと伝えられる。

新宮神社
東広島市西条町寺家
神武天皇休息地

H17.05.01

神宮神社本殿 新宮神社拝殿

神武天皇がこの神社の1kmほど東に行幸したとき、そこにあった岩に腰をかけた。その岩がこの神社にあるそうである。